片岡球子のアートスタイル
片岡球子作品の特徴と魅力・評価ポイント
特徴と魅力
従来の日本画になかった大胆な構成や色使いで、日本画の新境地を切り開いた片岡球子。
しかしかつて片岡球子の作品はその斬新さがわざわいし「ゲテモノ」とまで呼ばれるほど不当な評価を受けてきました。
およそアート作品には似つかわしくないレッテルを貼られながらも、絵を描き続けた執念の女流画家は103歳で生涯を終えるまで絵筆を執り続けました。
見る人の息を詰まらせるほど迫力のある絵を描きたい
若き日に語った抱負は実現し、「火山」「富士」「面構」などの連作ほか多くの迫力に満ちた作品を残しました。
現在でこそ大家と呼ばれる片岡球子ですが、長く不遇な時代が続いたこともあって多くの作品が散逸しています。
コレクターにとっては、古物商やネットオークションなどで作品発掘が期待できる楽しみがあります。
人気テレビ番組「なんでも鑑定団」2019年10月22日付放送では、太宰府天満宮の骨董市で50万円で購入した「富士山」が5,000,000円の値が付いたことは記憶に新しいところです。
人気の高い「富士山」シリーズを中心に今後の値動きが期待できる作家の一人となっています。
日本画の殻を打ち破り、迫力ある絵を残したいという思いのささえになったのは、優美な作風の正統派日本画家「小林古径」からのことばでした。
「そのゲテモノを捨ててはいけない。
手法も考え方もそのままでよろしいから、
自分のやりたい方法で、自分の考える通りに、
どこまでも描いてゆきなさい」
引用元:https://style.nikkei.com/article/DGXMZO85754780W5A410C1000000/
評価ポイント
日本画の新境地を切り開いた女流画家として、個性的な画風とともに知名度の高い作家です。
「文化勲章」「文化功労者」「勲三等瑞宝章」に輝いてきた大家ですが、近年さらに評価を高めている作家です。
創作活動の初期のバランスを描いたように見える型破りさが、年月を追うごとに洗練されて「書きたいもの」が周りに見えるようになると、本来あるべき評価を受けるようになりました。
「優雅さ」「典雅さ」を追求してきた日本画に、人間らしさを全面に出した迫力ある表現を取り入れたことは日本画の歴史の新しい幕開けとなったといえるでしょう。
保守的な日本画の世界に新しい表現方法を提案し、今なお新鮮さを感じさせる作風によって多くのファンを得ています。
片岡球子のプロフィール
幼少期
1905年北海道札幌市に生まれる。実家は裕福なみそやしょうゆを造る醸造家だった。
両親はともに岡山県出身。
1923年北海道立札幌高等女学校師範科卒業。日本画家を志すことを決意し美大進学を志す。
青年期・学生時代
1926年女子美術専門学校(女子美術大学) 日本画科高等科卒業。
両親の反対にあうが画家になる道を選ぶ。すでに決まっていた婚約も破棄したため実家から勘当される。自活のため神奈川県横浜市立大岡尋常小学校教論になる。
以後30年間教育者として画家として多忙な日々を送る。
創作初期
保守的な師の指導に従い伝統的な日本画を製作してきたが、次第に自分の心の赴くままに描きたい思いが抑えられなくなる。
破門されながらも挑戦した院展での初入選以降、次第に画壇からの評価が得られるようになった
1930年再興第17回日本美術院展で「枇杷(びわ)」初入選。当時師と仰いでいた吉村忠夫に反対されながらも出品したため破門となる。
しかしその後は「学ぶ子等」「炬燵」「祈祷の僧」などで幾多の入選に輝く。
1955年大岡小学校退職。同年女子美術大学日本画科の専任講師に就任。
創作中期
多忙な小学校教師と創作との2重生活から脱却してから、一気に才能が開花した。
片岡球子らしい肉太で大胆な筆線を特徴とする表現主義的な作風が評価されるようになった。
1966年から「面構」シリーズ製作スタート。歴史上の人物を「大津絵」「凧絵」などの民衆芸術、さらに「浮世絵」の表現を取り入れて象徴的かつ多様に展開。
- 1960年女子美術大学日本画家助教授となる。
- 1961年芸術選奨文部大臣賞を受賞。日本美術院評議員となる。
- 1962年女子美術大学日本画科教授となる。
- 1966年女子美術大学客員教授、愛知県立芸術大学日本画科主任教授となる。
- 1975年日本芸術院恩賜賞を受賞
- 1989年文化勲章を受賞。
創作後期・現在
晩年においても鮮やかな色彩と大胆な造形、そしてみるものに迫る迫力あふれる人間表現は健在。
- 1993年「法隆寺金堂壁画模写」 全32面完成。この作品は愛知県立芸術大学教官・卒業生と20年の歳月をかけて作成された。
- 2005年高島屋で 「片岡球子百壽展」が開催
- 2008年急性心不全のため享年103歳で死去。神奈川県内の病院で養女・片岡佐和子氏に看取られた最期だった。片岡球子は生涯独身を貫いた人だった。
- 2015年東京国立近代美術館にて「生誕110年 片岡球子展」を開催。
- 2019年北海道立釧路芸術館にて「片岡球子と難波田龍起展」開催。ともに北海道出身かつ活躍時期もほぼ同じで、近代日本美術史に大きな足跡を残した。
片岡球子の代表作
火山シリーズ
1960年前後から着手したシリーズ。
日本全国の火山に興味を持ち、桜島、浅間、昭和新山など多くの火山絵を残した。
富士山シリーズ
1964年ごろから富士山のスケッチをスタートした。
もっとも人気のある作品群で、製作期間40年あまりのあいだの版画制作は100点を超える。
面構シリーズ
実物大の大きさで迫る大胆なデフォルメ、強烈な色彩が印象に残るシリーズ。
1954年「歌舞伎南蛮寺門前所見」で歌舞伎役者を描写したことから伝統芸能の世界にめざめた。
61歳から99歳まで描き続けた面構では、特に室町時代の3将軍を「足利尊氏」「足利義満」「足利義政」にファンが多い。
本作は足利家の菩提寺「等持院」の彫像との出合イにインスパイアされた作品。
片岡球子の市場価格・オークション落札情報
「めで多き富士」 13,000,000円
45.7×53.1cm 紙本・彩色
2015年5月23日 シンワアートオークション
「富士に献花(ひまわり)」 1,150,000円
2019年2月28日 マレットジャパンオークションハウス
「富士に献花(めでたき富士)」400,000円
40×47.5 cm リトグラフ・シルクスクリーン
アンシャンテオークション
片岡球子の作品と出会える場所
東京都現代美術館
「四季の花」
池袋サンシャインシティ
「富士山」陶板壁画 ※西街区1階の表正面
岡山県立美術館
「面構(鍬形蕙斎・山東京伝)」「福女(オリジナル石版画)」「富士(オリジナル石版画)」「舞楽(抜頭)」「裸婦」
片岡球子の最新トピックなど
実家の束縛や、冒険を嫌う旧弊な画壇にも負けずに自らの絵を追求し続けた片岡球子。
おなじ北海道出身の美術評論家である奥岡茂雄著「片岡球子 個性(こころ)の旅路」で葛藤ともがきを垣間見ることができます。
そして片岡球子の生まれ育った生家が意外な形で活用されていたことがあまり知られていません。
100年以上の歴史を持つ和風建築の裏手にある「倉庫カリー」というインドカレー店です。
高い天井の工場と倉庫を生かしてネパール出身の店長バルカス・アリアルさんが作る本場の味は大好評。
2018年に札幌場外市場内に移転するまで、美術愛好家の間の隠れた人気スポットでした。
札幌旅行の際に創成川東側の北10条辺りを散策したときには、ぜひ訪れてみてください。
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