二朱判の特徴
二朱判は、「二分金」「二分判金」とも呼ばれる小判と同様に江戸時代に流通した金貨です。
額面「1/8両」として流通していました。
「元禄二朱判」「天保二朱判」「万延二朱判」の三種類があります。
コレクターには、「逆打」と呼ばれる表面と裏面の刻印が逆になっているエラーコインが特に人気です。
流通時期
1697年(元禄10年)~
発行枚数
- 元禄二朱判 1,600,000枚
- 天保二朱判 103,069,602枚
- 万延二朱判 25,120,000枚
おもて面
形状 長方形
上部 扇枠に囲まれた五三桐(ごさんのきり)
下部 縦書き「二朱」 ※元禄は横書き「朱二」
うら面
上部 「光次」の刻印
下部 「光次」の花押
右上 元禄のみ発行年代を示す刻印あり
二朱判のサイズと重さ
サイズ
縦 23ミリ前後 横 13ミリ前後
重さ
- 元禄二朱判 2.23グラム
- 天保二朱判 1.64グラム
- 万延二朱判 0.75グラム
二朱判の金の含有量
金の含有率は年代によって22.93%~56.3%前後
- 元禄二朱判 56.3%
- 天保二朱判 29.88%
- 万延二朱判 22.93%
二朱判の歴史的背景
二朱判は、同時に発行された小判と共通したデザインを持ちます。
たとえば万延二朱判なら万延小判と同様に時代印がありません。
大判小判はじめ古銭の見極めは、このような貨幣ごとの特徴ポイントをつかんでおくことが大切です。
二朱判の買取相場の目安
過去10年間の二朱判の取引実績を検証してみました!大手古銭買取店5社の平均取引価格は「10~30万」となっています。
逆打ちはさらに高値を呼ぶレアアイテム!
高額査定が見込めます。
大判小判マニアなら知っておこう!「18 本当にあった大判小判ザクザク!実在した「埋蔵金」東京編
戦後の埋蔵金発見数は50件以上!
1868年江戸城無血開城の日、官軍が真っ先に向かったのは江戸城内の徳川幕府の御金蔵でした。
徳川幕府の御用金として大判小判がザクザク、のはずでしたが、期待に反してなんと蔵のなかは空っぽでした。
その日から明治新政府による徳川幕府埋蔵金捜索が始まったのです。
しかし幕府最後の勘定奉行であった小栗忠順はその数日前に処刑されています。
小栗忠順の死によって、真相は闇に消えたことを考えれば口封じとも思えます。
しかし大判小判の埋蔵金伝説は徳川埋蔵金だけではありません。
また実際に埋蔵金が発見された事例は戦後だけでも50以上!
ここでは実際に発見された東京及び東京近郊の埋蔵金についてご紹介します。
埋蔵金を発見したあなたがすべきこと
結論から言えば埋蔵金発見後は速やかに警察に届け出ましょう!
埋蔵金は「遺失物法」の適用を受けます。
勝手に自分のものにしてしまうことは絶対にご法度!
発見後は警察に届け出ておけば、3ヶ月以内(法改正前の平成19年12月10日 以前は6ヶ月だった)に埋蔵金の正当な所有権を持つ人があらわれたとしても価格価値の5%~20%分を遺失物法の報労金として請求する権利を得ることができます。
もし見つけた場所が他人の土地なら土地の所有者都市と折半、自分の土地で見つけることができたなら100%自分のものにできます。
報労金を受け取る権利を得るために、埋蔵金を見つけたらかならず7日以内に届け出ましょう。
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お問い合わせ実例紹介:「文政小判金と元文小判金を買い取りしていただきたいのですが、お取り扱いしておりますか?」
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