ジュエラーのためのジュエラー「オスカーハイマン/OscarHeyman」
2020年4月から開催される予定だった「ボストン美術館展 芸術×力」。
残念なことに新型コロナウイルスの感染拡大のためボストン美術館からの作品輸送が困難となり開催中止が決定しました(2020年5月17日 公式ホームページより https://www.ntv.co.jp/boston2020/)
この展覧会のポスターの中で、ひときわ目を引く豪華なエメラルドのブローチがありました。
長いあいだ一握りのジュエリー愛好家だけに知られてきた宝飾ブランド「オスカーハイマン OscarHeyman」によるものです。
ブランド創業から100年以上ものあいだ秘密めいた存在だった理由は、オスカーハイマンがほかのジュエリーブランドのためのジュエリー製作を手掛けてきたことです(ジュエラーオブジュエラー)。
- カルティエ
- ティファニー
- ハリーウィンストン
- ヴァンクリーフ&アーペル
ほか錚々たるビッグブランドにジュエリーを提供してきました。
そしてオスカーハイマンのジュエリーを愛した顧客は
- エリザベス・テイラー
- マイケル・ジャクソン
- ナンシー・レーガン
など数え上げればきりがありません。
この記事ではジュエラーオブジュエラーと呼ばれた知られざる世界有数の宝飾ブランド「オスカーハイマン/OscarHeyman」の特徴や魅力についてご紹介します。
オスカーハイマン/OscarHeymanジュエリーの特徴と魅力
オスカーハイマンによるジュエリーの魅力は、100年以上の時の流れの中で培われた世界トップクラスジュエリー製作の歴史そのものにあります。
オスカーハイマンが手掛けた名品ジュエリーは枚挙にいとまがありません。
ボストン美術館出展予定だったエメラルドのブローチです。
20世紀最大の女性大富豪とうたわれた「マージョリー・メリウェザー・ポスト」が所有していたものです。
また、マイケル・ジャクソンがエリザベス・テーラーに贈ったダイヤモンドやエメラルドなど数々のジュエリーも忘れてはならない名品が揃います。
しかしオスカーハイマンは決して表に立つことをしない宝飾ブランドでした。
一握りのセレブだけが「あれはオスカーハイマンのジュエリー」であることを知っていました。
このようにビッグブランドへのジュエリー提供と、世界の超富裕層たちのカスタムジュエリーを中心に手掛けてきたオスカーハイマンは誰でも買えるジュエリーブランドではありませんでした。
しかし時代は変わり、謎めいたブランドだったオスカーハイマンにも変革が訪れました。
1970年に創業者オスカーハイマンが亡くなった後の子孫たちによって、徐々に秘密の扉はオープンとなっています。
なにしろ現在ではジュエリーショップにオスカーハイマンのブランドネームを冠したリングやネックレスが並びます。
公式サイトでジュエリーリフォームの相談を引き受けるとまで(実際に引き受けてもらえるかは不明ですが)!
アメリカ、ひいては世界のジュエリー界の陰の立役者だったオスカーハイマン。
その功績に敬意を表し、2017年にボストン美術館(MFA)からはじめてのブランド解説専門書が出版されています。
オスカーハイマン/OscarHeymanのブランドヒストリー
1939年の世界博覧会で公に「ジュエラーのためのジュエラー」として称賛を浴びたオスカーハイマン。
ほかのブランドのジュエリーを手掛けるというブランドの特性上これまで表に出ることのなかったブランドでした。
2017年のボストン美術館の出版物、同社の公式サイトによってはじめて私たちはブランドの足跡をたどることができるようになりました。
修業時代 13歳でロシア宮廷宝飾工房の見習いに
1888年創業者オスカーハイマンがラトビアで誕生
1901年13歳の時に16歳の兄ネイサンともにウクライナに住む大叔父のジュエリー工房の見習いとなる。
この工房ロシアの宮廷宝石商ピーターカールファベルジェの注文による高級宝飾品を製造していた。
ブランド創業~初期 アメリカンドリームを求めてニューヨークへ
1906年オスカーとネイサンは東欧からの移民の一員としてニューヨークに移る。
プラチナを使ったジュエリー製造に長けたふたりは次第に「ジュエラーオブジュエラー」と呼ばれるようになる。
1909年オスカーがカルティエのニューヨーク支店で働く。最初のフランス出身者以外のスタッフとなった。
1911年ロシアの家族全員をニューヨークに呼び寄せる
1912年オスカーハイマン&ブラザーズ(オスカー、ネイサン&ハリー)を創業
ブランド中期 「ジュエラーオブジュエラー」としての地位を確立
2度の世界大戦を経験しながらもハイマンファミリーの固い結束によってブランドは順調に成長。
ジュエリー製造に関する7つの特許(目に見えないブレスレットの留め金、ダブルクリップブローチなど)を取得。
何度か移転を繰り返しながら、5番街と並ぶニューヨークの目抜き通りマディソンアベニューに店を構える(現在も同じ場所で工房を運営)。
大戦前にはすでにコロンビア最大規模のエメラルド鉱山「チボール」の原石取得権利を獲得している。
1939年「ニューヨークワールドフェア」開催。
同フェアに出展したカルティエ他5つのブランドの大半のジュエリーをオスカーハイマンが手掛けた。
この功績により「The jewelers jeweler ジュエラーオブジュエラー」と認められた。
その後ヴァンクリーフ&アーペルのジュエリー製造を委託される。
1970年オスカー・ハイマンが亡くなる。あとを継いだのはハイマン兄弟の末っ子ジョージ・ハイマンだった。
ブランド後期から現在 第三世代の経営者たちによって開かれたブランドへ
2012年ブランド100周年を迎えて「オスカーハイマンアンドブラザーズ」から「オスカーハイマン」にブランド名変更。
2017年ボストン美術館からジュエリー解説書が出版される。
オスカーハイマン/OscarHeymanのアイコニックアイテム
パンジーブローチ
オスカーヘイマン&ブラザーズといえばこのブローチを思い起こす人は多い。
1930年代から同ブランドの定番となった。
1980年代半ばから2000年まで、ティファニーのために製造された。
アメリカンフラッグブローチ
アメリカの星条旗をデザインしたブローチ。
1917年製造から現在までベストセラーアイテム。
アメリカンイーグルブローチ
第二次世界大戦に国民を鼓舞する意味で制作された。
アメリカンイーグル(アメリカの国鳥)をフィーチャーしたブローチ
エメラルドジュエリー
コロンビアのチボール鉱山から産出される良質のエメラルド入手権を持っています。
世界最高品質のエメラルドを使用して、数々のエメラルドジュエリーの名品を制作してきました。
最も有名なのがマイケルジャクソンがエリザベステイラーにプレゼントしたダイヤモンドとエメラルドのネックレスの数々です。
サルのモチーフをかたどったもの、1956年に作られたビンテージ他マイケルがリズに贈ったギフトはその後2011年クリスティーズのオークションで売却されました。
オスカーハイマンのジュエリーを手に入れられる場所
残念ながらオスカーハイマンには直営店舗はありません。
※日本では1973年から創業者兄弟ハリーの息子「デビッドハイマン」が代表をつとめ、また「(株)ハラダインターナショナル (東京都港区)」が代理店だった時期もありました(2004年まで)。
公式サイトやSNSでジュエリーコレクションをチェックすることが可能です。
公式サイト:https://www.oscarheyman.com/
Instagram:instagram.com/oscarheyman/?hl=ja
そしてオスカーハイマンのジュエリーを手に入れるなら、国内のリユースマーケットで手に入れる方法があります。
ぜひこちらもごらんください!
■ オスカーハイマンのお買取希望はお気軽に!
オスカーハイマンは現在お買取強化中のブランドです。
お手持ちのオスカーハイマンのジュエリーはすべてご相談を承ります!
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世界最高峰「ジュエラーオブジュエラー」オスカーハイマン
世界で最も有名なジュエリーブランドのジュエリーを製造してきたオスカーハイマン。
ジュエリー関係者もしくは同ブランドに直接オーダーできるクラスの富裕層のみがアクセスできるブランドでした。
しかし現在においてはダイヤモンドをはじめとする宝石やジュエリーには、
- トレーサビリティ(生産地あるいは製造場所を追跡できること)
- エシカル(倫理的かつ道徳的と認められること。広く社会的な規範を備えていること)
が要求されます。
かつてのオスカーハイマンが有していた匿名性はもはや無意味なものになりつつあるのです。
いま私たちは、美術館や博物館、そしてSNSでオスカーハイマンの名品ジュエリーを目にすることができるようになりました。
開かれたハイクラスジュエリーブランドとして、オスカーハイマンはこれまで以上に人々の尊敬を集めています。
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