マーク・ロスコのアートスタイル
表現形式
- 絵画
- 造形
表現ジャンル
- 抽象表現
- カラーフィールドペインティング
マーク・ロスコ作品の特徴と魅力・評価ポイント
特徴と魅力
アメリカを代表する画家「マーク・ロスコ/Mark Rothko」が日本の舞台に登場したことがあることをご存知でしょうか?
2015年に上演された「小栗旬×田中哲司」の人気俳優による二人芝居「RED(シス・カンパニー)」です。
新国立劇場小劇場(東京)で約二か月間上演された本作は演劇そしてアート、マーク・ロスコファンならずとも引き込まれる迫力の舞台でした。
(原作劇のシナリオを手掛けたのは「エイリアン」「アビエイター」「ラストサムライ」でしられる名脚本家ジョン・ローガン)
ロスコは「マルチフォーム」と呼ばれるいくつかの色の帯を並べたスタイルの作品で知られています。
線による「具体的な表現がない」色彩のブロックが2つ3つ並んだキャンバスには、人々を瞑想に誘う仕掛けに満ちています。
ロスコの作品をしばらく見続けてみてください。次第に浮遊感のような非現実的な感覚にとらわれることでしょう。
ロスコの絵の中の長方形は意識の海に漂う箱舟に見る人をいざないます。
このような色の組み合わせによって表現するスタイルは、「カラーフィールドペインティング」と呼ばれています。
20世紀現代美術において最も影響力を与えたとされる美術批評家「クレメント・グリーンバーグ」によって命名されました。
ロスコは生前から成功したアーティストとして認められてきましたが、死後さらに評価が高まっています。
2007年には当時の世界最高オークション落札額「7280万ドル(「White Center (Yellow, Pink and Lavender on Rose)」)をマークしました。
今回は孤高のユダヤ人画家「マーク・ロスコ/Mark Rothko」についてご紹介します。
評価ポイント
ロスコ作品を大別すると
- 活動初期の具象画
- 中期の抽象表現への移行
- そしていくつかの色の帯を並べた「マルチフォーム」作品群
の大きく3つに分かれます。
特にロスコのアイコニックな表現スタイルとされるのがマルチフォームです。
現在ロスコ作品といえば、その独特との画面構成と色彩感覚が評価されるマルチフォームが連想されるほど。
ロスコの幸運は、デビューした当時アート界の中心がパリからニューヨークにシフトした時期と重なったことです。
先駆的な抽象芸術家の一人として、早くから注目されました。
しかし幸運な時期は長く続かず、ほどなくしてアンディウォホールらスターが多数誕生するポップアートが台頭します。
常に新しいものが求められるアート界、アーティストをとりまく世界の残酷な一面とはいえ、ロスコには耐えがたかったのでしょう。
晩年の作品になるほど、作品から明るい伸びやかな色彩は影を潜め、暗い色調に支配されてゆきます。
当時のアートを取り巻く事情、そして作家の人生を考え合わせると深く考えさせられます。
マーク・ロスコのプロフィール
「ユダヤ人迫害に苦しんだ」幼少期
1903年9月25日ロシア(現在のラトビア)で生まれる。
1913年米国オレゴン州ポートランドに移住(上の兄弟たちはロシア帝国軍の徴兵を逃れるため先に移住)。しかし到着後数カ月で父を亡くす。
故郷でのユダヤ人迫害、無神論者であり丸く主義の父の影響により、以来生涯宗教とは無縁の生活を送る。
「法律家をあきらめ画家への道へ」青年期・学生時代
当時のポートランドは労働組合至上主義の中心であり、ロスコも思想的に大きな影響を受ける。
1921年名門イエール大学に入学するも奨学金を打ち切られて中退。目指していた法律家への道を断念する。
またイエールのエリート主義と人種差別主義への嫌悪も遠因であった。
1923年ニューヨークの繊維街「ガーメントディストリクト」で仕事を見つける。
現在も最も権威あるアートスクール「アートスチューデントリーグ」に所属していた友人を訪ねたことをきっかけに画家への興味を持つようになる。
ほどなくして自らもアートスチューデントリーグに入学。
リトアニア出身のユダヤ人でありキュビズムの旗手「マックスウェーバー」の教えを受ける。
また1929年からブルックリンにあるユダヤ人センターで子供たちに絵画や彫刻のクラスを担当。1952年まで継続。
未完に終わったが、子どもの芸術と現代アート作品の共通点についての本をまとめようとしていた。
「自分のスタイルを模索」創作初期
1933年故郷オレゴン州ポートランドの美術館ではじめての個展を開催。教えていた子供たちの作品も展示。
1935年から1939年にかけて政府が支援する芸術プロジェクト「WPA」のメンバーと「Ten」を結成。
ロスコ初期作品の中心だった廃墟や神話の人物にヒントを得た具象表現は次第に影を潜め抽象表現に変化。
当時ロスコの絵の色彩に大きな影響を与えたのが「アメリカのマティス」とも称される「ミルトン・エイブリー」。
カラフルかつ簡略化された作品群は、マックスウェーバーと並んでロスコ作品に大きな影響を与えた。
作品の意味を伝える手段として色が中心となり、ロスコの作品は飛躍的に進化した。
「色は基本的な人間の感情をあらわしている」
第二次大戦中に本名の「マーク・ロスコビッチ」からアメリカ風に「マーク・ロスコ」に改名した。
ナチズムの脅威により、アメリカ政府がユダヤ人の強制送還を始めるという噂が広まったため。
1948年10月母ケイトが亡くなる。
「ロスコスタイル=マルチフォーム確立」創作中期
1949年以降ロスコスタイルとも呼ばれる色を塗られたブロックが縦に並ぶ「マルチフォーム」が登場。
様々な組み合わせが試みられた後、1950年以降は長方形の数が2~4になりその後増えることはなかった。
「ダークトーンに支配された」創作後期・晩年
1959年以降に画面の色彩が目立って暗くなる(ダークペインティング)。
体調不良により色を塗る作業はアシスタントに任せるようになった。
そのためかこの時期には小さな紙やキャンバスに彩色した作品が多く残されている。
1964年ロスコチャペルへの絵画作成依頼を受ける。絵画14点を礼拝堂に展示。
しかしどれも黒く塗られた「だけに見える」ため、多くの来訪者は「ロスコの作品はどこにありますか?」と質問する。
このモノトーンカラーの傾向は亡くなる直前まで続く。
茶色または黒やグレーで構成された作品群もこのころ製作。
1970年66歳で自ら命を絶つ。
自身の病気(大動脈瘤)による体調不良や妻との不仲に苦しみうつ病を病んでいた。
マーク・ロスコの代表作
ロスコはタイトルは見る人の心と想像力を麻痺させると考えていました。
そのため初期の具象作品以外、ほとんどが番号もしくは絵を構成するカラーのみのタイトルとなっています。
多くの「無題」作品が世界各国の美術館に所蔵されていますが、ここでは特に話題となった作品に触れてみました。
シーグラム壁画
マンハッタンに新しく建設されたシーグラム・ビル内のレストラン「フォー・シーズンズ」からの依頼によって製作された30枚の絵画作品。
無事完成したもののレストランの雰囲気が自作品とそぐわないと感じたロスコは、前払いされた費用を返却し納品を拒否た。
そして生前はロスコが独立展示を希望したことで作品公開が難航し、一般の人々の目に触れることはなかった。
。
その後シーグラム壁画作品は、ロンドンのテイト・ギャラリー(現テイト・モダン)、ワシントンDCのフィリップス・コレクション「ロスコ・ルーム」、ヒューストンのロスコ・チャペル、そしてDIC川村記念美術館(千葉県佐倉市)の4か所に分散。
ハーバード大学美術館の6枚の壁画
もともとダイニングルームの壁を飾るためにロスコに依頼されたもの。
しかし顔料の劣化により長く倉庫にしまわれたままだったが2015年に修復完了により公開。
退職部分はMITの技術者が開発した専用ソフトと5台のプロジェクタでコントロールされたプロジェクションによって補完。
毎日16時になるとプロジェクションが停止されるため、本来(というよりは劣化した)作品を確認可能。
ロスコチャペルの14枚の壁画
テキサス州ヒューストンにあるロスコチャペルの14枚の壁画は、ロスコの最後の作品となった。
著名な美術コレクターであるメニル夫妻の依頼によって製作されたがロスコチャペルの献堂は1971年だったため、生前ロスコが完成を見ることはかなわなかった。
ロスコチャペルが建つ場所は、「メニル・パーク」あるいは「メニル・キャンパス」と呼ばれるメル夫妻の一大コレクション展示場。
ロスコチャペルは敷地内にある八角形のかたちの無宗派の礼拝堂。今も多くの人がチャペルの床に座り瞑想の時間を過ごす。
1971年完成式のためにモートン・フェルドマンが作曲した「ロスコチャペル」はまさにこの場所のためにある名曲。
マーク・ロスコの市場価格・オークション落札情報
「Orange, Red, Yellow」 86,882,500米ドル
2012年5月8日 クリスティーズ/ニューヨーク
236.2 x 206.4 cm 油彩
「No. 10」 81,925,000米ドル
2015年5月13日/ニューヨーク
239.4 x 175.9 cm 油彩
「NO. 1 (ROYAL RED AND BLUE)」 75,122,500米ドル
2012年11月13日/ニューヨーク
288.9 x 171.5 cm 油彩
マーク・ロスコの作品と出会える場所
DIC川村記念美術館(千葉県佐倉市)
「ロスコ・ルーム」
※舞台「RED」のテーマとなった「シーグラム壁画」30点中7点を鑑賞できる。
東京都現代美術館(東京)
「赤の中の黒」
大原美術館(岡山県倉敷市)
「無題(緑の上の緑)」
マーク・ロスコの最新トピックなど
現代美術においてはすでに巨匠としてゆるぎないポジションにあるマーク・ロスコは、今なお祖国ラトビア、活動拠点だったアメリカにおいて重要なアーティストです。
2016年9月にワシントン国立美術館では、ロスココレクション専用のタワーギャラリースペースをオープンさせました。
例によってタイトルを持たないマルチフォーム作品が一堂に会するロスコファン垂涎の場所となっています。
2019年には生まれ故郷ラトビアの都市ダウガフピルスで国際絵画シンポジウム「マークロスコ2019」が開催されました。
日本は世界で四か所しかないシーグラム壁画が鑑賞できる幸運な国です。
ぜひ機会があれば川村記念美術館のロスコスペース、そして国内外のロスコ作品に触れてみてください。
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