一分銀の特徴
一分銀は、南鐐二朱銀の次に登場した江戸時代に流通した銀貨です。
貨幣に印字した額面で流通する「計数銀貨」としての南鐐二朱銀の成功のあとに江戸時代に流通した金貨です。
金貨である一分金と同じことを示す「一分」の文字が打たれている通りに、額面「1/4両」として流通していました。
幕府の悲願であった通貨統一が達成されたことになりますが、この後起こる小判流出によって大きく体制が揺らぐことになります。
発行時期によって「天保一分銀」「安政一分銀」「貨幣司一分銀」があります。
流通時期
1837年(天保8年)~
発行枚数
- 天保一分銀 78,916,556枚
- 安政一分銀 101,884,600枚
- 貨幣司一分銀 4,267,334枚
形状
長方形
おもて面
額縁仕様 小さな桜花刻印が20個
- 極印 「一分銀」
- 側面 天保一分銀には「桜」の印が3つある
※天保一分銀のなかで、表面に「庄」の極印があるものは「庄内一分銀」と呼ばれる
うら面
極印 「定(陰刻 鋳出された浮き彫)」および「銀坐」「常是(陽鋳 彫り出された凹み彫」
一分銀のサイズと重さ
一分銀は全種類サイズ、重さともにほぼ共通です。
サイズ
縦 15.2ミリ前後 横 9.5ミリ前後
重さ
8.62グラム前後
一分銀の銀の含有量
銀の含有率は80.66~98.86%前後
- 天保一分銀 98.86%
- 安政一分銀 89.36%
- 貨幣司一分銀 80.66%
一分銀の歴史的背景
一分銀は、開幕当初からの徳川将軍家の目指した貨幣統一のシンボルとして記念すべき銀貨です。
外圧の影響を受けることのない鎖国という特殊な環境下にあったとはいえ、日本史上初の額面で流通する通貨体制が確立したことは大きな一歩でした。
しかしその後の小判流出のもととなった洋銀と一分銀の交換比率の不平等さにより、大量に小判が海外に流出するという重大事案にみまわれます。
日本に安定した通貨体制が確立されるのはもう少し後のこととなります。
一分銀の買取相場の目安
過去10年間の一分銀の取引実績を検証してみました!
大手古銭買取店5社の平均取引価格は「2~15万」となっています。
1868年~1869年に発行された明治一分銀とも呼ばれる貨幣司一分銀は特に希少価値が高い古銭です。
「骨董」「アンティーク」の観点から人気が上昇しさらなる高値が期待できます。
大判小判マニアなら知っておこう!「22 教養としての小判知識:歌舞伎「四千両小判梅葉」」
伝説の役者5代目菊五郎初演の名作歌舞伎
伝説の歌舞伎役者「5代目尾上菊五郎」「3代目市川九蔵」の初演から現在まで黙阿弥の名作として親しまれてきました。
幕府補金庫から4千両強奪!大胆不敵極まる泥棒劇
四千両小判梅葉は、明治に入り江戸の不在が失われるのを惜しみ、町人の暮らしを描いた「白波もの」で知られる河竹黙阿弥の作品です。
1855年に実際に起きた実話をベースとしており、初演は明治18年に行われました。
遊女お辰に入れあげた藤十郎が富蔵に誘われ、タッグを組んで「御金蔵(幕府の金貨と銀貨の収納庫)」破りを計画します。
まんまと4千両を盗み出す事に成功するものの、最後はお縄にかかり支柱引き回しの上磔となるというストーリーです。
見どころは何といっても「西大牢の場」。
実際に牢役人をつとめた役者が演技指導をしたこともあり、大変にリアルで真に迫ります。
「地獄の沙汰も金次第」
「ここは地獄の一丁目」
現在も目にするおなじみのセリフがこの芝居で生まれました。
ゆかりの地は現在の「十思スクエア」
人形町にある旧十思小学校の跡地にある「十思スクエア」に、四千両小判梅葉スポットが残されています。
ここが実際に富蔵と藤十郎が入れられる場面「西大牢の場」の舞台となった「小伝馬町牢屋敷跡」です。
ちなみに四千両小判梅葉の読み方は「しせんりょうこばんのうめのは」になります。
「よん…」といってしまうことのないようご注意を。
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