上皇陛下、天皇陛下
華々しく令和時代が始まりました。
今回は、令和がどんな時代になるのか予測してまいりましょう。
言えることは、時代の転機に来ているということです。
つまり、今も皆さんは不安定と感じられているでしょうが、より一層不安定になると言えます。
不安定な時代には、金価格の大きな上昇や下落はあるでしょうが、30年のスパンで見れば、不安定を反映して高い傾向になると言えるでしょう。
まず、新天皇陛下の御即位を心よりお慶び申し上げます。
そして、上皇陛下に心からの敬意と感謝を申し上げます。
世界の王族、リーダーで、これほどまでに強いリーダーシップで国民を導いたリーダーはいたでしょうか?
象徴天皇としてものすごい責務を果たされた上皇陛下の路線を、新天皇も継承していくことでしょう。
世界を見回しても、これだけ軸がぶれずにさまざまなことに対処したリーダーはおらず、また人格的に立派な方はおりません。
日本の誇るべきリーダーであります。
平成という時代を振り返って
平成時代は「超個人主義」という言葉に代表されます。
具体的に言えば、道で倒れている人がいても昨今の東京では誰も助けません。
皆、内心では「この人を助けなければ」と思うでしょうが、実行には移しません。
この具体例に代表されるように、自分のことにしか関心がないような時代であったと言えます。
懐古主義に陥るつもりは毛頭ありませんが、昭和の時代は倒れている人がいれば、(言葉は悪いですが)寄ってたかって助けたはずです。
しかし、現在そうなっていない点を観察すれば、他人に極端に無関心になったと言えます。
武田鉄矢の「金八先生」ではないですが、社会とは人と人が助け合って「人」という字を形成しているように、ダイエットや若返りの方法などは個人の問題であって、社会の問題ではありません。
「自己責任」で言いくるめる無責任時代
皆さんが社会と距離を置き、自分のことにしか関心がない時代、それを「超個人主義」と言います。
この超個人主義のことを「ネオリベラリズム」と言ったりします。
超個人主義の代表的な言葉が「自己責任」です。
人生において、あなたに起こる結果すべてが自分の責任という考え方を否定はしませんが、少しそれに偏り過ぎているように見えます。
例えば、「ゆとり世代が使えない」と文句を言う人が一時期世間を席捲しましたが、ゆとり世代に責任がない問題を「自己責任」で片づけていいのでしょうか。
ゆとり世代は自分で選択してゆとり世代になったわけではないのに、「ゆとりは使えない」、「それは自己責任」と言って、彼らに責任を押し付けるのはあまりにも酷です。
むしろ「ゆとりが使えない」と言う世代こそが、ゆとり世代を作り出した元凶なのに、自分たちがそういう雰囲気を作っておき、「使えない」と言うのは自己責任ではなく無責任というものです。
他人の痛みを平気で他人に押し付ける時代が平成であった、と考えます。
こうなった背景
かなり論点が飛躍しますが、この背景は「先行きが見えない」ことに尽きます。
「将来のことはわからない」と言う方が多くいらっしゃいますが、大抵の場合は見えているのです、実は。
例えば、人に悪さばかりしている人、人を傷つけても平気な人を外目から見て、将来どうなるかを考えた場合、ロクな人生を歩まないだろうという想像は誰もができるでしょう。
人との関わり合いで社会が成立しているとすれば、人から嫌われた人は、人から助けも受けられません。
このサイクルになったのが平成だったのではないかな、と思います。
無用な心配ばかりする国民
事実を丹念に拾っていけば、将来というものが小学生でもわかってくることなのに、「不安、不安」と叫びます。
「年金なども将来なくなるのではないか」、「日本は借金が多すぎるから倒産してしまうのではないか」とか余計な心配ばかりしています。
将来は誰にもわからないのだから、心配しても仕方がないことを懸命に心配しているように見受けられます。
つまり、「将来が見えない」という心配は、わかりもしないことを懸命に心配しているだけのことです。
年金がつぶれるか否かや国家がつぶれるか否かも、心配をしている人たちにお聞きしたい。
では、具体的にどうなったら、年金や国家がつぶれるのですか?
99%の人が、具体的に「こうなったらつぶれる」という回答を得られないでしょう。
何も知らず、根拠もないのに、周囲やメディアが言うから心配しているにすぎません。
人類が誕生してから、皆将来は心配ですけど、自分の範囲を超えて心配をしているのです。
一億総知ったかぶり野郎時代
そこで登場したのが「知ったかぶり」野郎です。
年金システムや国家予算など微塵も知らないのに、その心配をしている「知ったかぶり」野郎の増殖…。
今や国民の7割以上が「知ったかぶり」野郎と言えます。
今の収支や将来の人口動向、そして経済成長を見通しても、日本の年金や国家予算がつぶれる可能性は5%もありません。
その心配をするのは無用、ということです。
何とか対策を練ればしのげるレベルの話が、神話のように語られているのです。
片や眼前を見れば、人を傷つけ、悪さをしている人の将来はどうでしょうか?
「この野郎の将来は、どうにもならない」と小学生でもわかることなのに、わからないという矛盾。
このことにいつ気づくのでしょうか。
不安の裏返しが知ったかぶりとなる
余談になりますが、自分自身が平和に豊かになりたいのであれば、人格を磨き、社会との接点を増やしていく、という当たり前のことに気づかない人が多すぎるから、ほとんどの人は無知なくせに知ったような口をきくと言うのです。
実際、メディアなどでえらそうに語っている人の7割は、無知のくせしてえらそうにしゃべっているように見受けられます。
将来が見えない不安心理を、自分の意見を他人が聞いてくれることで安心感を覚えるのでしょう。
ダイエットや体を鍛える、若返りの方法なども一緒です。
痩せていて筋肉隆々、その上、年齢よりも若く見られれば、今や日本のどこに行っても褒めてもらえます。
そうやって褒めてもらうことによって、将来の不安をかき消そうとしているのでしょう。
グローバリズムという世界環境の変化
このような将来不安というのは何から起こったのでしょう。
それは今や神話の類になってきているのですが、「グローバリズム」という世界環境の変化です。
国境を感じなくなっている時代ですから、新しいことが次から次に起こる。
時代の変化が早いと感じるのは、経験のないことですから衝撃的な事件のように映る。
今までに経験がないようなことが起これば、人間はひどいショックを覚え、そのことについて考えることが多くなるのです。
だから時間が止まっているように感じる反面、実際には社会の変化のスピードが速くなっていると感じる矛盾が存在します。
これは感情の問題であり、その変化によって楽しいことが起これば早く感じ、反対にショックな事件が起これば遅く感じる、人間とはそういう生物なのです。
時代の変化が早いと感じるのは、あなた自身が楽しいと感じていることなのですが、それに不安になるという矛盾したことを考えているのですから、将来がわからない不安になって当然ということがおわかりになっていない人が非常に多いのです。
端的に言えば物事には二面性があり、グローバリズムという今まで経験したことがないことに楽しみ、疲れてしまっているのです。
グローバリズムに疲れ果てた中間層
グローバリズムは、自由貿易交渉のガット(GATT、WTOの前身組織)ウルグアイ・ラウンド交渉の開始のあたり、つまり1970〜80年代から始まり現在に至っています。
実に50年も私たちは、この激流に呑まれているのですから疲れて当然でしょう。
目の前の状況が事件によってすぐ変化し、それに対応するのに疲れているのです。
もう、変化を楽しむ余裕もだんだんとなくなってきた、ということだと推測できます。
そして、その変化についていけなくなったのが、最近よく言われる「中間層」です。
アメリカのトランプ政権が誕生したのは、白人の中間層のおかげという話がありますが、端的に言えば、白人の工場労働者になります。
また、今まで上流階級の言うことを聞いていたイギリスでブレグジットが成立したのも、中間層が「もう、うんざりだ」と言い始め、上流階級が残留だったにもかかわらず、中間・貧困層が離脱に賛成したことが理由です。
中間層がなぜ政権に従わなくなったのか
中間層がなぜ政権の決定に従わなくなったのかと言えば、富の格差が根底にあります。
日本においてひと昔の貧富の格差は、少し頑張ればその仲間入りをすることができたのに、今やアマゾンやグーグル、マイクロソフトなどのお金持ち創業者を目にして、「自分には無理だ」というあきらめの境地になってしまったのでしょう。
そして、上流階級の中のリーダーである人たちの失言や汚職などを見るたびに人々はうんざりしています。
小泉元首相から「改革をするのには痛みが必要」と聞いて信じたのに、実際は社会は変わらなかったという落胆、そして言う通りにしても金銭的にも精神的にも豊かになれないのであれば、今の支配層に反旗を翻すのは時間の問題だったのが、アメリカとイギリスで起こったわけです。
日本でも「アベノミクス」とか言っていますが、実際の成長は横ばいで、わずかに東日本大震災のような落ち込みがなくなっただけ…。
政権の言うことを聞いてもちっとも豊かになれないという鬱積は、いずれ日本でも出現するでしょう。
ですから、アメリカやイギリスで起こったことはいずれ日本でも起きるよ、ということです。
世界のリーダーや大会社のトップが「私を信じてついてきてください」と言っても、期待した結果を得られなければ、アメリカやイギリスのようになるでしょう。
令和時代に起こること
私たちが将来に感じる不安はたいがい、一個人や小さい集団である家族が心配してもどうにもなりません。
この程度の問題は、人類が地球上に誕生してからあることであって、いわば私たちは「国家が倒産するかも」、「年金がつぶれるかも」という心配しても始まらないことを心配して、不安になっているのです。
背景には、グローバリズムという激変の中で、何が不安になってしまったかわからなくなってきた感性があると思います。
人から認めてもらうために知りもしないことをわかった風に語り、安心を得る風潮が生まれているのでしょう。
ダイエットや若返り、美しいボディラインなどが流行するのも、人に自分の存在を認められたいがために、皆が同じようなことを行うのです。
実際、私は皆がダイエットや体の鍛錬、健康、若返りに興味がある、そしてそのやり方も知ったかぶりの人からコーチしてもらったこと(笑)という現象を見ているのが気持ちが悪い。
電車に乗れば、乗客全員がスマホをいじっている場面を見て気持ちが悪いと感じるのと一緒です。
皆と一緒のことをしていなければ安心できないという風潮に反するようなことが、令和には起こってくるでしょう。
グローバリズム停滞の局面
今までは、支配層の言うことを聞いていれば生活がよくなるということが、私たち日本人の意識の根底にあったと思います。
でも、その反乱がイギリス、アメリカで現実に起こりました。
それは今までリーダーたちだけが裕福になり、全体はちっとも幸せにはなれないという反骨精神だと思います。
その潮流の中で、今まで劇的に進化したグローバリズムへの反感、つまり停滞の場面があるのも当然です。
全体を見渡した場合、グローバリズムは進行するでしょうが、あまりにも急激に進行したグローバリズムに反感が高まっているのも事実でしょう。
そして、無責任の極みである自己責任という言葉にも反感が高まってくるでしょう。
他人の幸せが自身の幸福につながる時代へ
自分たちの共同体が幸せに平穏に暮らすためには、上皇陛下や天皇陛下のように他人の幸せと平和を願い、それを実践することが基本のように思います。
他人の幸せを願うことが自身の幸福につながる時代に令和はなるでしょう。
とりあえず、明日から困っている人を見れば助けるということを始めれば、おそらく全体が配慮や思いやりにあふれた社会になってくるはずです。
これには時間がかかりますが、令和はこのような時代になると思います。
行き過ぎた富の配分、この揺り戻しが起こると想像してかまいません。
そして、その恩恵を被るのは私たち中間層です。
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