ロイ・リキテンスタインのアートスタイル
表現形式
絵画
版画
表現ジャンル
ポップアート
ロイ・リキテンスタイン作品の特徴と魅力・評価ポイント
「ロイ・リキテンスタイン/Roy Lichtenstein」とはどのようなアーティストだったのか?
そして作品の特徴と魅力をひもといてみました。
特徴と魅力
「ロイ・リキテンスタイン/Roy Lichtenstein」はアンディ・ウォーホルと並ぶポップアートの代名詞的存在のアーティストです。
アメリカンコミックをモチーフとした作風で知られるリキテンスタインですが、そのきっかけは子供にミッキーマウスの絵を描いているときに、コミック画が持つパワーとインパクトに気付いたことでした。
東京都現代美術館「ヘア・リボンの少女」を代表とする、1963年から65年のあいだに集中的に書かれたガールズシリーズ
アメコミに登場する戦闘機のミサイル的中シーンをキャンバス一杯に描いた「Whaam!」
これらの作品は当時の広告業界を中心に大きな影響を与えました。
しかし本やPC画面では「どこが芸術なのか?」わかりにくいのがリキテンスタイン作品。
しかし実際に作品の前に立ってみると、その大きさ(1メートル超えの等身大のものが多い)と、印刷ドットを忠実に再現した精緻なタッチに驚かされます。
リキテンスタインがコミック画から表現しようと目指した「パワー」と「インパクト」そして「新鮮な表現スタイル」こそリキテンスタイン作品鑑賞の醍醐味なのです。
そしてもともとリキテンスタインはキュービズムと抽象表現主義の影響を受けたスタイルのアーティストでもあります。
そんなリキテンスタインらしい「Woman with Flowered Hat」「Still Life with goldfish」などのピカソやマティスなどのキュビズム大家作品のパロディも見どころです。
評価ポイント
アンディ・ウォーホルと並んでアメリカン・ポップアートの金字塔を築いたのがロイ・リキテンスタイン。
アメリカンコミックという、当時の時代の空気をそのまま映し出す「素材」を利用したアート表現を追求しました。
セリフ入りの吹き出しなどアメリカンコミックを再現
「ブルー」「レッド」「イエロー」に限定された色使い
当時の新聞印刷に使われた荒いドット印刷プロセスを模倣
などこれまでアート表現になかった独自のスタイルによっていリキテンスタインは一時代を築きました。
リキテンスタインが目指したのは、一見「芸術的イメージ」から離れたモチーフを利用した新たな美を生み出そうというもの。
リキテンスタインにとってアメリカンコミックは格好の素材でした。
パワーとインパクトを備え、新た表現の可能性を秘めたモチーフとして、アメリカンコミックはリキテンスタインを魅了しました。
実は同時期の1950年代後半から1960年代初めにかけて、コミックのイメージやモチーフを取り入れたアーティストは多くいました。
しかしリキテンスタイン作品の完成度の高差を見て、かのアンディ・ウォーホルは主題をキャンベルのスープ缶に変えた、と考えられています
そしてリキテンスタインが再解釈を加えた作品は、逆にアメリカ大衆文化を刺激し活性化することにつながりました。
彼の創作期であった1950~80年代にかけてのアメリカ文化のエッセンスを必要とし、また商業美術などアメリカ文化もリキテンスタインを必要としていたのです。
「史上最悪のアメリカ人アーティスト(ライフ誌)」と酷評されることもありましたがリキテンスタインはまったく動じず。
時代のパワーあふれる新しい表現素材であるコミック。そこに着想を得たオリジナルの作風の追及をやめることはありませんでした。
ロイ・リキテンスタインのプロフィール
「厳格な中流ユダヤ人家庭の子弟だった」幼少期
1923年 ニューヨークで生まれる。ほかに妹のレニーがいる。
富裕な不動産ブローカーを父に教育熱心な母のもと、幼いころからピアノとクラリネットの演奏や絵画制作の才能を発揮した。
中高一貫の私立高で学び、NYアートスチューデントリーグで絵画クラスに通うなど恵まれた環境で育った。
「戦時中はヨーロッパに滞在した」青年期・学生時代
1940年 オハイオ州立大学に入学。
このころピカソに傾倒し特に「ゲルニカ」に感銘を受けた。
1943年 徴兵によってヨーロッパへ。そのまま終戦までフランス、ベルギー、ドイツに滞在。
1946年 ニューヨークに戻る。同年父を亡くす。
オハイオ州立大学に戻り修士号取得まで在学。
1949年 最初の妻イザベルと結婚。
彼女はリキテンスタインの作品を展示したギャラリーで働くスタッフだった。
「抽象主義表現に傾倒した」創作初期
結婚後二人の息子が生まれるまでの間の作品には抽象表現に傾倒した作風でピカソやモンドリアンの影響が濃い。
晩年までモンドリアンの赤・青・黄に限定した「コンポジション」など、晩年まで継続した手法も多い。
ロイ・リキテンスタイン独自の作風が固まるまでの多くの抽象表現主義作品が多く残っている。
1960年 ラトガース大学ダクラス・カレッジ助教授に就任。
「アメコミを素材に!ポップアートの第一人者となる」創作中期
1963年 「Look Mickey」発表。
リキテンスタインのコミックの要素を取り入れた表現スタイル、そしてアメリカン・ポップアートの代表作として広く評価されるように。
同年「Drowning Girl」を発表。
妻イザベルと別居(1965年正式に離婚)がスタートしたこの時期に「苦しむ女性」をモチーフにした作品が多いことに注目したい。
しかし私生活はともあれ、以後リキテンスタインはアメリカン・ポップアートの第一人者として国際的に評価される存在となる。
1970年 2度目の妻ドロシーとの生活が始まる。
このころからコミックを直接黄な素材に用いることをやめた。
代わりに当時の屋内インテリアや、鏡の反射をモチーフとした作品を発表。
しかしコミックの表現スタイルを用いた画風は変わらなかった。
「バルセロナオリンピックでは立体表現に挑戦」創作後期・現在
1990年代から「ヌード」「インテリア」「中国の風景」をテーマにした連作を発表した。
1992年 バルセロナ・オリンピックのモニュメントとしてはじめての立体作品「バルセロナ・ヘッド」発表。
1995年 第11回京都賞(稲盛財団)受賞
https://www.kyotoprize.org/laureates/roy_lichtenstein/
1997年 肺炎による合併症で亡くなる。享年73歳。
ロイ・リキテンスタインの代表作
「Drowning Girl」
ロイ・リキテンスタインの国際的評価を固めた代表作。
リキテンスタインは、自作品が機械的に制作されたように見せる事に執心した。
悲劇的な状況が引き起こす感情の変化を「機械的」に表現した。
「Whaam!」
アイコン的作品として知られているパネル2枚からなる172.7 cm×406.4 cmの大型作品。
左側のパネルにはミサイルを発射する戦闘機、右側のパネルでは炎をあげて爆発する飛行機を描いている。
もっとも重要な作品とされるゆえんは、2つのパネルに分割することで時間的、空間的、心理的な効果を挙げることに成功した点。
ポップアートそのものを代表する作品としても名高い。
「Look Mickey」
アメリカでは「コミックストリップ」と呼ばれる漫画が新聞紙上で人気だった。
「ピーナッツ」に登場したスヌーピーなど人気キャラクターも多く誕生した。
リキテンスタインは本作でディズニー映画に登場するミッキーマウスとドナルドダックをコミックストリップスタイルで表現。
本作が本格的にコミックの要素をアートに持ち込んだ最初の実例となった。
ロイ・リキテンスタインの市場価格・オークション落札情報
「WHITE BRUSHSTROKE I」 25,417,000米ドル
2020年6月29日 サザビーズ/ニューヨーク
121.9 x 142.2 cm。
「 Woman with Flowered Hat」 56,123,750米ドル
日付 クリスティーズ/ニューヨーク
127.3 x 102.2 cm
https://www.christies.com/Features/in-the-saleroom-roy-lichtenstein-woman-flowered-ha-3674-3.aspx
「Nurse」 95,365,000米ドル
2015年11月9日 クリスティーズ/ニューヨーク
121.9×121.9 cm
※個人売買の高額取引例として「Masterpiece」がある。
MoMAの名誉館長であり世界有数のアートコレクター「アグネス・ガンド」が個人に165,000,000ドルで売却。
収益は刑事司法改革のためのファンド「Art for Justice」の設立に利用された。
ロイ・リキテンスタインの作品と出会える場所
東京都現代美術館
「ヘア・リボンの少女」
原美術館(東京)
「フレーム IV」ほか
国立国際美術館(大阪)
「日本の橋のある睡蓮」ほか
ロイ・リキテンスタインの最新トピックなど
コロナ感染予防対策のためクローズしていた美術館やギャラリーも制限付きながら徐々に再開が始まっています。
東京都八王子市にある「東京富士美術館」では、リヒテンシュタインの高評価作品「戦うネイティブ・アメリカン」が8月23日まで展示されています。
期間限定で展示される作品は、ぜひチャンスを逃さず鑑賞しておきたいですね。
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