序文
2020年3月、世界遺産「沖ノ島(福岡県 宗像大社)」にて発見された古代ガラスのニュースが流れました。
ニュースとなったガラス片はふたつ。
- 淡い緑色の「カットグラス碗片」(直径5.6センチ、厚さ3~5ミリ)
- 深緑色の「切子玉」(長さ3.1~3.7センチ)ガラスの破片
これらはすべて「国宝ガラス」なのですが、写真を見た人は、
「なぜこんな小さなガラスのかけらがニュースになるのだろう? なぜ国宝なのだろう」
と感じた人がいたかもしれません。
実はこれらのガラスの遺物が発見されたのは1954~55年。
数十年の時を経てようやくそれはこのガラスが遠くペルシア(現在のイラン・イラク)から
1300年前に運ばれたものだということが分かったからなのです。
古代の人々にとってガラスは宝石と等しい貴重な存在でした。
だからこそ今なお多くの古代ガラスが世界の各地に残されてきたのです。
今回リファスタでは、この魅惑的な古代ガラスの世界をご紹介したいと考えました。
そこで今回から
- 古代ガラスの歴史(いつどこで誕生したのか)
- 日本の古代ガラス
- 世界の古代ガラス
- ガラス製模造宝石
- いま宝石と同じ価値を持つガラスとは?
以上5回に分けてお伝えします。
ぜひ古代ガラスを通じて、5000年近くもの悠久の歴史の流れを感じていただければ幸いです。
ガラスは何からできている?そしていつどこで生まれたか?
ガラスは何からできている?:ガラスの定義
ガラスは二酸化けい素、酸化カルシウム、酸化ナトリウム(または酸化カリウム、またはその両方)が主成分です。
具体的には砂の中に含まれている
- 石英
- ソーダ灰
- 石灰石
この3つを主成分として1000~2000度で溶解させた後、必要な成分を添加して作られています。
ガラスはいつ誕生した?:ガラスの起源
世界で最初にガラスが作られたのは、紀元前30世紀から25世紀前後の古代エジプトそしてメソポタミア(現在の中近東)です。
実際に発掘された遺物としては「ガラス玉」「護符」が見つかっています。
しかしこの頃のガラスは、あくまで偶然による(陶器の釉薬から偶発的にできたと考えられる)不完全なガラスです。
意図的に生産されたと考えられる「完全ガラス」があらわれたのは紀元前2500年のメソポタミアの遺跡跡からでした。
ガラスの球があしらわれたブロンズ製のヘアピンが発見されたのです。
またエジプトでは第18王朝(紀元前1550年-1292年頃)のころに非常に高い技術で作られたガラスの遺物が発掘されています。
※それ以前にもエジプトでは古代ガラスが散発的に発見されています。しかし(メソポタミアから)輸入されたガラス原料を加工したものなのか、エジプトで生産されたのかについてはまだ論争が続いています。
エジプトでもメソポタミアでも初期のガラスは宝石と同じような価値を持つものとして、王侯貴族の間でもてはやされていました。
ガラスの種類
ソーダ石灰ガラス(ソーダガラス ソーダライムガラス)
一般的なガラスといえばこちら。安価に大量生産できるので食器などに広く利用されています。
「ソーダ=炭酸ナトリウム」を加えて融点を1000℃程度にすることで、加工しやすくしています。
鉛ガラス(クリスタルガラス)
クリスタルガラスと呼ばれる通りに水晶のような高い透明度を持つのが鉛ガラスです。
シャンデリア、切子やワイングラスなどの高級食器、ジュエリーに利用されています。
バカラやスワロフスキーをイメージするとわかりやすいでしょう。
ソーダの代わりに「酸化鉛」を加えることで高い透明度と屈折率が実現しました。
石英ガラス
より高い透明度、耐食性、耐熱性を要求される化学実験器具や望遠鏡に利用されているのが石英ガラスです。
石英や水晶を2000℃以上の高温で溶かし、冷やし固めることで作られます。
さらに化学気相蒸着を用いて四塩化ケイ素の気体から製造される場合もあります。
世界をかけめぐった古代ガラスのルートとは?
エジプト、メソポタミア文明を彩ったガラスは、その後海と陸のルートを経て多くの国に広まりました。
そして世界中で最も大量に発掘される古代ガラスが「インド・パシフィックビーズ」です。
熱したガラスを細いチューブに引き伸ばして細かくカットして制作することで大量生産を容易にしました。
見た目はシードビーズとよく似た小粒のビーズで、紀元前2~3世紀ごろからインド南東部「アリカメドゥ遺跡」で生産されていたと考えられています。
その後インド・パシフィックビーズは、マレー半島やインドシナ半島の交易の要所を中心に世界中に広がることになります。
日本に最初に入ってきたガラスもインド・パシフィックビーズです。
そしてその後は、世界の交易ルートの変化によって5世紀後半ごろからササン朝ペルシアのガラスが大量に入ってきます。
古代より日本列島は、陸上そして海上の交易ルートの終着点。
発掘される小さなガラスのかけらは、東の果ての小島である日本列島が、中国や韓国東南アジアのみならず西アジアや地中海周辺地域ともつながっていたことを教えてくれます。
日本の古代ガラス
命がけで海を渡ってきた人々の手ではるばる日本まで運ばれてきた珍しい品々に混じって様々なガラスがありました。
実は日本の古代ガラスの発掘例は驚くほど豊富!
なんと60万点をこえる古代ガラスの遺物(ほとんどがビーズ)が出土されているのです。
それらのビーズは
- インド・東南アジア由来の「インド・パシフィックビーズ」
- メソポタミア由来の「ササン朝ペルシアガラス」
の2つです。
日本で発見された最古のガラスとは?
日本ではじめて発見されたガラスは博多湾を中心とした北部九州エリアです。
紀元前3世紀頃に作成されたとみられる青色のインド・パシフィックビーズです。
また同じころ島根県「御堂谷遺跡」の銅・マンガン着色のカリガラス製小玉が発掘されています
「ササン朝ペルシアガラス」とは?
古代ガラスの種類は大きく分けて二つ。
- ローマ帝国領域(エジプト他地中海沿岸)で作られていた蒸発塩の「ナトロン」を利用したナトロンガラス
- ササン朝ペルシアほかメソポタミアで作られていた植物の灰を利用した植物灰ガラス
です。
前者はナイル川やナトロン湖に豊富にあったナトロン(強アルカリ性の鉱物。ミイラの保存剤として利用された)を
後者はシダや海藻などの植物灰を利用していました。
※弥生時代後期後半(2世紀)には、地中海周辺地域で製作されたナトロンガラス製のガラス小玉が流入していたことが明らかとなっています。
また近年日本で発掘されるインド・パシフィックビーズの基礎ガラスの化学組成が弥生時代(紀元前4~紀元後3世紀)と古墳時代(3~7世紀)で異なることが分かってきました。
弥生時代にはインド由来のインド・パシフィックビーズ、古墳時代に入るとササン朝ペルシアガラスによる小玉ビーズが多くを占めています。
世界の交易ルートの変化を示す重要な手掛かりとなっています。
純国産ガラスが作られるのは7世紀以降
日本でガラスが作られるようになるまでは7世紀に入るまで待たねばならず、それ以前のものはすべて海の向こうから渡ってきた外国由来のビーズです。
※渡来ガラスを材料にした再生ガラス玉は例外とする。7世紀以前に破損した渡来ガラスを鋳型を使って再生していた。
またガラス原料の砂を使ってガラスそのものの生産できるようになったのは7世紀後半以降でした。
その工房跡が奈良県明日香村にある「飛鳥池工房遺跡」であり、総数300以上の炉を有したとみられる巨大工場跡地が残されています。
海を超えてやってきたガラスビーズ
日本列島で出土するガラス小玉の大半は、軟化したガラスを引き伸ばして製作したガラス管を分割して小玉を得るという「引き伸ばし法」とよばれる方法で作られています。
しかし、日本列島内で引き伸ばし法によるガラス小玉の製作が行われた痕跡は全く認められず、すべて輸入品と考えられています。
5,000年前にガラスの歴史ははじまっていた!
ローマングラスやとんぼ玉など、古いガラスに興味のある方は多いはず。
そして、最初に誕生した背景などを知るとさらに愛着が増すものです。
何千年も前に登場したガラスが人々の心をとらえ続け、現在も様々なガラス製品が私たちの生活を彩っています。
古代エジプト、メソポタミアからはじまり、世界を駆け巡ったインド・パシフィックビーズ。
古代ガラスが歴史に登場して5,000年以上たつ今なお、ガラスは見る人の心を話しません。
参考文献・サイト
日本の文献
谷一尚「ガラスの比較文化史」「ガラスの考古学」「世界のとんぼ玉」「古代ガラス 銀化と彩り」
吉水常雄「古代ガラス」「正倉院ガラスは何を語るか – 白瑠璃碗に古代世界が見える」
他
海外の文献
Julian Henderson「Ancient Glass: An Interdisciplinary Exploration」
他
参考サイト
奈良文化財研究所 https://www.nabunken.go.jp/
東京国立博物館 https://www.tnm.jp/
中近東文化センター http://www.meccj.or.jp/
他
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