バスキアのアートスタイル
バスキア作品の特徴と魅力・評価ポイント
特徴と魅力
1988年に27歳の若さでこの世を去ったバスキア。
わずか10年の活動期間に3000点もの作品を残したグラフィティアーティストの先駆者です。
2017年に「ZOZOTOWN」前オーナー前澤友作氏が123億円で落札した「Untitled」も展示され話題となりました。
2019年には日本ではじめての大規模展「バスキア展 メイド・イン・ジャパン」が「森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ)で開催されました。
バスキアの魅力は、クラブのDJのサンプリングのようにさまざまな要素のミックスが楽しめること、そして作品を自分なりの解釈で「謎解き」を楽し占める点にあります。
一見落書きめいたタッチの絵や記号、そして文字が埋め尽くすキャンパスの中にいくつもの暗示が隠されているのです。
たとえばバスキアが好んで使用したモチーフに次の3つあります。
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頭蓋骨
2017年前澤氏が123億円で落札した落札した絵画にも使われたモチーフ。
頭蓋骨は、ハイチをはじめとするカリブ海の島々やアフリカのトーゴ共和国やベナン共和国で信じられているブードゥー教のシンボル。
バスキアの父親はハイチ出身だった。
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王冠
バスキアの絵によく用いられる3尖頭の王冠。
「Tuxedo タキシード」や「King Alphonso アルフォンソ王」など貴族的な意味を込めて使用されるケースが多い。
ウォーホルを表すW という文字を意味するとに番組「リトル・ラスカルズ」のキャラクターの角が生えたような髪形に由来するとも複数の説あり。
盟友キースヘリングは、「ジャンミッシェルバスキアのための王冠の山」というバスキアにささげた絵を描いた。
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言葉
バスキアの作品の大半は、記号化された画像と大量のテキストで構成されています。
著名な美術評論家「ロバート・ストー Robert Storr」はこのバスキアのスタイルを「アイラップ」と名付けました。
またあまり知られていませんが日本は世界有数のバスキアコレクター王国です。
ちょうどバスキアの全盛期はバブル期と重なったことで、アートに予算をかける余裕が公営美術館や企業に余裕があったことが幸いしました。
ウォホールの秘蔵っ子であり、今一番勢いのあるNYの若い黒人アーティストだったバスキア作品は十分魅力的な存在でした。
個人、企業そして公的美術館にバスキア作品が大量に日本に流入しました。
実はバスキア作品はそのほとんどが個人蔵となっており、直に鑑賞できる機会は多くありません。
しかし日本は5つの公立美術館がバスキア作品を所有していることから、実際にバスキアを鑑賞できる稀有な国なのです。
また3回来日経験のあるバスキアは親日家だったといわれ、「おりがみ」「五重塔」「ひらがな」など彼の心をとらえた日本的なモチーフが多く見受けられます。
若くしてこの世を去ったアーティストが残した作品には、日本を愛してくれた名残を見ることができるのです。
評価ポイント
バスキアがアート界に与えた最大の功績は、それまで「アートとして評価に値しない」とみなされてきたストリートアート(グラフィティアート)を、ファインアートとして評価される対象に引き上げたことです。
そしてもうひとつがアートを万人に分かりやすいものに引き戻したことです。
バスキア登場前のアート界は、戦後しばらく続いていた難解な表現のコンセプチュアル・アートやミニマル・アートに退屈しきっていました。
行き過ぎた観念的な作品ではなく、少なくとも「何が描かれているかわかる」ものを求めていました。
そこに登場したバスキアは、80年代としては新しいタイプのアーティスト(黒人の若者のストリートアート)、シンボルやテキストを組み合わせたクールな表現で人々を魅了しました。
また、ポップアート界のキングとして成功をおさめていたアンディウォホールとの蜜月ぶりも、芸術愛好家の心をつかみました。
そして本人が白人富裕層にも受け入れられる「シックさ」を身につけたキュートな若者だったことも、彼をスターの座に押し上げた大きな理由でした。
バスキアが短期間のうちに裕福なアートコレクターたちに熱狂的に迎えられた背景には、このような新しいスター、新しい表現を待ち望んでいたアート界の渇望があったからでした。
しかしキャリアの後半は、あまりにも早くスターとなった反動で飽きられた感のあるバスキアは、失意のうちにこの世を去りました。
また、残念ながら亡くなった当時、バスキア作品は正当な評価を受けているとはいえませんでした。
1980年代当時はまだ白人男性優位社会だったこと、バスキアが正当な美術教育を受けていない黒人青年だったことが、高い評価を受けにくくしていたのでしょう。
美術館もバスキア作品には冷淡で、バスキアを所蔵する美術館はほんのわずか、限られた数の作品が残されているだけです(モダンアート作品を大量に擁するMOMAですら20点足らず)。
しかし、1992年に大規模な回顧展を契機に行われたバスキア作品の再検証によってゆるやかに評価が高まっていきました。
改めてバスキア作品には彼のルーツであるアフリカを内包していることが高く評価されました。
他のニューペインティング、新表現主義のアーティストとは一線を画すバスキア作品の独自性が認められたのです。
現在ではオークションで最も高額価格が期待されるアーティストの一人となっています。
バスキアのプロフィール
幼少期
1960年米国NYブルックリンに生まれる。
ハイチ出身の会計士の父親とプエルトリコ系の母親は、長男を亡くしたばかりだった。
二人の妹ともに、当時の黒人家庭としてはアッパークラスといえる「(白人社会における)中流家庭」に育つ。
4歳のころには父親が家に持って帰った書類の裏に絵を描くことに熱中した。
母親はバスキアに貧困撲滅政策の一環としてジョンソン元大統領が創設した「ヘッドスタートプロジェクト」に参加し絵を習わせた。
さらに感性を磨くためブルックリン美術館やニューヨーク近代美術館(MOMA)メトロポリタン美術館(MET)に足しげく連れて行った甲斐あってバスキアは成長の早い段階でアートの素養を身につける。
1967年交通事故で生死をさまよう。
回復後に母親が与えたのがヘンリー・グレイの解剖画集「グレイの解剖学」だった。
人体解剖図に大きな影響をうけ、のちの作品の中に頻出するようになる。
英才教育の甲斐あって、小学校を卒業するころには絵画の卓越した技術はもちろんのこと英語スペイン語フランス語を流ちょうに話せるようになっていた。
また、学校一のスプリンターでもあり、周囲には「心技体が備わった天才少年」とみなされていた。
しかしその一方父親からのDV、両親の離婚、母親が精神を病むなど家庭生活は悲惨だった。
創作初期
1976年普通高校から転校したアートスクールを中退。
1978年校内新聞を発行していた仲間アル・ディアスとともに「SAMO=Same Old Shit(いつもと同じ)」の名でグラフティアーティスト・デュオとして活動。
マンハッタンそしてブルックリンのストr-トが彼らのキャンバスとなり、タグには著作権記号「C」が目印となった。
実家を飛び出していたため絵を描いたTシャツやポストカードも製作した。
アンディウォホールにも売り込んだことが二人が知り合うきっかけとなった。
1979年テレビ出演をめぐる仲たがいによりSAMO解散。バスキアが「SAMO IS DEAD」とストリートに記したことで周囲が知る。
創作中期
1980年タイムズスクエアで行われたパブリックグループショーに参加。実質的なアート界デビューとなる。
1981年P.S.1(コンテンポラリー・アート・センター)主宰「ニューヨーク・ニューウェイヴ、キース・ヘリング企画「ロウワー・マンハッタン・ドローイング・ショー」に参加。権威ある美術評論誌「アートフォーラム」に取り上げられる。
1982年最初の個展。同年ドイツで5年に一度開催される国際美術展「ドクメンタ」に参加。
1983年ウォーホル所有のビルにアトリエ開設。
1985年ウォーホルとの2人展を開催。
創作後期・現在
1987年ウォホール死去。
重要なサポーターを失ったことのショック、ジェフ・クーンズら「Neogeo」派の台頭による人気の低迷などから次第に鬱症状に悩むようになる。
1988年8月12日ニューヨークのグレイト・ジョーンズ・ストリートのロフト死亡。原因はコカインとヘロインの過剰摂取によるもの。
1992年ホイットニー美術館(ニューヨーク)で回顧展が開催。
2000年代後半から作品単価が上昇。
2017年前澤友作ZOZO前オーナーが《Untitled》(1982)を約123億円で落札
同年オノヨーコが「CABLA」を1,095万3500ドルで売却
バスキアの代表作
「Horn Players」
当時人気のジャズプレイヤー二人を描いたもの。
サックス奏者の「Charlie Parker Jr.」トランペット奏者の「Dizzy Gillespie」。
パブロ・ピカソ作「三人のミュージシャン」にインスパイアされた。
「In Italian」
1983年に描かれた典型的なバスキアスタイルの構図の作品。
大胆な色使いと多量のテキストで構成。
アクリル絵具だけでなくクレヨンを使用した作品
「Boxer」
元のオーナーは90年代最高のドラマーの一人とされる「メタリカ」のラルスウルリッヒ。
マイホーム資金調達のため「プロフィットI」と一緒に売却した。
バクサーの笑顔、筋肉などを大胆なグラフィティスタイルで描いた。
バスキアの市場価格・オークション落札情報
「Untitled」57,285,000米ドル
キャンバス(238.7×500.4cm) アクリル
2016年5月10日 クリスティーズ/ニューヨーク
「Dustheads」48,843,750米ドル
キャンバス(182.8×213.3cm)アクリル、オイルスティック、スプレーエナメル、メタリックペイント
2013年5月15日 クリスティーズ/ニューヨーク
「Untitled」110,480,007,500ドル
5月18日サザビーズ/ニューヨーク
バスキアの作品と出会える場所
ベネッセハウスミュージアム(香川)
「グア・グア」 1984年作 ※グア・グア=guagua 中米ではバス、南米では赤ん坊を意味する
ミュージアムではなく併設するレストランの壁に飾られている。
常設しない美術館が多い中貴重な存在。
北九州市立美術館(福岡)
「消防士」1983年作 164・8cm×230cm 収蔵
バスキアとガールフレンドのいさかいの仲裁役を「消防士」にたとえた作品
福岡市美術館(福岡)
「Untitled」1984年作 195.5cm×223.5cm 収蔵
幼少期に読んだ「グレイの解剖学」の影響と思われる人体表現、「BIG BAGODA」と書かれた五重塔がみられる
https://www.fukuoka-art-museum.jp/
バスキアの最新トピックなど
2010年代後半はバスキアに関するニュースが相次ぎました。
オークションの高額落札のニュースが続くほか、2017年にはドキュメンタリー映画「バスキア10代最後のとき」が公開され、2019年には国内初めての大展覧会が開催されました。
そしてアメリカ本国の人気ブランド「COACH」は、2020-21年秋冬コレクションにバスキアのアートを採用。
バスキアの作品をあしらったコートやニット、バッグがコレクションラインに並びます。
このように死後30年以上たった今も、バスキアはアートコレクターの購入リストのトップであり、ファッションアイコンでありつづけています。
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