明治政府の日の丸
元号が令和に変わり、日本の国旗を改めて見る機会が増えているのではないでしょうか。
そこで、ふとした疑問です。
日の丸というのは白い生地に赤い丸を描けばよいのでしょうか?
答えは簡単、それは正しい日の丸ではありません。
日の丸にはきちんとした基準があり、公の場掲揚では、その描き方に沿ったものを掲揚するのが通常です。
また、来年はオリンピック。
日本人選手の活躍で日の丸を表彰台の中央で見たい、というのは日本人の願望でしょう。
今回は、正しい日の丸(日章旗)の描き方と、それにまつわる話をご紹介します。
日本の国旗は、新政府、明治になってから決定されたのが始まりです。
その経緯はどの文献を調べても掲載されていないのですが、政令によって1870年(明治3年)、陰暦(旧暦)の1月27日に決定されました。
現在の太陽暦に換算をすると2月27日になります。
そこで発布された太政官布告第27号が、日の丸の描き方の始まりです。
明治3年太政官布告の日の丸の描き方
詳細に説明していきます。
まず、白地の縦横比は2:3の割合にしなければいけません。
例えばヨコが3mであれば、タテの長さは2mにしなくてはいけないと決まっているのです。
そんな細かいことまで決まっているのは驚きですね。
また、中央の赤い丸の直径はタテの5分の3、つまり60%と規定されています。
上記の例ではタテ2mと仮定していますので、この場合は1.2mにしなければいけません。
これが正しい日の丸の描き方であり、現在でもこの太政官布告の描き方は有効になっています。
国旗国歌法の日の丸の描き方
明治3年に決まった日の丸は現在でも有効ですが、実は1999年8月13日に施行された国旗国歌法で、新しい描き方が規定されました。
ただし、この国旗国歌法の中に明治3年に公布された古い描き方は当面の間、これを認めると記されています。
その「当面の間」はいまだに続いており、その期日が明確ではないために1999年から20年経過した現在も有効という法律的解釈になっています。
つまり日の丸の種類は、現在法律的に2通りあるということです。
国旗国歌法で提案された日の丸の新しい描き方では、旗の大きさは3:2で変わりがありませんが、丸の大きさがタテ5分の3から3分の2に変更されています。
つまり明治時代の国旗は、円の直径が上記の仮定で言えば1.20mだったのに対し、1999年以降は1.32mから1.33mと10cmほど大きくなったのです。
もちろん、明治3年の太政官公布も有効ですから、赤い丸が大きいものと小さいもの、2種類あるということです。
正しい描き方が2通りあるというのは、少々驚きの事実だと思います。
前回の東京オリンピックでの日の丸
1964年の東京オリンピックでは、明治3年公布の太政官政令の日の丸が掲揚されるはずなのですが、実は1999年に国旗国歌法で規定されたのと同程度の日の丸が掲揚されました。
また、長野オリンピックは1998年の開催で国歌国旗法の制定前ですが、昭和の東京オリンピックと同様の日の丸が使用されています。
つまり前回の東京、長野オリンピックで使用された日の丸は、本来は正式な国旗ではなく、のちに制定される国旗国歌法によって正式に認定されたものだったのです。
これはオリンピックに先立つ1962年、日宣美展で日の丸のデザインコンクールが開催され、そこで共同提案された日の丸がオリンピックで採用されたことによります。
その共同提案者の名前は永井一正、白井正治、有本功です。
日の丸と黄金比率
人が鑑賞してもっとも美しいと感じる黄金比率というものがあり、その比率は長さ1に対して0.618の割合になります。
つまり、国旗国歌法で規定される3分の2の比率を少数に返還すると0.666になり、ほぼ近似となるのです。
太政官政令の比率では、若干美しいと感じられるものより小さくなります。
その比率は0.6ですから、たった一つに決まってしまいます。
ところが3分の2を少数に返還すると割り切れないという事実が存在し、正確に全部一緒の日の丸にならないという難点があります。
これを役人が意図したのかどうかはよくわかりませんが、もっと深読みすれば、日本の国旗を3分の2という曖昧な数字にしたのは、一番美しい形に描くようにという法律なのかもしれませんね。
世界の共通認識として、この黄金比率の0.618の割合にすれば、大抵の人は美しいと感じるようになっています。
人間の感性というのはそういうものです。
こうやって考えていくと、日本の国旗の赤い丸の大きさは、正確には決まっていないということになります。
ただし、太政官公布が現在も有効であるということから、決まっているということにもなります。
普段、何気なく眺めている日の丸には、さまざまなデザインがあるということを認識しておけば、来たる東京オリンピックで見る目も多少は変わるかもしれません。
マッカーサーの星条旗
戦後、日本が降伏したときにGHQの司令官がマッカーサーだということはご存知でしょう。
そのマッカーサーが日本に降り立ったとき、星の数が31しかない星条旗を掲揚しました。
星条旗の星の数は、統合している州の数だということをなんとなくご存知だと思います。
現在ではアラスカやハワイを併合しているので51ですが、戦後は48州でした。
ですから、当時の星条旗の星の数は48になるのですが、なぜか31しかなかったのです。
これは一般的に、ペリーが浦賀に来たときに31州であったことが背景であろうと推測されています。
つまり、ペリーが浦賀に来て日本が開国してやった恩義を忘れ、日本はアメリカに戦争を仕掛けた、なんという不届きものという想いをマッカーサーが込めたと言われています。
マッカーサーの前任地はフィリピンです。
このフィリピンで、マッカーサーは司令官として日本と戦い敗北しています。
そのような悔しさから、マッカーサーはわざわざ、ペリー来航時の国旗を掲揚し、怒りを表面に出したのではないかと言われています。
国旗に思いを込めるということ
GHQの進駐軍は、日本ではかなり紳士的な振る舞いをしていたということは、皆さんも聞き及んでいると思いますが、マッカーサーのこのような思いを聞くと、非常に驚きではないでしょうか。
そもそも進駐軍とは占領部隊なのですから、数多くの部下を失ったマッカーサーからすれば日本は憎き相手で、略奪やホロコーストを行っても何ら不思議ではありません。
しかし、実際の進駐軍が子供が「ギミアチョコレート」と言うと、チョコを与える陽気なアメリカ人でした。
敗戦の日本も苦悩したと思いますが、勝利したアメリカにも複雑な思いがあったことも確かなようです。
この例示のように、国旗のデザインを多少変えることによって、その使節団や代表団の想いを相手に伝えることもできるのです。
オリンピックと国旗
前回の東京オリンピックには、94ヵ国の国と地域が参加しました。
しかし、その半数は国家が消滅したり、国旗の変更を行っています。
今回の東京オリンピックにも、多くの国々の参加が見込まれますが、今回が最後の参加になる国もあるかもしれませんし、オリンピック後に国旗の変更を行うかもしれません。
見納めになる国や国旗になる可能性もあると考え、国旗の勉強をしておくと、より一層オリンピックを楽しめるのではないのでしょうか?
例えばベルリンオリンピックで優勝した日本のマラソン選手は、実際は朝鮮人でした。
当時は日本が朝鮮半島を併合しており、民族は朝鮮なのに日本国籍のマラソン選手として優勝しているのです。
この話は、前回の東京オリンピックや、ソウルオリンピックのときにクローズアップされたので覚えている方も多いと思います。
来年に向けて今から国旗の勉強を始めてみては
このように、その選手の背景を調べると、日本選手が負けたときの悔しさが半減するかもしれませんね。
国旗を何気なく見ていると思いますが、さまざまなドラマがあります。
来年、東京でオリンピックが開催されるときには、さまざまな国の国旗が日本に集合します。
国旗を勉強するなら、今から初めておかないと付け焼刃では楽しめないよね、と思います。
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