ナム・ジュン・パイクのアートスタイル
表現形式
- ビデオアート
- 彫刻(造形)
- 工芸
- 写真
- 映像
- インスタレーション
表現ジャンル
- フルクサス
ナム・ジュン・パイク作品の特徴と魅力・評価ポイント
ナム・ジュン・パイクとはどのようなアーティストだったのか?
作品の特徴と魅力をひもといてみました。
特徴と魅力
1980年代にアートに関心を持っていた人たちにとって、ナムジュン・パイクの名前を聞くと最先端アートの旗手としてなつかしく思い出すことでしょう。
テレビモニターやレーザーディスクなど、当時の最新技術を搭載した機器を駆使し製作されてきたのがパイク作品の最大の特徴。
新しい時代の到来を予感させる素材を組み合わせ、映像や音楽そして造形作品を数多く残しました。
見せる自由にクリエイトして見せたパイクは、現在もなお多くのオークションで必ず落札される人気作家でもあります。
ビデオアートの父として知られるナム・ジュン・パイクはソウル生まれの韓国人。
アーティスト人生のほとんどをニューヨークで過ごしました。
しかし実は日本と縁が深いアーティストでもあります。
配偶者は日本人(ビデオアーティスト久保田成子)そして東京大学出身なのです。
ワタリウム美術館の創設者創「和多利志津子」氏とも深い親交がありました。
2006年のパイクの訃報の後、ワタリウム美術館では「さよなら ナム・ジュン・パイク展 Bye Bye,Nam June Paik」を開催しパイクの死を追悼。
現代アートはパイクによって、マルチメディア、ミクストメディアなど映像アートの世界を得て一段と広がりを見せる進化を遂げました。
評価ポイント
映像アートに関心のある人ならナム・ジュン・パイクの名前を聞けば、即座に「エレクトロニック・スーパーハイウェイ」などのキーワードが思い浮かぶことでしょう。
ナム・ジュン・パイクは世界ではじめてビデオアート作品を発表したアーティストです。
現在でこそ一般人がYoutubeなどに動画作品をアップすることは珍しいものではなくなりました。
しかし30年前の全盛期のナム・ジュン・パイクのインパクトはすさまじく、坂本龍一やデビッドボウイなど当時最先端を行く表現者たちを夢中にさせたほど。
新しいテクノロジーを駆使した彼の作品は、未来への期待をかきたてるまさに時代が求めていたアートそのものでした。
ナム・ジュン・パイクのプロフィール
「日本統治下のソウルに生まれた」幼少期
1932年 ソウルで生まれる。
親日家であり裕福な実業家だった父親のおかげでピアニスト教育を受けるなど特権的な子供時代を過ごす。
「香港と日本で過ごした」青年期・学生時代
1950年 朝鮮戦争勃発により香港に移住。その後日本に渡り鎌倉に住むようになる。
パイク家は近所で最も早くテレビを導入した過程だった。
この幼いころのテレビ経験が後のパイク作品の源流となる。
東京大学を卒業後アーティストを目指すことを決意しドイツへ。
「音楽活動から始まったアーティスト人生」創作初期
1957年 ミュンヘン大学、フライブルク国際音楽大学で学ぶ。
もともとピアニスト志望だったパイクは、このころヨーゼフ・ボイスとジョン・ケージと出会い刺激を受ける。
そして「フルクサス運動(当時世界中に広がったアートを大衆のものにしようとする運動)」の中心メンバーとしてみなされるようになる。
そして音楽を表現するための「楽器」としてテレビを導入することを始めたのがこの時期。
また同じくテレビなどのテクノロジー製品で造形作品(「Zenfor TV(MOMA美術館)など」を手掛けるようになったのもこのころ。
「はじめてのビデオアートを発表」創作中期
1963年 東京に一時滞在。電気技術者であり東京放送社員「阿部修也」のサポートを受け「ロボット K-456」シリーズを製作。
1964年 ニューヨークに移住。翌年はじめてのビデオアート作品を発表。
1969年 ロックフェラー財団のサポートによって、画像を自由に変更するシンセサイザーを作品表現に導入。
「Global Groove(1973)」「Guadalcanal Requiem(1977)他中期の代表作が多数生まれた。
1977年 久保田茂子と結婚(久保田茂子は二度目の結婚だった)
「名実ともにビデオアートの父と称された」創作後期・現在
1970年代はビデオアートに没頭した時代で特に「TVブッダシリーズ」はよく知られている。
1980年代には初期のロボットアートに回帰した作品を多く残す。
199年代半ばに何百台ものテレビモニターを使った「エレクトロニック・スーパーハイウェイ」をテーマにした作品群を派発表。
2006年 マイアミの自宅で死去。享年73歳だった。
2008年に故郷ソウルに「白南準美術館 ナム・ジュン・パイク・アート・センター」が創設された。
また死後多くの展覧会が開催され、2019年にもロンドンのテート・モダンで「Nam June Paik」展が開催。
ナム・ジュン・パイクの代表作
「TV Buddha」
パイク作品の中でも最もよく知られた作品。
ビデオカメラは仏像を撮影、そして仏像はビデオカメラを凝視している様を表現している。
1974年当時の最先端エレクトロニクスの無限の遊び。
「Robot Opera」
前衛チェロ奏者「シャーロットモーマン」とのコラボレーション作品。
トップレス姿のモーマンを「生きている彫刻(TV Bra for Living Sculpture)」として表現。
1991年にモーマンが亡くなるまで二人の共作は続き、他に「Opera Sextronique(1967)」「TV Cello(1971)」がある。
「RobotFamily」
デビュー当初のロボットをかたどった作品製作は1980年代に入って再開された。
擬人化された3世代のロボットファミリーによって、人々にテクノロジーへの抵抗をなくし共存を促している。
「Megatron/Matrix」「Electronic Superhighway」
何十台ものテレビやDVDプレーヤー、何百メートルものケーブルやネオン管で構成された巨大電子アート作品。
村上隆が「スーパーフラット」なる用語を提唱したように、パイクはこれらの一連の作品を「エレクトロニック・スーパーハイウェイ」と呼んだ。
ナム・ジュン・パイクの市場価格・オークション落札情報
「FLICKER」 118,750ポンド
人気の高いロボットをかたどった作品。ラジオやテレビ、レーザーディスクを組み合わせている。
2019年10月4日 サザビーズ/ロンドン
「HIGH TECH BABY」 128,500米ドル
「ロボットの家族」シリーズのひとつ。
クラシックな木製キャビネットの上に小型モニターを組み合わせて歩く赤ちゃんロボットを表現。
2008年11月12日 サザビーズ/ニューヨーク
https://www.sothebys.com/en/auctions/ecatalogue/2008/contemporary-art-day-sale-n08490/lot.595.html
「アレキサンダー大王」 4,540,000香港ドル
象にまたがるアレキサンダー大王をネオンライトで表現
2018年5月26日 クリスティーズ/香港
https://www.christies.com/LotFinder/lot_details.aspx?intObjectID=6146955
「Rocketship to Virtual Venus」 2,900,000香港ドル
Samsung社製13インチTVモニタを積み上げて高さ5メートル近いロケットに見立てた作品。
2010年5月29日 クリスティーズ/香港
https://www.christies.com/LotFinder/lot_details.aspx?intObjectID=5323016
ナム・ジュン・パイクの作品と出会える場所
ワタリウム美術館(東京渋谷)
ナム・ジュン・パイクの最新トピックなど
国内でナム・ジュン・パイク作品と出会える機会はめっきり少なくなりましたが、パイクファンには朗報が舞い込みました。
東京渋谷の「ワタリウム美術館」で開催されいている「生きている東京展(2020年9月5日(土)~2021年1月31日(日))」では、ナム・ジュン・パイク作品と出会えます。
2012年に亡くなられた創設者「和多利志津子」さんは生前にパイクと親交が深かったことで知られ、多くのパイク作品を所蔵する貴重なミュージアムです。
(現在は子供である和多利恵津子、和多利浩一さんが運営)
同美術館が過去のパイク展覧会開催時に敢行した「ナムジュン・パイク2020年笑っているのは誰?」を読みながら鑑賞してみると面白いです。
「P.S.もし2020年に中国のGNPがアメリカを抜いて世界一になったとしよう。」というくだりなどちょっとどきりとする箇所も。おすすめです!
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