大判小判&古銭の総合カタログ!第7回「元禄小判」

元禄小判の特徴

参照元:東京大学学術資産等アーカイブズポータル

元禄小判は、裏面の「元」の文字が打たれているためほかの小判と区別がつきやすい小判です。

元の字は発行された年代を示す元禄をあらわしており、他の小判にはない特徴です。

 

記録には佐渡金山にあった金座でも作られたとの記述が残されています。

しかし現在に至るまで一枚も見つかっていないため、実際には作られなかったという説が有力となっています。

 

流通時期

1695年(元禄8年)~ 

※改鋳のたびごとに通用停止とする触書を出すも、幕末に至るまで通用された

発行枚数

13,936,220両

※一分判(1/4両)二朱判との合計

おもて面

形状 一般的に「小判形」と広く使われるだ円形

表面 墨書を極印に改める。全体的に打目(ござ目)が彫られる。

※金の純度を示すために金をたたいて伸ばした。また装飾、偽造防止の意味も含む。

 

極印上下 扇枠に囲まれた五三桐(ごさんのきり)

極印中央 上下に方形枠に囲まれた「光次(花押 明朝体)」の極印 中央に「壹両(=「壱両」)」の極印

極印下部 左下に金座・小判師の験極印(直径11~13mmの花押) 左右に吹所棟梁の小験極印1~2個 両替屋の刻印が複数ある場合も

うら面

極印中央 直径11~13mmの「光次(花押 草書体) 」の極印 花押の左に「元(元のはねが長い長元と短い短元がある)」の打印

極印下部 左下に金座・小判師の験極印 吹所棟梁の小験極印(大吉など縁起の良い組み合わせの小判は七福小判と呼ばれ人気があった)

元禄小判のサイズと重さ

サイズ

縦 69~73ミリ 横 38~39.5ミリ

※小判は、サイズに多少の差が生じます。

鋳型に流し込んで作るのではなく「金塊をたたいて薄く延ばす → 金の板を一両分の重さに専用のはさみで切る → 小判の形に打ち延ばす」という製法で作られています。

重さ

17.70グラム 前後

元禄小判の金の含有量

金の含有率は58%前後

元禄小判の歴史的背景

元禄小判は、元禄改鋳(慶長小判から大幅に純度を落とした)で作られた小判です。

この元禄改鋳により江戸幕府は、500万両の改鋳利益を手にしたといわれています。

 

そしてもう一つの目的が幕府の目指す統一通貨の大きな壁となっていた関西の大商人たち「上方の銀遣い」をつぶすべくおこなわれたという背景があります。

元禄小判が登場した徳川綱吉の時代は「明暦の大火」などの災害などにより江戸幕府の財政は疲弊していました。

 

そこで元禄改鋳の発起人となったのが当時勘定吟味役だった「荻原重秀」です。

銀が奪われることを危惧した大阪の商人たちは、銀を市場からひきあげるなどの抵抗を示したといわれています。

 

そのほかオランダ商人による金の買い占めなどインフレにブレーキがかかったことで、元禄の改鋳は物価を上昇させることなくソフトランディングを果たすことになります。

実際人々の暮らしにとっても、実質所得を上昇させる効果があり、このころ元禄文化がはなさいたことにもあらわれています。

 

一時は勘定奉行にまで上り詰めた荻原重秀でしたがその映画は長く続きませんでした。

綱吉の死後にめきめきと頭角を現した新井白石には「権現様の慶長小判をはずかしめた」と憎まれついには幕府から追放されました。

 

しかも失脚後は謎に満ちた亡くなり方をしています。

たとえ江戸幕府への忠誠心による行いだったとはいえ、周囲への気配りなしに過度の成功おさめるとろくなことはない、ということでしょうか。

興味のある方は2016年に出版された「風聞き草墓標 諸田玲子著」をぜひご一読ください。

元禄小判の買取相場の目安

過去10年間の元禄小判の取引実績を検証してみました!

大手古銭買取店5社の平均取引価格は「50~150万」となっています。

 

元禄の改鋳により、品位が低下したとはいえ重量18グラム、58%を誇る純度の元禄小判は貴金属価値も十分あります。

 

コロナショックなど、社会そして経済に不安要素が高まる時期には、貴金属をはじめとする動産の価値が高まります。

今後さらに高値更新が期待できます。

大判小判マニアなら知っておこう!「7大判小判伝説のコレクター大川功氏」

あの天正大判も!トーハクに寄贈された一大コレクション

トーハク(国立東京博物館)には日本有数の大判小判のコレクション数を誇ります。

この一大コレクションに大きなウェイトを占めているのが、日本有数の実業家である「大川功」氏です。

江戸時代の大判小判をすべて網羅する規模104枚もの膨大なコレクションには、現存数わずか6枚とされる「天正菱大判」も含まれています。

大川功氏の人物像

戦前の大阪・船場といえばまさに大阪商人の町。

大川功氏は船場の服地問屋に生まれ、典型的な「船場のぼんぼん」として育ちました。

しかし肺を患い、20代のほとんどを闘病に費やす辛い時代がありました。

 

病気から快復した後は従業員数20名ながら、ふるさと大阪で「CSK株式会社(現在のSCSK。2011年住商情報システムと合併)を立ち上げます。

船場のDNAがなせるものか、商才に長けた大川氏はわずかの間に関連企業30数社、売上高1兆円を超える国内最大手IT関連企業グループにまで成長させます。

その後は上場を報を果たした後、セガ、アスキーなどの日本を代表するITベンチャー企業の経営者を歴任してきました。

 

食道がんが発見され、2001年には74歳で死去。

 

寄贈された膨大な数の古金貨国レクションは生前に集められたもの。

生前に会長を務めていたセガより寄贈されました。

大川功コレクションの全104枚の全貌を知るには

大川功氏が寄贈した大判小判、そして金貨や銀貨のすべては、残念ながら常設展示されていません。

しかしコレクションの全貌は、「日本古金銀貨図録」に収められています。

 

104枚のコレクションの全貌を知りたい方は、この図録を入手することをおすすめします。

埋立地から発見された謎の大判小判!トーハクの興味深いコレクション

発掘された小判

大川功コレクションもさることながら、トーハクには興味深い背景を持つ大判小判コレクションがほかにもあります。

 

たとえば東京・深川の埋め立て地へ運んだ土の中から発見された、慶長小判、正徳小判、享保小判などです。

実はその土は現在の「銀座コマツ」のビル敷地内から運ばれたものでした。

江戸時代の町人たちの住まいがあったエリアだったことはわかっているものの、だれが何のために埋めたものなのか現在も謎のままです。

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