アーティスト紹介 オノ・ヨーコ/小野 洋子
今回ご紹介するアーティストは「オノ・ヨーコ(小野 洋子)YokoOno」は世界でもっとも有名な日本人女性です。
世界中の人々に彼女の名が知られるようになった理由は、もちろんビートルズのジョンレノンの妻でありパートナーだったという事実にあります。
そしてビートルズファンを中心とした欧米での半世紀にわたるパッシングによって「オノヨーコ」という名前は負のベクトルに拡大されてしまいました。
ジョンレノンとの結婚に至るまでの複雑な経緯や、平和祈念とはいえ当時奇異に映ったであろう二人が行ったパフォーマンスの数々、熱狂的なファンを絶望におとしいれたビートルズの解散、そして東洋人女性×魔女を連想させる妙にセクシャルなルックス、さまざまな要因がからみあってオノ・ヨーコに明るいイメージを持つ人は少なかったことでしょう。
しかしジョンレノンというビッグネームとは無関係にオノヨーコ自身が大きな足跡を残したアーティストのひとりであることに「YES」と私たち日本人は肯定してもいいのではないでしょうか?
この記事を読んでいただくと
- 主なプロフィール
- 代表作
- 作品オークション情報
- アーティスト関連最新情報
などについて知っていただけます。
アートに興味関心のある方にはきっと面白くお読みいただけます。
ぜひご一読ください。
オノ・ヨーコのプロフィールと足跡
トップセレブとしての少女時代(日本 アメリカ)
1933年東京生まれのオノ・ヨーコは当時の日本トップクラスの上流階級の子弟として育ちました。
父方は柳川藩士、母方は富山藩士を家系に持つ家柄で、家系図はまるで日本史の教科書の1ページのよう!
- 父方の祖父は日本興業銀行(現在のみずほ銀行)総裁を務めた小野英二郎
- 父は元東京銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)常務小野英輔
- 母方の曽祖父は安田財閥の創業者安田善次郎
など錚々たる人物が登場します。
彼女がどんな少女時代を送ったか?そのよすがとなる建物が東京九段下「ホテルグランドパレス」の裏手にある「駐日フィリピン大使館公邸」です。
瀟洒なスペイン風建築の威容を誇る大洋館でオノ・ヨーコは少女時代の3年間を過ごしました。
ジョンレノンと出会う前の2度の結婚
学習院、サラ・ローレンス大学(アメリカの名門女子大)で哲学や詩、音楽を学んだオノ・ヨーコですが、1956年神戸出身のピアニスト「一柳慧 いちやなぎとし」との結婚により中退することを選択します。
ジョン・ケージに感銘を受けて前衛芸術活動フルクサスに傾倒した一柳と行動を共にするうちに、カーネーギーリサイタルホールでおこなった演奏会「オノ・ヨーコの作品」を皮切りに「ハプニング」「カットピース」などのパフォーマンスアートを発表。
一躍当時最先端だった前衛芸術のスターアーティストに躍り出ます。
しかしほどなく夫婦生活は破綻。
1962年ごろからはたびたび自殺未遂を繰り返し、精神病院に入院していました。
入院中の彼女を毎日花束を持って見舞いに来ていたのが熱烈なオノ・ヨーコファン「トニー(アンソニー・コックス)」です。
二度目の夫となり、はじめての子供「京子」の父親となる男性です。
やさしいけれど「性格にアートの要素が全くない」男性だったようですが、オノ・ヨーコは同年一柳と別離し彼と生きることを選択します。
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ジョンレノンとの出会い
大財閥のひ孫にうまれたオノ・ヨーコは、トニーとの結婚生活で生まれてはじめて経済的に困窮する経験をします。
ニューヨークを離れたくなかったオノ・ヨーコですが、渋々ロンドンでのスポンサー探しのプロモート活動を開始することに同意しました。
そして1966年11月9日、運命の瞬間が訪れます。
オノ・ヨーコがロンドンのインディカ・ギャラリーで行った個展に訪れたジョンレノンが「天井の絵」に見る「YES」の文字に感銘を受けます。
この出会いによって、お互いすでに家庭があったものの恋愛関係に陥ることに。
またさまざまな批判はあったものの、当時LSDコカインなど麻薬中毒だったジョンレノンを救ったのはオノ・ヨーコの存在が大木かったという証言もあります。
紆余曲折ありながらも1969年3月20日ジブラルタルの浜辺で結婚式を挙げ、1975年ふたりのあいだの一人息子ショーン・レノンが誕生します。
その後1980年ジョンレノンが突然の死を迎えるまで、一度別れた時期はあったものの
- はじめての共同作品「AcornPeace 平和のどんぐり」
- 世界平和のためのパフォーマンス「ベッド・イン」
- 広告ビルボードを世界に展開した「WAR IS OVER!」
- ジョンレノンの死の一月前に完成した共作アルバム「ダブル・ファンタジー」
など、二人は平和運動反戦運動の象徴となります。
ジョンレノンの死後
ジョンレノンを失った後も人生をあきらめることなく、アートや平和活動、そして愛する人との暮らしをどん欲に追い求めました。
独自のコンセプチュアルアートやダンスミュージックで評価の高い作品を残しています。
2009年ヴェネツィア・ビエンナーレで日本人初「生涯業績部門の金獅子賞」を受賞
2015年ニューヨークのMOMA、東京都現代美術館で大回顧展が開催。
現代アートの先駆者、平和活動のシンボルとしてのオノ・ヨーコの存在はようやく本来受けるべき高い評価を受けはじめています。
オノ・ヨーコの代表作
前衛芸術家としての5つのアイコンアート
天井の絵(イエスペインティング)
床に置かれた脚立を上り、吊るされた虫眼鏡を使って、天井にあるキャンバスに小さく書かれた「YES」の文字と出合うというインスタレーションアート。
ジョンレノンがこの作品の「肯定感」に感動し、オノ・ヨーコに惹かれるようになったことは有名なエピソード。
カットピース
舞台上に座ったオノ・ヨーコの衣服を観客がハサミでカットしていくというパフォーマンスアート。
作品説明は「Cut」の単語のみで、女性がさまざまな暴力で傷つくさまを見せることで訴えています。
ウィッシュツリー
1996年からスタートした平和祈願プロジェクト。
各地で行ってきた平和を祈願するプロジェクトで、来場者が自分の願いごとを白い短冊に書き、木=ウィッシュツリーに吊るしていくというもの。
ニューヨークやロンドン、ベネチアなど世界各国で開催されてきました。
イマジンピースタワー
その年に書かれたウィッシュツリーの短冊はすべてオノ・ヨーコのもとに届けられます。
それらの短冊はすべてデジタル化され、アイスランドのレイキャビク近くのビーズエイ島に建立された「イマジン・ピース・タワー」の台座に永久に保存されます。
グレープフルーツ
1964年に500冊限定で自費出版したコンセプチュアルアートブック。
イマジンのベースともなった作品で、ジョンレノンはインタビューで「イマジンのベースとなった作品。イマジンはヨーコとの共作にすべきだった」とこたえています。
2017年全米音楽出版社協会により正式にイマジンがジョンレノンとオノ・ヨーコの凶作であると認められました。
ダンスミュージックのヒットメーカー
永遠にリミックスされる名曲「WalkingonThinIce」
もともとピアノ演奏でアートシーンに登場し、3人の夫たちは音楽活動を生業としていました。
その影響もあって、オノ・ヨーコはアーティスト活動初期から音楽表現を行ってきました。
「ダブルファンタジー」の中の一曲「WalkingonThinIce」はジョンレノンが「これははじめてのナンバーワンヒットになる」と言ったとおりに初のヒットチャート入りを果たしました。
その後もペットショップボーイズ他数々のアーティストがリミックスし、チャート入りしています。
新旧の自身の曲をベースにヒットチャート入り
オノ・ヨーコは息子ショーンレノンとの共作や、プラスティックオノバンドとしての作品など、彼女自身の言葉を借りれば「バンバンできている」と精力的に発表。
同時に40代以前に作った昔の曲をダンスナンバーとしてナンバーワンヒットを連発。
2018年に発表したアルバム「WARZONE」はその集大成です。
またDJ界のレジェンド「ラルフィ・ロザリオ(近作ではリアーナのOnly Girlがある)」による「トーキング・トゥ・ザ・ユニバース」などが収録された2012年のリミックスアルバム「Onomix」も今に伝わる名盤です。
オノ・ヨーコのオークション落札情報
「グレープフルーツ」
クリスティーズが主宰する書籍オークションで6,000ポンドで落札された。
ジョンレノンと出会う前に一緒に働いていたスタッフの兄弟夫妻に贈ったもの。
「春や春 今宵芸に空を飛ばずや」と直筆で書かれている。
「PLAY IT BY TRUST」
サザビーズで116,500米ドルで落札された。
すべての駒、チェス盤、チェステーブルすべては白一色で塗られている。
インスタレーション作品として発表した当時はテーブルも椅子も白だった。
「戦えないチェス」に込められた反戦へのメッセージ。
オノ・ヨーコ作品と出会える場所
十和田市現代美術館(青森県)
ウィッシュツリーに選ばれたリンゴの木を中心とした、中庭全体を使ったインスタレーションが鑑賞できる。
玉石を川に見立てた「三途の川」、京都の古寺から寄贈された鐘「平和の鐘」も必見。
十勝千年の森(北海道)
十勝千年の森の敷地内には(予約なしで入ることはできないが)開拓農家の家屋が保存されている。
この建物にはライブで空を映し出す15台のテレビと、空にまつわる言葉の朗読ビデオを上映するというインスタレーション作品がある。
「北海道のためのスカイTV」と名付けられた。
森美術館(東京)
203×160cmのキャンバス一杯に書かれた「夢」と墨で一文字書かれている。
タイトルもそのまま「夢」で2011年の作品。
オノ・ヨーコの最新情報
2017年ごろから車いす生活、認知症などの健康不安説がささやかれていたオノ・ヨーコですが、日本国内での報道を見る限りでは、日本経済新聞のインタビュー特集記事、NHKの人気番組「ファミリーヒストリー」への出演などで元気な姿を見ることができました。
そして2021年東京のソニーミュージック六本木ミュージアムで展覧会「ダブル・ファンタジー ジョン&ヨーコ」が開催。
息子ショーンと共に観客へのメッセージ(ステートメント)を寄せています。
国外においてもオノ・ヨーコが行ってきた運動への賛同や、個展開催のニュースが舞い込み、ジョンレノンというビッグネームとは無関係にオノヨーコ自身が大きな足跡を残したアーティストのひとりであることに世界が目を向け始めていることが感じられます。
そして2021年2月18日に88回目の誕生日を迎えたオノ・ヨーコ。
コロナ渦の現在は、ニューヨークから離れ息子のショーンとステイホーム、静かに暮らしているそうです。
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