リ・ウーファンのアートスタイル
リ・ウーファン作品の特徴と魅力・評価ポイント
特徴と魅力
(壁に直接描かれるため)展示会のたびに消失してしまう異色絵画「ダイアログ」など、実験的な作品世界で知られるリ・ウーファン。
2010年香川県の直島に設立された安藤忠雄設計による「李禹煥(リ・ウーファン)美術館」は多くの観光客を集める人気スポットです。
青年期から日本で暮らしてきたリー・ファンは、長く日本の大学で教えながら創作活動を続けてきました。
学生時代は哲学を学び、理論と創作の両面から日本現代美術の重要ジャンルのひとつ「もの派」をリードしてきた重鎮の一人です。
長年の活動が再評価された現在では、オークション落札価格が億を超える国際的に最も成功したアジア人アーティストでもあります。
リ・ウーファンの主な表現手段は、
ガラスや鉄板などで構成される「対象物の配置のみ」のインスタレーション
「点より」「線より」「風と共に」「照応」シリーズの線や点で構成された絵画
です。
「もの派」と呼ばれる通りに、空間やキャンバスに砂や石の「もの」、あるいは「筆のあと」をただ配置することで見えてくる「なにか」こそリ・ウーファンの表現なのです。
ウーファンの作品は一言でいうと「あるがままの世界との出会い」を私たちに提示します。
対象を描き切り、あるいは作り込む作業とは真逆の作品のうけとめかたはすべて見る人にゆだねられています。
見るたびに、自らの心のありようを映すかのように感じ方が変わるのがリ・ウーファンの作品群です。
この「あるものを別のものとして見る」というもの派のアプローチは、茶碗などの陶磁器の肌に「景色を見る」茶道に通じるものがあり
日本人には受け入れやすい理論でした。
実はリ・ウーファンは在日韓国人に対する偏見などにより決して恵まれたアーティストとはいえませんでした。
大学教授という地位を得ながらも、日本とフランスとの2重生活をつづけたことからもうかがえます(現在は鎌倉在住)。
また彼のたどった歴史も平坦なものではありませんでした。
幼少期のリ・ウーファンは、村人すべてが共通のルーツと苗字を持つ極端に閉鎖的な貧しい農村で育ちます。
そして仏教と儒教の教え、そしてシャーマニズムに満ちた暮らしを経験します。
(「書院」と呼ばれる私設塾で詩書画や老子や荘子などの儒教思想などの教養は身につきましたが)
長じて青年期には社会運動に身を投じ、死を覚悟したほどの当局の拷問を受けた壮絶な過去を持っています。
朝鮮半島における激動の時代を文字通りに生き抜きました。
どこにも作為が感じられないリーファンの作品は、2005年に横浜美術館で開催された個展タイトルそのままに「余白の芸術」と呼ぶにふさわしい静謐に満ちています。
しかし実際にはこのような背景のアーティストが突きつける作品なのだと知ることで、リ・ウーファンワールドをより深く味わうことができることでしょう。
評価ポイント
リ・ウーファンは戦後日本の重要な美術潮流「もの派」のリーダーとみなされ、特に海外での知名度が高いアーティストです。
エトムント・フッサールの「現象学」ほか近代哲学から現代美術表現を分析構築してきた先駆者でした。
自身の創作と独自の視点での美術評論を同時進行で展開してきた(時に持論が作品への理解を妨げたとしても)稀有な存在です。
また祖国韓国では、もの派と同時期の1970年代中頃よりはじまった韓国美術の動向「単色画(ダンセクワ)」の中心的な作家でもあります。
韓国アートの台頭も追い風となって、日韓共通のコンテンポラリーアートのキーパーソンとして国際的な評価を高めています。
その一方で日本国内では在日韓国人への偏見などから正当な評価を受けてきたとはいえませんでした。
しかし自分を取り巻く環境と距離を置き、持論と創作をたゆまず続けてきたその姿勢をリスペクトするアーティストは多く
ネオポップの旗手である「村上隆」も、リ・ウーファンに刺激を受けて「スーパーフラット」理論を打ち立てることを誓ったことをインタビューで語っています。
近年においては韓国抽象美術が再評価されたこと、欧米で相次いで個展開催があったことから、現在ではアジア美術の代表としてのポジションを確立しています。
リ・ウーファンのプロフィール
幼少期
1936年に韓民国慶尚南道の農村「咸安」に生まれる。
当時は日本の植民地支配下だった。
シャーマニズムと仏教、そして儒教思想が支配する閉鎖的な村で育つ。
祖父が日本の教育を受けることに反対だったため(新聞記者だった父親は不在)小学校入学が1年遅れた。
日本の敗戦、朝鮮戦争勃発を小学校中学校時代に経験する。
釜山の名門高校(ソウル大学付属)に進学。
画家になるつもりはなかったが、学校推薦を受けるために仕方なく美大を受験。
青年期・学生時代
1956年ソウル国立大学での学長を中断。
同年横浜の叔父に薬を届けるため(李家は薬師の家系)密航船で来日。
1957年李承晩の独裁政権を嫌う叔父の説得により拓殖大学に入学
(第二次世界大戦前は外地での人材育成を目的とした機関だったため、戦後も韓国人を含む日本語を習う外国人を受け入れていた)
1958年日本大学文理学部哲学科に入学し、ハイデガー、ニーチェ、西田幾多郎ほか近代哲学を学ぶ。
1962年大学卒業後は日本画を学ぶ。
韓国時代のリ・ウーファンは、南北統一運動と軍事政権反対運動に身を投じていた。
共産色の強い「統一朝鮮新聞」のメンバーとして自身の絵を売って活動資金に提供していた。
1964年帰国直後に韓国中央情報局(KCIA)によって逮捕され1週間にわたって拷問を受ける。
この時期に投獄・処刑された関係者が多数いた。
帰国後は朝鮮奨学会のギャラリーの美術品や骨董品の整理、古典のためのアーティスト誘致を手掛ける。
美術評論家のヨシダ・ヨシエ、石子順造、赤瀬川原平と知り合い日本カルチャー界に人脈を広げる。
創作初期
1967年最初の個展をサトウ画廊で開く
この頃は、草間彌生がNYで唐十郎が西新宿で盛んに行っていた「ハプニング」と呼ばれるパフォーマンスアートに影響された作品が多かった。
1969年「事物から存在へ」が美術出版社の芸術評論賞で佳作受賞し美術評論に本格的に取り組む。
1970年には菅木志雄、関根伸夫らと「美術手帖」で「発言する新人たち」のタイトルで特集が組まれる。
戦後の日本のコンセプチュアルアートの第一人者となっこの時のメンバーが後に「もの派」と呼ばれることになる。
※1968年10月神戸の須磨離宮公園で開催された「第一回野外彫刻展」に関根伸夫の「位相?大地」が出展されたことに始まる、ともいわれる。
1971年パリではじめて「もの派」を紹介する
創作中期
1973年多摩美術大学で教鞭をとる(78年~助教授、86年~教授)以後2007年退官までつとめる。
同時に版画、インスタレーション、岩料を使用し日本画の手法を取った絵画を継続して製作。
1990年韓国文化省より文化勲章花冠
1991年にフランス文化省より芸術文芸勲章シュヴァリエ章
2000年韓国・光州ビエンナーレと中国・ビエンナーレに参加
2001年「高松宮殿下記念世界文化賞」受賞
創作後期・現在
2010年香川県直島町に「李禹煥美術館」が開館。建築課安藤忠雄とのコラボレーション設計。
2011年NYのグッゲンハイム美術館にて回顧展「Making Infinity」開催
2014年にはベルサイユ宮殿のゲストアーティストとして「Lee Ufan」開催
2015年韓国釜山市(高校時代を過ごした場所)「李禹煥ギャラリー(Space LeeUFan)」を開館。自身が立地選定から建築基本設計とデザインを担当
創作そして理論の両面から「もの派」をリードしてきた功績が再評価されたことで、作品価格は上昇の一途をたどる。
リ・ウーファンの代表作
「現象と知覚B(後に『関係項 relatum』と改題)」
大きな石を乗せたガラス板で構成された作品。
ガラス板は石の重さによってひびが入っている。
「作者の意図」「石と作者が起こした何事か」によってひびは特別な意味を持つ。
「FROM NOTCH」
タイトル通りに木の肌を刻み切れ目(NOTCH)を入れた作品。
「線より」
白のキャンバスに岩絵具で青の線を走らせた平面作品。
東京オペラシティアートギャラリー収蔵作品。
リ・ウーファンの市場価格・オークション落札情報
「FromLine」2,165,000米ドル
岩彩絵画161.9×130.2cm
2014年11月11日サザビーズ/ニューヨーク
「WithWinds」10,880,000香港ドル
岩彩絵画218x291cm
2016年10月3日サザビーズ/香港
「FromPoint」8,680,000香港ドル
2015年5月30日クリスティーズ/香港
岩彩絵画161×129.5cm
「EastWinds」 6,040,000香港ドル
2014年11月22日クリスティーズ/香港
岩彩絵画227.2 x 181.2 cm
リ・ウーファンの作品と出会える場所
李禹煥美術館/香川県(直島)
「柱の広場」「照応の広場」ほか屋外に自然石と鉄板を組み合わせた作品を展示。
http://benesse-artsite.jp/art/lee-ufan.html
リ・ウーファンの最新トピックなど
近年グローバル美術市場は毎年2ケタ成長を遂げており、落札額の最高値更新はとどまるところを知りません。
今回ご紹介したリ・ウーファンも年間売上高が2000万ドルを超える高額作家の一人となっています。
特に近年マーケットで存在感を増している中国人富裕層に熱心なコレクターが多く、「曾梵志」「金煥基」「朴栖甫」らと並び韓国抽象画TOP4としてみなされています。
80歳を超えた現在も創作意欲は衰えず、2019年も「アジアンアートビエンナーレ2019」、パリのポンピドゥーセンターでの個展「Inhabiting time(坂本龍一が音響を担当)」などで注目を集めました。
またあまり知られていませんが版画創作初期から版画制作を続けており、2019年出版「李禹煥全版画(2019)」には1970年から2019年に制作した版画のすべてが収められています。
日本発現代アートといえば、一見わかりやすいビジュアルを持つ奈良美智らネオポップの活躍が注目が集まりがちです。
しかし人と物の間の距離、そして対話に主眼を置き、知的アプローチを試みた「もの派」というグループが存在し、海外で高く評価されてきたことはもっと知られてよいのではないでしょうか。
手を加えずただそこにある「もの」になにをみるのか。
直島の李禹煥美術館など、リ・ウーファンの作品がいつでも見られる美術館にぜひ足を運んでみてください。
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