ゲルハルト・リヒターのアートスタイル
表現形式
- 絵画
- 写真
- 彫刻(造形)
表現ジャンル
- 抽象表現
- 具象表現
ゲルハルト・リヒター作品の特徴と魅力・評価ポイント
ゲルハルト・リヒターとはどのようなアーティストだったのか?
作品の特徴と魅力をひもといてみました。
特徴と魅力
瀬戸内海の無人島「豊島(愛媛)」にドイツ現代アートの最高峰とうたわれる「ゲルハルト・リヒター」の作品が展示されていることをご存知でしょうか。
豊島はリヒターが2011年2015年の二度訪れた場所。
ここには「14枚のガラス」というタイトルのリヒターの造形作品だけが展示されている美術館があります。
青い海と島の緑に包まれた平和な空間は、定期船が1日2便しかないという不便な場所にあるにもかかわらず世界中からリヒターファンを引き寄せています。
しかし静かな安息に満ちた世界は、リヒターの作品のほんの一側面にすぎません。
エリック・クラプトンがサザビーズに出品し約27億円で落札されたことで知られる
「ABSTRAKTES BILD 809-4」
は同じ作家とは思えないほど激しく色が呼応しあいます。
かと思えばジョン・ケージの「無」を表現する作品世界に共鳴し製作された
「Cage series(全6作)」
の静謐に満ちた「アブストラクト・ペインティング」作品もまたゲルハルト・リヒターワールドの一面に過ぎません。
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リヒターの1作品だけを鑑賞しても作家の世界観を知ることはまず不可能で、それは彼の歩んだ人生が抱える矛盾と苦悩に根差すものです。
ナチス党員を父に持ちみずからもナチス少年グループに所属していたことに苦悩しながらも、愛する叔母を殺害した父親と同じ元ナチスの義父に持つという矛盾。
(リヒターは1961年に東ドイツを離れた後、両親に二度と会うことはなかった)
テロや戦争報道に接すると何年も胸に消化しきれない思いを抱えるほど痛手を負いながら、人間にとって戦争は不可避と認めざるを得ない諦観。
リヒターはみずからの創作活動によって
「神に近づけることを信じる」「その信じる力を純粋に表現できる手段が芸術」
と自分の言葉を体現しています。
せめてそう信じさせてほしい、過酷な時代を生き抜いた偉大なアーティストのため息交じりのつぶやきが聞こえるのです。
評価ポイント
ゲルハルト・リヒターの最大の功績は、創作初期から一貫して、絵画表現への幻滅(当時はインスタレーションによるコンセプチュアルアートや既製品による表現レディメイドなどが主流を占めた)に真っ向から挑戦しつづけてきたたことです。
多彩な表現方法を駆使して新たな美を再構築し、絵画表現の可能性を切り開くことに成功しました。
創作スタイルの大きな特徴として創作初期に確立したさまざまな表現方法を、そのまま同時に継続している点が挙げられます。
リヒターの絵画作品を大別すると写真に手を加えたもの、色による抽象表現作品の二つです。
まず写真表現としては
いわば「絵画と写真のあいだ」にあるスナップ写真に油絵具やエナメルを乗せた「オーバー・ペインテッド・フォト」
新聞や雑誌の写真をキャンバスに模写し、さらに輪郭をなぞり背景をぼかす「フォト・ペインティング」
があります。
輪郭をぼかすことによって衝撃的でしかない首つり死体の写真も、何か幻想的な雰囲気を帯びてきます。
このように写真に写る風景がそのまま「現実」として受け取られることに疑問を投げかけています。
色による抽象表現としては
リヒターの代名詞である巨大なキャンパスに絵具を塗ったへら(スキージ)で色を乗せてゆく「アブストラクト・ペインティング」
色見本からヒントを得たとされる正方形や長方形を幾何学的に配色する「カラーチャート」
グレイの濃淡のみで表現するモノトーン絵画「グレイ・ペインティング」
があります。
そのほか「雲」などが知られる個展が法による風景画や、透明またはカラーガラスや鏡を用いた「ミラーペインティング」や造形作品など、実に多彩を極めます。
具象と抽象の間を行きつ戻りつするリヒターの多様な作品世界は、現代アートの最高峰として高い評価を受けています。
ゲルハルト・リヒターのプロフィール
「ナチス党員の父のもとで育った」幼少期
1932年 ドイツのドレスデンに生まれる。
当時の多数のドイツ男性がそうであったように、父や叔父、学校の教師など身近にいる男性の多くがナチス党員だった。
ピアニストの娘である母親によって芸術家になることを奨励される。
第二次世界大戦時には、ポーランド侵攻当日の叔父の戦死、叔母を殺されるなどの悲劇が襲う。
1948年 名門グラマースクールを中退し専門学校やアートスクールに通った。かたわら劇場の舞台背景画家見習いになる。
「東ドイツ脱出を熱望した学生時代」青年期・学生時代
1951年 ドレスデンのクンスタカデミーに入学。同時に国営企業から委託された壁画や政治ポスターを請け負う。
政府により絵画表現をロマン主義の実を追求するよう厳しく制限された(ポップアートとフルクサスに類似した表現の禁止)。
閉塞感を覚えたリヒターは次第に西ドイツへの移住を希望するようになった。
「同時代の西側作家たちに刺激を受けた」創作初期
1952年 ドレスデン芸術アカデミーに入学。
1957年 ドレスデン芸術アカデミー卒業。マリアンヌ・ユーフィンガーと結婚(娘ベティが生まれるが後に離婚)
婦人科教授だった彼女の父親によって「ナチス安楽死プログラム」が叔母マリアンヌに適用。その結果搬送先の精神病院で餓死したという事実がある。
マリアンヌは有名なフォトペインティング作品「叔母マリアンヌ(マリアンヌおばさん)」で知られる。精神障害があったとされるが若くして亡くなった母親の面影を残す愛する叔母だった)
https://www.sothebys.com/en/auctions/ecatalogue/2006/contemporary-art-evening-l06022/lot.26.html
T4作戦とも呼ばれたこの悪名高き作戦の特徴は、主に精神障害者や身体障害者などの母国ドイツ人を対象としたこと。
作戦直属の収容所では安らかな死を迎えられる一酸化炭素ガスによる殺害方法が取られたが、精神病院では餓死や毒殺あるいは銃殺が主流だった)
1959年 西ドイツへ旅行。
アクションペインティングで知られる「ジャクソンポロックとルシオフォンタナの作品に感銘を受け、西ドイツへの移住を決意。
1961年 西ドイツのデュッセルドルフに移住(同年8月にベルリンの壁建設)。デュッセルドルフ芸術アカデミーに入学する。
偶然キャンバスに写真のトレースを行ったことから最初のフォトペインティング作品「机」を制作。
これが後のリヒターによる新しい絵画表現方法の開発につながった。またこのころ移住以前にあたる1950~1960年代の初期の絵画の多くを破棄した。
「大学教授の地位を築き創作にまい進した」創作中期
1971年 デュッセルドルフ芸術アカデミー教授に就任。1994年まで在職。
1973年 カラーチャート作品を発表
1976年 その後のキャンバス絵画作品に「abstract painting 抽象絵画」というタイトルを採用することを決定。
1983年 2番目の妻の現代彫刻家イザゲンツケンとケルンに移住。夫婦は離婚するがその後リヒターはケルンにとどまり続けた。
1995年 3番目の妻サビーネと結婚。二人の歳の差は36歳だった。
このころから「アブストラクト・ペインティング」に巨大な「ヘラ」スキージによる痕跡を重視した作品が多くなる。
「オークション超高額アーティストとして広く認知」創作後期・現在
1997年 高松宮殿下記念世界文化賞絵画部門受賞。ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞
1999年 ベルリンにあるドーム型の現代建築「ドイツ連邦議会国会議事堂」の西玄関ホール壁を飾る絵画を制作。
高さ30mの壁一面にドイツ国旗色である「黒」「赤」「金」を21メートルの長さで縦並びにした作品。
2005年 「金沢21世紀美術館」「DIC川村記念美術館」にて初の日本国内の単独個展開催
2012年 サザビーズロンドンのオークションでエリック・クラプトン出品「Abstraktes Bild(809-4)』が2132万ポンド(当時のレートで26億9000万円)で落札された。
リヒターの知名度を高めるきっかけとなった。
ゲルハルト・リヒターの代表作
「ABSTRAKTESBILD(Abstract Painting)」
ABSTRAKTESBILDは1985~1989年にかけて連作された。
エリック・クラプトンのオークション出品の影響もあり、リヒター作品の中で最もよく知られたシリーズとなった。
https://www.youtube.com/watch?v=YTUH0giXZQ0
「ケルン大聖堂南側翼廊のステンドグラス」
11,500個の色ガラスを格子状に組み合わせたステンドグラス。 1973年作「1024 Colours」を連想させる。
リヒターは1998年からケルンで暮らし、彼の子供たちはケルン大聖堂で洗礼(バプテスマ)を受け聖歌隊で歌っていた。
「18. Oktober 1977」
数々のテロ行為でドイツ国内を震撼させた「ドイツ赤軍派(RAF)」の獄中集団自殺(陰謀説有)を題材にしたフォトペインティング作品。
事件から11年後の1988年「払いのけようとしてもできない何か」に突き動かされ全15作からなる連作シリーズとなった。
※アートとはいえ死体写真が登場します。閲覧にはご注意ください。
ゲルハルト・リヒターの市場価格・オークション落札情報
「ABSTRAKTES BILD 809-4」21,321,250ポンド
エリック・クラプトンが所有していたことで知られるシリーズ。
100作以上描かれたといわれておりオークションでの超高額落札が約束された作品。
2012年10月12日サザビーズ/ロンドン
「ミラノ大聖堂広場」37,125,000米ドル
落札当時生存中アーティストとして最高落札金額をマークした油彩絵具によるフォトペインティング作品。
ドイツ系電子機器企業「シーメンス社」の依頼によって作成され1968年から1998年までイタリアミラノ支社に飾られていた。
2013年5月13~14日サザビーズ/ニューヨーク
「STILL」33,987,500米ドル
赤、黄、青を中心に色を重ねたカラー・チャート作品
2016年11月17日サザビーズ/ニューヨーク
「AbstraktesBild」19,570,500英ポンド
2014年2月13日クリスティーズ/ロンドン
「AbstraktesBild(648-3)」31,525,000米ドル
2014年11月12日クリスティーズ/ニューヨーク
ゲルハルト・リヒターの作品と出会える場所
豊島(愛媛県上島町豊島瀬戸内アートプラットフォーム)
「14枚のガラス」
東京国立近代美術館
「NineObjects」「抽象絵画(赤)」
国立国際美術館(大阪)
「STRIP(926-6)」「フィレンツェ」
高知県立美術館
「ステイション」
※所蔵作品には展示ローテーションがあり常設とは限りません。事前に美術館に問い合わせをおすすめします。
ゲルハルト・リヒターの最新トピックなど
2020年日本国内においては、ゲルハルト・リヒターをテーマにしたドキュメンタリー映画の大作が2本公開されました。
1月にはアブストラクト・ペインティング製作を「ゲルハルト・リヒター ペインティング」
※3年以上もの製作期間を経てリヒターのリアルな製作風景もさることながら、作家の日常がうかがえる何気ない会話が見どころです。
10月にはゲルハルト・リヒターの半生を題材にした「ある画家の数奇な運命」
※ナチス党員だった実の父、そして愛する叔母を間接的とはいえ殺害した義理の父との間で苦悩する若き日のリヒターが描かれています。
またオークションシーンにおいても話題は尽きず、サザビーズ香港のオークションで「ポーラ美術館(箱根)」が「ABSTRAKTESBILD(649-2)」を2億1463万香港ドルで落札し、アジアの西洋アートの最高落札金額をマークしました。
美術館での個展も活発に開催されており、国内では2020年オープン「UCHIGO and SHIZIMI Gallery」では2020年8月28日~10月2日までリヒター展が開催されました。
90歳近くなった現在も精力的に創作活動を続け話題の絶えないゲルハルト・リヒター。
現代アートのトップポジションはまだまだ健在です。
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