金の四方山ばなし -アフリカ大陸-

アフリカ大陸での人類の起源

金の歴史で、日本であれば『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に書かれた卑弥呼の金印、アメリカではゴールドラッシュなどの話がありますが、アフリカでは、南アフリカでのローデンシアからの話しか知らない人がほとんどでしょう。

今回は、サハラ砂漠以南での金の歴史について話してまいります。

人類の進化の流れを描いたシルエット

古くは熱帯雨林で多くの類人猿が発見され、人類の起源は熱帯地方にあるとされていました。

インドネシアのジャワ原人などは、熱帯地方から発見されているわけですから、人類が暑いところで誕生したことがおわかりになるでしょう。

アフリカ人というと、黒人を思い浮かべると思いますが、ひと口にアフリカ人といっても、色の濃淡から背の高さなどさまざまな人種がいます。

アジアなどからより多くの類人猿が発見されていましたが、近年の研究では、アフリカの熱帯雨林地方からも数多くの類人猿が発見されています。

つまり、義務教育で学習したころと、現在での類人猿などの人類の起源は相当変わってきているのです。

人種で大きな差などない

人種で能力差なんてない!

ヨーロッパが産業革命などで経済力を増した結果、世界を席巻したのが欧米人になっただけの話です。

先に挙げた事実だけを見ても、人類の起源にはそれほど差はなく、人種差別など意味をなさないものであることがおわかりになるでしょう。

海外では古いことが良いことだとされるようですが、結局、人類で一番古いのは、熱帯雨林地方に住んでいる人たちなのです。

現在、これらの国々は貧困や新興国として捉えられており、あまり良い評価を得られていないと感じる方が多いのではないでしょうか。

前述の古さから言えば、熱帯雨林地方こそリスペクトされる人種ですが、実際の評価は違います。

これは、人類100万年の歴史の中で出た、単なる地域格差の話であって、欧米人が現在、世界を席巻していることは長い歴史の一部と捉えるべきです。

白人と黒人、黄色人ではそんなに能力に差なんかないということです。

アフリカの有史

ヴィラレアルに立つ、コンゴに初めて来校したポルトガル人航海士、ディオゴ・カンの家

アフリカの有史というと、ほとんど記録がありません。

現代の世界では、歴史の中にアフリカが登場してくるのは、15世紀にポルトガルと現在のコンゴ共和国あたりとの交易が始まったころしか認識されていません。

これはアフリカに保存する文書がなかったからで、ヨーロッパとアフリカでは人類の起源はどちらが早いかという問題ですが、現在発掘されている遺跡の数では、圧倒的にアフリカ大陸のほうが古いことが証明されています。

アフリカ人が欧米人よりも劣っていることは全然ないのです。

ご存知のように、人間というのは長く続ければ続けるほど物事が上達する生物であり、長く生きているほうがさまざまな点で有利です。

そういった意味においては、アフリカ人のほうが優秀であるとも言えます。

アフリカ文明とバナナ

バナナがアフリカに文明を作った!?

本当にアフリカ人に文字がなかったのかというと、これは現在も論争されており、はっきりとした結果がありません。

現在のコンゴ川流域に文明の発祥があり、それが確認ができるのは西暦でいえば500年くらいで、日本では聖徳太子よりも少し前の時代です。

そのほかの四大文明が紀元前となっていますので、アフリカはかなり遅れているという認識になってしまいます。

しかし、日本も史実に残っているのは聖徳太子以降ですので、言わばアフリカとそれほど変わらないと言えます。

コンゴ川流域に文明が発達したのは、狩猟から農耕文化に移行したのはどの文明も当然のことですが、一番農耕文化が発達したのは、東南アジア原産のバナナが栽培されたことです。

それまでのヤマイモなどはやはり耕作に手間がかかり、それほど文化が隆盛しませんでした。

バナナが東南アジアからもたらされたことによって、人々は定地農業に多くつくようになったのです。

そして、14世紀になると、ポルトガルの交易船がコンゴ川流域に来航するようになり、そこから交易が始まりました。

もともと欧米とアフリカに上下関係はなかった

産業革命の原動力となった蒸気機関と開発者であるジェームス・ワットが描かれた切手

覚えておいてほしいのは、当時から奴隷貿易のように、ヨーロッパが格上でアフリカが格下というような貿易体系ではなく、互いに平等な関係からスタートしています。

14世紀当時においては、黒人だろうが白人だろうが経済格差などないに等しく、むしろ現在よりも平等だったのです。

コンゴ王国では金の細工モノがより多く遺跡から発掘されており、ちょうどイギリスの産業革命前後から奴隷貿易がスタートしています。

つまり、ヨーロッパの近代化が産業革命からスタートし、富の象徴である金が、アフリカで多く産出されたことから、ヨーロッパがアフリカを植民地化したことが、現在の欧米とアフリカの関係になっていると思われます。

奴隷貿易

武装商人に連行されるアフリカ人奴隷を描いた色付き木彫り

奴隷として売買されようとする人々は、コンゴ川上流をさかのぼり、現在のジンバブエ辺りに逃れました。

この辺りは高原となっており、緯度は高いのですが、人間が住むには非常に適した環境になります。

なお、アフリカ大陸東のアラブ、インドあたりからも交易あり、この地域は多くのイスラム教徒が出ています。

こちらも後にポルトガルとの貿易から平等にスタートしているのですが、奴隷の受け渡しなどによって格差貿易となっています。

当時のコンゴの王様がポルトガル王に対して、奴隷貿易をやめるお願いをしている文書が現在でも残っていますが、それ以降も継続されたことは史実の通りです。

1860年代まで奴隷貿易が続けられ、その間、アフリカ大陸からの奴隷は、正確な数字はわかりませんが500万人ともいわれています。

現在の世界総人口75億人というレベルではなく、多くても10億人程度ですから、いかに巨大な数字になるのがおわかりになるでしょう。

グレート・ジンバブエ

大規模な石造建築遺跡であるグレート・ジンバブエ遺跡

東西から文明に浸食され始めたアフリカ人は、ジンバブエ(現地語では石の家という意味)高原に大きな城下町を作りました。

このジンバブエの地は、現在でも南に金の世界生産地を控え、非常に発展することになります。

城下町というのは、この遺跡から日本のお城のようなお濠が多くの発見されており、その中心には有力者の家、周囲にはその権力に群がる人たちの家々があったものと思われます。

ただし、権力者の家といっても日本のお城のような荘厳なものではなく、10m四方くらいの住居であったことが確認されています。

このジンバブエ高原に作られたグレートジンバブエ遺跡は、現在でも研究が進んでいますが、いつ形成され、いつ崩壊したかはまだあまり判然としていません。

しかし、権力者の家や埋葬品から多くの宝飾品が出ていることで、金などの宝石によって自治を獲得していたことがわかっています。

アフリカ人が最初から、アフリカの地から金を算出していたのです。

アフリカは紀元前から金開発を行っていた?

ダイヤモンドの原石

現在では、ジンバブエや南アフリカから多くのダイヤモンドや金が採掘されます。

これらはローデシア王国によって開発されたと思われがちですが、本当はアフリカ人によって発見され開発したのを、ローデシアが取り上げたのです。

まだまだ、アフリカの金やダイヤモンドの採掘の歴史はわからないところだらけですが、『魏志倭人伝』も紀元前のように、本当はアフリカも紀元前から金の開発を行っていた可能性があります。

それを証明するすべはありませんが、それほど人間に能力の差などはないことは確かなようです。


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