ジャン・フォートリエのアートスタイル
表現形式
絵画
彫刻(造形)
版画
表現ジャンル
アンフォルメル
タシズム
キネティック・アート
表現主義
写実主義
ジャン・フォートリエ作品の特徴と魅力・評価ポイント
特徴と魅力
日本では国内美術館でいくつもの「アンフォルメル」を代表する芸術家、「フォートリエ」の重要作品を鑑賞することができます。
- 画家の今井俊満はじめフォートリエ(ないしはアンフォルメル)と交友のある作家、評論家が多かったこと
- アンフォルメルを紹介する展覧会がデパートで開催されたこと(日本橋高島屋の「世界・今日の美術展」)
- 中心人物である「ジョルジョ・マチウ」が「禅」「鎌倉時代」など日本史にまつわる作品を発表したこと
- また浴衣姿のライブペインティング(日本橋白木屋)をおこなったこと
- 生前に来日個展(南画廊)があったこと
のおかげといえます。
「熱い抽象」とも呼ばれるアンフォルメルという様式は、理性を超えた意識下の激しい感情の表現を試みたものです。
2度の世界大戦、大恐慌を経験してなお表現することに倦まないフォートリエらに触発され、批評家のミシェル・タピエが提唱しました。
写実的な表現に依存しない先駆的な抽象表現として、戦後パリの美術界を席巻しました。
アンフォルメルを代表する作家であるフォートリエの作風は、40年に及ぶキャリアの中で、大きく変貌しました。
フォートリエの作品に接して戸惑うのは、製作時期で画風が激変していることにあります。
初期の表現主義的な静物画、中期の「人質」に代表されるダークトーンの油彩画、そして「永遠の幸福」のような軽やかな色彩
しかしその変化もフォートリエの表現のひとつです。
時系列で作家の人生を重ね合わせてみれば見えてくるものはたくさんあります。
アイルランドの自然の中で祖母と暮らす日々にフォートリエの目に映ったものは?
フォートリエが「人質」を描いていた時、アトリエの外では何が行われていたのか?
アーティストの生きた時代を重ねながら鑑賞することで、さらに作品を深く知ることができるでしょう。
評価ポイント
フォートリエは美術界において、戦時下の体験を絵画に反映させたアーティストの中で最も重要な1人とみなされてきました。
戦争の犠牲者というテーマの「人質」をフランス解放直後というタイミングで発表したことは、行動そのものが戦後芸術家として注目を集めるに十分でした。
また抽象芸術の先駆的表現についてはその厚く盛られた焼きもののような独自の絵肌や、、また題材自体をより連想させる抽象化した表現など、これまでの絵画とは違う斬新性
フォートリエは日本を例外として、母国フランスとドイツなどの一部のヨーロッパの国々以外ではあまり知られていない画家でした。
積極的に有力グループやサロンに交わることがなかった孤高のアーティストだったことも影響しているのでしょう。
しかし2005年にコロンビア大学のワラック・アート・ギャラリーで最初のアメリカ回顧展が開かれたことで格段に知名度が上昇しました。
2018年には母国パリで大規模回顧展が開かれ、オークションでの落札価格も大幅に上昇しています。
ジャン・フォートリエのプロフィール
幼少期
1898年フランス・パリで生まれる。母親は未婚で彼を生んだ。
ごく幼い時に裕福な実業家だった父が死去。祖母のいるアイルランドで暮らす。
青年期・学生時代
1908年祖母が死去したためロンドンで母親と暮らしはじめる。
1912年に「英王立美術学校(ロイヤルアカデミーオブアーツ」に入学するも中退。「スレード美術学校」に入り直す。
どちらも現在も国際評価が高いロンドンの美術学校の名門だが、古臭い古典主義の教育内容は満足できるものではなかった。
画家として独立することを選んだ後は、十分生活が可能なほどの画代を稼いだ。
1917年第1次世界大戦徴兵によりフランスへ帰国。頑健な体格ではなかったため、英語力を生かした通訳や救急救命士が主な任務だった。しかし戦闘中に毒ガス攻撃を受け生涯に渡って後遺症に苦しんだ。
創作初期
戦時中に体を壊し、大恐慌後には困窮のため創作活動から遠ざかるなど苦難の時期となる。
1920年第1次世界大戦終了を機にパリに戻る。療養先のチロルで再び絵を描きはじめた。
1922年パリで創作活動再開
1923年版画と彫刻の製作をスタート
1924年パリのヴァンドーム広場そばの「ギャラリーヴィスコンティ」で初個展
1928年「Bouquet 花束」などで抽象絵画に挑戦。この時期は表現主義的な「Nature morte aux poires 梨のある静物」などが混在する。
1930年代に入ると世界大恐慌のあおりによってポール・ギョームらからの援助、galleryとの契約も打ち切られた。
パリからアルプス地方へと転居し、ナイトクラブの経営やスキーのインストラクターなどで生計を維持することを余儀なくされる。
しかし新しい画法の実験は続けており、紙や石膏など様々な材料でキャンバス画面を盛り上げてから絵具で描くで技法はこの頃確立された。
私生活では1935年にイヴォンヌ・ロイヤーと結婚(のちに離婚)
創作中期
2度の大戦の経験はフォートリエの画風を根底から変貌させた。
一貫して感じたままを表現してきたフォートリエだけに、経験に基づく意識の変化が作品にあらわれているといえる。
そして厚く塗りこめられた暗い色彩の彼の絵は、「鉱物のような人間像」とも「戦争をくぐりぬけて得た非情な人間観」と評価された。
戦争という悲惨な体験を共有したサルトルほか当時の知識人から「もっとも戦後的な画家」と呼ばれた所以。
1937年パリに戻る。作風は重く苦しい第二次世界大戦時にナチに抵抗したレジスタンスにアトリエを提供した。
1943年ゲシュタポによって逮捕される事件がありがパリ近郊の精神病院に潜伏する。
潜伏場所から数メートルも離れていない空地ではかつての同志たちが銃殺される場面を目撃した。
「人質」の制を作スタート。この頃から「ジーニー・エイプリー」と暮らしはじめのちに2人の子供をもうけた。
1945年パリ」解放後に満を持して連作「人質」発表。
「人質」というタイムリーな主題、独特のダークトーンの画面に浮かぶ抽象的な人物像は大きな反響を呼んだ。
戦争という暴力を、独特の厚塗りと荒々しいパレットナイフの痕跡で表現したことは画期的な試みと評価された。
創作後期・現在
戦後のフォートリエは経済的に成功をおさめたとはいえないものの欧米を中心に各国で個展を開催した。
また日本に来日し多くの美術館がフォートリエ作品を買い付けた。
またアンフォルメルのリーダー的存在だったタピエは、フランス留学中の画家「今井俊満」「堂本尚郎」など日本のアーティストを世界に紹介した。
フォートリエと日本との縁は意外なほど深い。
1949年1作品につき300点以上制作する「複数原画」製作。この試みは1953年まで続く。
1956年ハンガリー動乱(プラハの春)を題材にした連作「パルチザン」を制作。現在個人のコレクションとなっており見ることはできない
1959年詩人ジャン・ポーランらと来日した際に「南画廊」で個展を開催。多くの日本の美術館に重要な作品が収蔵されることになった。
1960年「ヴェネチア・ビエンナーレ」大賞を受賞
1961年「東京ビエンナーレ」大賞を受賞
1964年パリ近代美術館で最初の回顧展開催。 ※1989年、2018年も開催
同年死去。2年前に出会ったジャクリーヌ・カズンと結婚することになっていた日だった。
2014年「東京ステーションギャラリー」にて「ジャン・フォートリエ展」開催 ※その後「国立国際美術館」(大阪中之島)「豊田市美術館(愛知)」巡回
ジャン・フォートリエの代表作
- 「人質」 ※1945年46枚の絵画と3体の彫刻を発表
- 「パルチザン」
- 「肌」
- 「角度」
- 「パノラマ」
ジャン・フォートリエの市場価格・オークション落札情報
「INDIGO ET JAUNE」 219,000ユーロ
54 x 65 cm 油彩、ミクストメディア、紙、キャンヴァス
2016年6月7日~2016年6月8日 サザビーズ/パリ
「I’m Falling in Love」 468,000ポンド
油彩 89 x 116cm
2007年6月20日 クリスティーズ/ロンドン
「ALL ALONE」 649,500ユーロ
油彩 89 x 146 cm
2013年6月4日 クリスティーズ/パリ
「シンメトリー Ⅳ」 12,075,000円
油彩、ミクストメディア、紙、キャンヴァス 54.0 × 73.0 cm
2019年7月27日 SBIオークション/東京
ジャン・フォートリエの作品と出会える場所
玉川大学教育博物館(東京)
「植物」
兵庫県立美術館
「トルソ」
「人質たちの習作 銃殺された人々、人質1-B、黒の上の人質たち、虐殺された人々、手のある人質Ⅰ、手のある人質Ⅱ」
大阪中之島美術館 ※2021年オープン予定
「永遠の幸福 As Happy As Ever」
大原美術館(岡山県)
「雨」「人質 人間の頭部no9」
ジャン・フォートリエの最新トピックなど
JR東京駅の丸の内北口改札前の「東京ステーションギャラリー」。
館内が撮影可能なうえ、レンガ壁の展示室がSNS映えするとあって若い世代にも人気の高い美術館です。
この場所で2014年ジャン・フォートリエの日本初の本格的な回顧展がひらかれました。
連作「人質」の絵画10点、そして作品数の少ない彫刻2点も展示され美術ファンたちは大いに盛り上がりました。
しかし前述のとおりフォートリエの作品は、国内の多くの美術館で出会うことができます。
コロナ騒動が落ち着いたらぜひお出かけになってみては。
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