目利きとは?
京セラの創業者である稲森和夫さんは、著書で「良い商品、製品というものは触っただけでわかる」と語っています。
そして「良いモノというものは切れ味が鋭い」とも言っています。
今回は、目利きについて考えてみましょう。
稲盛和夫さんは、もともと日本碍子という会社の創業者で、社名変更して現在の京セラになりました。
碍子とはセラミックになりますが、お客さんの注文に応えるべく商品開発には相当な苦労をされたと語っています。
そのため、セラミックなどの商品は、触った瞬間に切れ味を感じたものはたいていの場合、とてもよい商品であると判断できるとおっしゃっています。
触っただけでその商品のよし悪しがわかるというのは、ある側面で「目利き」と言えます。
めきき【目利き】
①書画・刀剣・器物などの真偽やよしあしを見分けること。また、それにすぐれた人。 「書画の-をする」
②人の性質・才能などを感得する能力があること。また、その人。
③目がきくこと。見分けること。 「どの骨仏やら-がならぬ/浮世草子・好色万金丹」世界大百科事典内の目利きの言及
【鑑定】より
…モレリはまた鑑定においてはそれまでほとんど使われることのなかった写真の利用を最初に唱えた一人でもあった。一方,ドイツ人のボーデWilhelm von Bode(1845‐1929)やM.J.フリートレンダーは長年の経験による直観力を重視する,いわゆる〈目利き〉のタイプである。現代の鑑定はこれらの方法に加え,科学技術の長足の進歩を反映して,物理的・化学的方法をも多分にとり入れている。…
※「目利き」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について |
目利きの定義は上記のようになっており、セラミックを触った瞬間によし悪しがわかるのは、目利きそのものであると言えるでしょう。
目利きと経験
目利きとは、上記のように人や美術品、商品のよし悪しを見抜く力にあります。
この感性はどのように磨かれるのかを考えていきましょう。
目利きとは、その物事に懸命に取り組んだ結果得られる経験だとも言えます。
皆さんも何がしか、懸命に取り組んだことがあるでしょう。
リファスタと信頼
リファスタでは金やブランド品の買取や売却を扱っており、商品の真贋を見抜くことはとても大事なことになります。
もし、買取に関して、偽物をつかまされれば会社の大きな損失になりますし、また誤ってお客様に偽物の金の地金やブランド品を販売したら、「申し訳ございません」では済みません。
一番問題視するのは、法律的問題ではなく、大事なお客様の信用を失う点です。
昨今の世間は、法律的に抵触しなければ何をやってもよいという風潮がありますが、法律的な間違いを犯してもその場限りの損害で済むのに対し、一回偽物を販売してしまったら、人間関係において最も大事な信用を失うことになり、お客様は二度とお店に来ません。
本当のプロフェッショナルになると、金の地金を触った瞬間に本物か否かはわかるものです。
ブランド品であっても変わりがありません。
リファスタでは金や多くのブランド品を扱っており、触っただけ、見ただけでその真贋を見極める社員が多数を占めています。
これは何から来ているかといえば、どれだけ金やブランド品と関わってきたかという点です。
何年も真剣に観察していれば、自然とわかるものなのです。
目利きは後天的な才能
牛丼のチェーン店で、一杯200グラムのご飯を量りを使わずに目分量で盛り付けられる人をすごいというようなテレビ番組がありますが、これがすごいなんて思っている人がいるとすれば、それは社会的な経験不足です。
真剣に丼ぶりにご飯を盛りつけていれば、誰にでも身につく作業であり、この行為自体が「セラミックを触ればその商品の良し悪しがわかる」と一緒のことだと言えます。
つまり目利きとは、いかに真剣にその商品と向き合い、触れ合ってきたかによる後天的な才能です。
あなた自身がそうすれば、必ず身につくものだと言えます。
自分が売りたい、買いたい商品で、そういう能力がないのであれば、もっと真剣に仕事に取り組むべきです。
経験は実行でしか得られない
目利きとは結局、経験です。
であれば、真剣に取り組まなければいけないこと、そして触った感触、見た感触が今までの経験値と違わないかを脳みそが瞬時に判断しているものだとも言えます。
世の中にはさまざまな事象がありますが、こういったことを見抜く力は、経験でしか体得ができないものだと思います。
現在、若い人の間に、AIやビックデータなどでその経験が補足できると考えている人が大勢いますが、世の中知らずの人たちの知見であり、幼いとしか言いようがありません。
「旅行はユーチューブで見て回るれば十分」と言っている若者がいますが、本気で言っているのでしょうか。
年寄りがそういうことを言えば、幼稚な人としか思われませんが、若い人には「そんなことはないよ。実際に見知らぬ土地に行くことが、どれだけ自分を成長させるか体感せよ」と言うでしょう。
経験はAIやビックデータに置き換えられない
経験というものは、AIやビックデータなどの数値に代用できるものではありません。
なぜなら、なんとなく感じるものを数値に転換できないからです。
ビックデータやAIは、数値に変換することによって初めてデータ処理ができるのであって、感じたことはデータ置換などできません。
つまり、経験というものは、その人の唯一無二なものであり、同じ経験をしたとしても感じ方は人それぞれで、活かすも殺すもその人次第なのです。
経験は今しかできないからであり、その間は感性をフルに稼働させ、瞬間を大事にせよということです。
あなたの何歳、何時間、何分という時間は、その瞬間にしか存在しないのですから、真剣に生きていれば、その瞬間でさえムダにできないと感じるはずです。
瞬間、瞬間を大事にしたいから、やりたいことがたくさんあるから、できる限り時間を効率化する、時間を省くという意味で、一秒を濃密に過ごすための時間の効率化という意味では、すごく意味がわかってくるものです。
目利きとロジック、そして脳
目利きとは、自分の経験と矛盾がないことであり、それは感触や見た目だけではなく、思考や行動、言動、すべてにおいて筋が通っていることを指すと言えるでしょう。
若い人には「ロジックが通っている」というほうが通りがいいですが、年配の方には筋道が通っているというほうが腑に落ちるかもしれません。
この筋道が通っているという言葉は、昔から言われている言葉ですが、筋道が通っていることと目利きという言葉はある意味で同義であって、筋道が通っていることを実際にやったとしても、その行動に間違いなどないのです。
間違いを犯してしまったのなら、それは筋道が通っていると勘違いをして行ったからです。
典型的な例は、松田聖子が昔、ビビビ婚というもので結婚をして離婚をしています。
ああいったアーチストの方は、そういう感性を大事にしますが、彼女自身がビビビときた感性が間違っていただけの話です。
目利きとは、たくさんの経験をしてきて、その筋道が立っていることを脳が本能的に判断するということだと思います。
筋道が立っていると、筋道から外れた理由もすぐにわかるのです。
人間の脳は素晴らしいものであり、認知機能をAIに代用させるなんて、ダイヤモンドを捨てて石ころを拾うようなものだと言えるでしょう。
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