教育は国の根幹を支えるもの?
昨今、教育に関する問題が社会的問題となっています。
これは、安倍政権が日本の重要政策課題として経済と教育を挙げていることがあります。
風見鶏のように政策課題を提案し、どれもこれも中途半端な結果に終わっているのが現状ですが、経済と教育に関しては第二次政権の成立以来取り組みを続けており、国民の関心の高い由縁でもあるでしょう。
今回は、教育について論じていきます。
教育は、国の根幹を支えるものと捉えている人が多いでしょう。
しかし、このことに関しては疑問があります。
日本の驚異的な識字率の高さ
日本の教育水準が高いのは世界から見て当然であり、何が一番すごいかといえば、識字率の高さになります。
世界のどこの国に行っても、字が読めない人が一定数いることは確かですが、日本では字が読めない人を探すことのほうが大変です。
識字率の高さは、日本の誇るべき財産であり、国の成長を強く後押します。
理由を考えれば当然ですが、見知らぬ人と商売するのであれば、現代社会では契約が必須です。
文字の読めない人が多数だったら…
商売にトラブルはつきものですから、役所は人を雇用する際にも新規事業を立ち上げる際にも必ず契約しなさいと指導します。
その契約書の文字を読めない人が多数であれば、明らかに非効率ですし、口約束で行ったとしても、言った言わないケンカが多発することが予測され、非効率そのものです。
ゆえに識字率の高さは、間違いなく経済に貢献します。
安倍首相が言うように、お金を稼ぐ行為を全国民が行えれば、経済が成長するからです。
現代のような契約社会になれば、字が読めない人はイコールとして就業機会がないことと一緒です。
それは国にとっても一個人にとってもマイナスになります。
問題は高等教育
問題は大学や高校などの高等教育です。
先進国では昔は大学への進学率は30%程度でしたが、現在では軒並み40〜60%になっています。
日本はその中でもずば抜けており、高校に関しては90%以上、大学に関しては世界平均を大きく上回る60%に肉薄する水準です。
第二次ベビーブーマー世代で40%強だった大学進学率が、60%弱まで行っている背景には、女性の進学率の上昇が大きく寄与しています。
昔は女子を教育しても仕方がないという風潮でしたが、今や女子も教育を施すのが当たり前となりました。
一方で考えてみると、第二次ベビーブーマー世代とは1971〜74年生まれを指します。
彼らが成人したのは1991〜94年になりますが、このころからデフレ不況、いわゆる失われた20年が始まりました。
問題は、その間、経済が成長したかということです。
つまり、彼らが成人して、経済成長に貢献したのかということが一番の問題になります。
高学歴社会で経済は成長した?
以前、人口の増加と経済成長は表裏一体だと申し上げましたが、そこに高学歴な人たちが参入しても逆に社会は停滞しました。
1994年以降に学歴がどんどん上昇しているのに、国の教育が経済の成長を促進するというのはそもそも合っているのかという問題です。
つまり高等教育が普及していっても、過去20年間、日本の経済は劇的に成長していないのです。
現在、政治イシューで動いている高校教育無償化問題ですが、本当に正しいことなのでしょうか?
社会はエリートばかりで成り立つものではない
世の中とはエリートばかりの社会ではなく、創造的な仕事や生産的な仕事をする人もたくさんいる一方、スーパーやコンビニでのレジ打ち、工場で単純労働をする人もいて成り立ちます。
その割合は知的、創造的活動をする人たちに対して、工場やレジ打ちの数の人の方が多いのが通常です。
しかし、大学進学率は60%で同世代の人たちのほとんどが知的、創造性の富んだ仕事に就こうとしています。
その上に、そういったブルーカラーの職種にはほとんどの先進国では移民を期待していますが、国民の総意としては移民を拒否しています。
「自分の子供だけは」、「自分だけは」の精神で、こんな社会が成り立つはずもないのに、そんなことを希望しているのが日本なのです。
今の大卒者の行く末
今の大学進学者の行く末のほとんどが、本人が望まない工場での単純労働、スーパーでのレジ打ちになってしまうのです。
これはセンシティブな問題で、政治家がこんなことを言えば次回の選挙で間違いなく落選ですから、言うわけがありません。
政治家は、今や高校はみんな行って当たり前の風潮なので、無償化を言い出します。
考えてみればこんな非効率なことはなく、どうしても高校を無償化するのであれば、移民を全面的に解禁するのが当然で、それを内閣、行政も提案しなければいけないのです。
しかし、落選と支持率の低下が怖くて言い出せません。
日本人の学力が低下しているのは現実で、それは高等教育を施してもムダというのは皆さんも理解できるでしょう。
いくら国民のほとんどに高等教育を施しても、現実に経済が成長していないのに、我が子は優秀という親子心丸出しで一生懸命教育を施す、おかしいことではありませんか。
国民全員が知的、創造的活動などに携われないのは少し考えれば当たり前で、それを実現させるためには単純労働をする移民を受け入れなければならないのに、それさえも拒否…。
本当に教育水準が低下した自分勝手な人たちの集団、これが日本の現実です。
「我が子だけは…」という人たちへの提言
それでも、「我が子だけは」という親心は理解できますので、簡単な提言をさせていただければと思います。
まず、戦後の日本の大学進学率は10%以下です。
そこから、いわゆるGHQの指導のもと6-3-3制度ができました。
この制度設計自体が進学率10%以下だった時代にできたものですので、そもそも現代の60%に合わせることが無理なのです。
その制度改革をする意思が政治にはない…、政治というのは国民主権なのですから、国民全体が悪いのです。
こういうことを書くと、「政治が悪い」と多くの人が言います。
しかし、その政治家を選んでいるのは国民ですので、他人に責任を転嫁しているその国民自体が政治をダメにしているのです。
エリートたちが共通してやっていること
「政治がうんちゃら、かんちゃら」と騒いでいる人を横目に、自分や我が子を救うためにどうするべきかを考えてください。
要は日本の統治機構、政治家、官僚、企業経営者、大学教授が共通してやっていることは何なのかを考えればいいのです。
答えは、本を読んでいることです。
本を読んでいる人は、本を読んでいない人を簡単に見抜きます。
読んでいない人のことを内心では「私とは人種が違う」と判断し、「この人と話をしてもムダ」と考えていることは確実です。
本を読んでいる人は、無意識に本を読んでいない人を差別しています。
「この人とは発展的な話ができないので関わらないでおこう」と思うのが普通なのです。
これは、今の日本の統治機構の人がやっている共通のことです。
読書の習慣は親の問題
自分が出世したい、我が子によい将来を与えたいと願うのであれば、統治機構の人間たちと一緒のことをやりなさいということです。
本を読むという行為は習慣の問題であり、親の責任です。
それを自身がやりたくないから、学校や塾の先生に丸投げするのが今の親です。
勉強の喜びを知らない人にとって、面倒くさいことだとは思います。
ほかの家事、掃除、洗濯、料理も同じで、これほど面倒なことは誰もやりたくない、でも、自分は快適に生活することができません。
面倒でもやらなければいけないことがあるということを教えるのが教育なのです。
これがわからない子どもは「勉強をやりたくない」と言い、ゲームや遊びに熱中します。
ゆえに学力も上がらず、夢は壮大だけど、ちっとも実現しない大人になるのです。
これが第二次ベビーブーマーを支えている人の過半になります。
教育改革の流れは変わらない
みんなが知的、創造性の仕事に就くのなら、移民は不可避だと考えるのが論理的思考の人です。
しかし、それをさせないのが日本人になります。
今の教育改革は、論理的な子どもを育てようという方向性です。
小論文などのテスト形式に変更される流れが間違いなく変わらないことは絶対なのです。
政治は、移民を入れなければそんな社会は無理なのはわかっているのですが、それは次回選挙での落選を意味するので絶対に切り出しません。
だから、どうでもよい大臣と福武書店の癒着について議論を行っているのです。
安倍首相と学歴
日本の統治機構の中にいる人、いわゆる支配層たちは、本を読んでいます。
そして、その仲間意識があることは間違いありません。
安倍首相も、家系で成城大学を卒業しましたが、本を書いています。
本を書く大事さをわかっているということは、本を読む大事さもわかっているのです。
世界のエリートたちも本を読んでいる
これは日本だけの話ではありません、世界の統治機構も一緒です。
トランプ大統領も本を書いています。
本を読む習慣があるのです。
ただ、うわさでは10年ほど前から本を読むこと、学習することを止めたともいわれます。
二世と言われたブッシュにしても、毎年100冊以上読むことを習慣としていました。
本を読んでいたから、そこまでの地位に上りつめられたのでしょう。
南北朝鮮のトップは?
北朝鮮の指導者は非常に聡明だと感じられます。
言っていることが論理的です。
皆さんが怖いと思うのは無知だからで、論理的におかしいことはちっとも言っていません。
だから変人のトランプ大統領は、普通の人が躊躇するような相手でも論理的だから話が通じるのです。
反対に韓国の大統領は言っていることがおかしいことに本人が気づいていないから、国が混乱しています。
要するに、話が論理的ではありません。
筋が通っているということ
世界で大事なこととは、日本語風にいえば筋が通っていることになると思います。
読書は紀元前のアリストテレスの時代からずっと永続していることなのに、1ヵ月に一冊も読まない人が増えている今、あなた自身が出世してお給料が伸び、そして我が子がよい大学なんて行けるのかという問題なのです。
本を読んでいる人は、論理的ではない人を無意識に差別します。
まぐれでよい大学に入れても、おそらくよい仲間には出会えません。
優秀な大学を出ているけど、ちっとも成功しない人の典型です。
筋が通っているということは、とても大事なことです。
科学で仮説という言葉があり、その仮説が正しければ、今後その仮説通りのことがすべて起こります。
本を読むことはあなたの人生にマストなことですが、それをやっているからといって成功するということではありません。
読書は成功することの一つの条件です。
ほかにもいろいろな条件があります。
前にも書きましたが、やっちゃいけないことを決めること、これは学校では道徳と言っています。
金も読書同様に普遍の価値を持つ
金が有史以前から人類の共通の価値と認識されるのは、お金という価値からです。
現在では紙切れのお金の信用補完として金が成立しています。
お金が所詮紙切れである以上、金が無価値になることはありません。
人間は目に見えるものしか信用しません。
目に見えないビットコインがいずれ終わるというのはそのためです。
MMTという、借金をいくらでもしてもよいという学説も同じです。
お金なんて所詮紙切れなんだから、ある意味、無限大の借金も正しい、でも借金は返済しないといけないというのが道徳でありモラルです。
やっちゃいけないことをやっているので間違いと考えればいいだけで、ゆえにMMTなんてデタラメなのです。
これだけ借金が膨れ上がっている社会ですから、金が安くなることありますか?
借金が多ければ多いほど、金の価値は上昇するものです。
これも変わらないことです。
自分の人生をうまくいかせたいのであれば、有史以来、本を読むことは当たり前のことです。
それさえもやらなければ、夢なんて単なる妄想で終わることを請け合います。
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