大判小判&古銭の総合カタログ!第10回「享保小判」

享保小判の特徴

参照元:神奈川歴史博物館

享保小判は、正徳小判が作られた翌年に発行された小判です。

正徳小判が「慶長小判」の再現を目指したもののサイズが小さく(すなわち金含有が低い)、評判が芳しくなかった事を受け新たに発行されました。

 

特に改鋳やお触れ書きが発表されることなく例外的に発行された小判ですが、作られた時期が享保年間に集中しているため享保小判と呼ばれています。

流通時期

1715年(正徳5年)

発行枚数

213,500両

※一分判(1/4両)との合計

おもて面

参照元:神奈川県立歴史博物館

形状 一般的に「小判形」と広く使われるだ円形

表面 墨書を極印に改める。全体的に打目(ござ目)が彫られる。

※金の純度を示すために金をたたいて伸ばした。また装飾、偽造防止の意味も含む。

 

極印上下 扇枠に囲まれた五三桐(ごさんのきり)

極印中央 上下に方形枠に囲まれた「光次(花押 明朝体 重光次)」の極印 中央に「壹両(=「壱両」)」の極印

極印下部 左下に金座・小判師の験極印(直径11~13mmの花押) 左右に吹所棟梁の小験極印1~2個 両替屋の刻印が複数ある場合も

うら面

参照元:神奈川歴史博物館

極印中央 直径11~13mmの「光次(花押 草書体) 」の極印

極印下部 左下に金座・小判師の験極印 吹所棟梁の小験極印(大吉など縁起の良い組み合わせの小判は七福小判と呼ばれ人気があった)

※「弘」または「久」の極印も見つかる。しかし意味は不明

享保小判のサイズと重さ

サイズ

縦 69~73ミリ 横 38~39.5ミリ

※小判は、サイズに多少の差が生じます。

 

鋳型に流し込んで作るのではなく「金塊をたたいて薄く延ばす → 金の板を一両分の重さに専用のはさみで切る → 小判の形に打ち延ばす」という製法で作られています。

重さ

17.70グラム 前後

享保小判の金の含有量

金の含有率は86.8%前後

享保小判の歴史的背景

享保小判は、正徳小判の発行すなわち正徳改鋳の翌年に発行されました。

特に吹替を目的とした発行ではなく改鋳も行われていません。

 

享保小判が作られた背景には、慶長小判の再現を目指した正徳小判の品位をも初期の純度(84.29%)にあわせたことから不評を買ったことがありました。

後期の慶長小判は「見増の位(三代目後藤庄三郎良重以降の品位)」と呼ばれる実に86.79%の純度を誇りました。

享保小判の買取相場の目安

過去10年間の享保小判の取引実績を検証してみました!

大手古銭買取店5社の平均取引価格は「15~50万」となっています。

しかし2020年前半の金価格は上昇基調にあります。

また2021年に延期となった2020東京オリンピック開催により海外渡航客数の増加が見込まれることから、「骨董」「アンティーク」「日本美術」の観点から人気が上昇しさらなる高値が期待できます。

大判小判マニアなら知っておこう!「10刀剣乱舞課金アイテムでおなじみの甲州金とは?」

参照元:https://commons.wikimedia.org/w/index.php?search=%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%8E%84&title=Special:Search&go=%E8%A1%A8%E7%A4%BA&uselang=ja&ns0=1&ns6=1&ns12=1&ns14=1&ns100=1&ns106=1&searchToken=4t5czctp0wrui4tiixlcmc3v1#%2Fmedia%2FFile%3AKira_Yoriyasu.jpg

ドラマ風林火山やゲーム刀剣乱舞に登場!甲州金

熟年世代にはNHK大河ドラマ「風林火山」、若い世代にはオンラインゲーム「刀剣乱舞」の課金アイテムとして知られる甲州金。

その名のとおり戦国時代から江戸時代にかけて武田信玄が征服した「甲州(山梨県)」で作られ流通していた金貨です。

甲州金の最大の特徴は、江戸幕府による貨幣制度がしかれたあとも、例外的に領地内での製造・通用が認められていたことです。

 

また甲州金が採用した「1両=4分=16朱」の4進法の制度を、江戸幕府が採用したともいわれています。

16世紀から続く甲州金の歴史

甲州金がはじめてつくられたのは、16世紀中期あたり武田信玄の父である武田信虎の時代になります。

その後甲州金製造の責任者となる「金座」松木家からすすめられたこと、そして現在の静岡市梅ケ島地区にある梅ヶ島金山を手に入れたこと、などを契機として本格的名甲州金の製造がはじまりました。

武田時代に製造された「古甲金」ならば大判を超える81~83%の純度を持つ甲州金は、ハイレベルな金の精錬技術を裏付けるもので、非常に信用力の高い貨幣でした。

くわえて甲州においては年貢をこの甲州金でおさめることができ、米の値段が上がれば農民にとっては有利となりました。

そのような事情もあり、民衆からの甲州金存続の声が強かったため、家康も甲州金の流通を認めざるを得なかったのでしょう。

甲州金の謎!ヨーロッパコインの影響あり?

古銭、古貨幣マニアやコレクターの間では常識となっている甲州金だけが持つ謎があります。

それは明治以前の日本の貨幣のなかで甲州金だけが、金の粒を叩いて(打製)丸く延ばし、表裏面に刻印を打つ「圧印」という製造方法でつくられていることです。

大判小判も金の板をたたいて作るという意味ではよく似た製法を採用しています。

 

しかし甲州金は大判小判が登場する前から製作されているのです。

日本の貨幣は中国と同じように、金属を鋳型に流し込む鋳造(ちゅうぞう)という方法で造られてきました。

 

逆にこの頃の西洋世界においては、鋳造による貨幣製造の歴史はなく、甲州金はヨーロッパコインのDNAを受け継いでいる可能性があるのです。

海を持たない甲州に、海を越えて打ち寄せた異文化の波の跡を感じることができます。

レアアイテム「古甲金」を探そう!

甲州金には、

  • 「古甲金」1688~1704年の元禄・武田時代に造られた(1両など高額貨幣あり)
  • 「新甲金」1704年以後の徳川時代に造られた(一分二朱一朱朱中のみ)

の2種類があります。

 

より価値が高いとされるのが「古甲金」です。

年代がより古くなりアンティーク価値が増すこともさることながら、金純度が80%以上あります。

対して新甲金の金純度は60~70%台となっています。

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