リチャード・ハミルトンのアートスタイル
表現形式
絵画
フォトモンタージュ
工業デザイン
表現ジャンル
ポップアート
リチャード・ハミルトン作品の特徴と魅力・評価ポイント
「リチャード・ハミルトン/Richard Hamilton」とはどのようなアーティストだったのか?
作品の特徴と魅力をひもといてみました。
特徴と魅力
ポップ・アートと聞くと多くの人がイメージするのは
(アンディ・ウォーホルによる)マリリン・モンローやキャンベル・スープ缶
(ロイ・リキテンスタインによる)アメリカン・コミック
などポップアートのアイコン的モチーフの作品やポスターでしょう。
「アンディ・ウォーホル」「ロイ・リキテンスタイン」ポップアート界の2大ビッグネームはそろって1960年代に大ブームを巻き起こしました。
しかし実はポップアートの発祥地はイギリスのロンドンなのです。
なかでも今回ご紹介する「リチャード・ハミルトン/Richard Hamilton」はその先陣を切った「ポップアートの父」と呼ばれる存在のアーティストです。
(そもそもポップアートというネーミングはイギリスの美術評論家ローレンス・アロウェイによるものです。
1950年代半ばに商業デザインなどの大衆文化=ポピュラーなアートを総称して「ポップアート」と呼び定着しました。)
ハミルトンの作品が多くの人々の心を惹きつけたのは、コラージュ作品の素材にあります。
彼のコラージュ作品の素材に使われた写真は、当時の人々の憧れであったアメリカの雑誌に掲載された写真や図柄にありました。
当時の人々にとってこれらの写真は第二次世界大戦の痛手からの復興の象徴だったのです。
ハミルトンは子供のころからアートに関心がありながらも第二次世界大戦の影響により本格的にアートを学んだのは成人してからでした。
戦後のモノ不足の影響もあったのでしょう、雑誌などから切り抜いた写真を組み合わせて表現するコラージュ作品は、当時のアート界に早くから注目されてきました。
鑑賞する側からのリチャード・ハミルトンの作品の魅力のひとつに洗練されたセクシャルさがあります。
ヌードの男女が登場する作品にも、他のポップアート作品のような「強烈さ」「激しさ」はありません。
このいわばニュートラルな魅力はミュージシャンにも魅力的だったようで、ビートルズの「ホワイトアルバム」で知られる「ザ・ビートルズ」のアルバムカバーとポスター作製を手掛けたことも。
反戦や社会批判を直接表現するのではなく、物質社会を淡々と描くことで、人々に自省を促すようなそんな作風がハミルトン作品の魅力のひとつです。
評価ポイント
1940~50年にかけて複数の作家が発表した一連のアメリカの雑誌やコミックのコラージュ作品は、ブリティッシュポップアートの幕開けでした。
スコットランド出身のアーティスト「エドゥアルド・パオロッツィ」、今回ご紹介する「リチャード・ハミルトン/Richard Hamilton」らは「インディペンデント・グループ(IG)」を結成。
数年たたないうちにアメリカへ波及し一大ブームとなったポップ・アートの先陣を切った当時のヨーロッパアート界の最先端をゆくアーティスト集団でした。
リチャード・ハミルトンが現代アート史に残したもっとも大きな功績は、ポップアートとしてはじめて公に認められた作品を残したことです。
アート市場はじめて商業主義いわゆるポップカルチャーのイメージを利用し高い評価を受けたことから「ポップアートの父」とも呼ばれています。
それが出世作
「一体何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか」
です。
このコラージュ作品の主役はいわば現代のアダムとイブを象徴するような肉体美を備えた二人の男女です。
(男性は、「POP」と書かれたロリポップキャンデーを持っている!)
彼らが存在する空間は当時の人々のあこがれの象徴であるアメリカのホームドラマのダイニングルームです。
これらのコラージュ素材の組み合わせによって、当時の物質主義一辺倒の風潮に対する風刺、固定化された男女の役割概念への問題提起など、様々な意味を見出すことができる作品に仕上がっています。
一見するとハミルトンの作品は「エドゥアルド・パオロッツィ(もっとも早くポップアート作品を世に送り出したとされる)」によって、アメリカの雑誌やコミックをコラージュする手法を踏襲したように見えます。
しかし異なるイメージを持つ写真を組み合わせて新たな意味を表現する「フォトモンタージュ」は、ピカソも「籐編の椅子のある静物」で利用したいわば伝統的手法でした。
(当時の一大ムーブメントであるダダ運動では社会体制批判や政治風刺の手法として用いられてきました)
リチャード・ハミルトンは既に存在する素材をコラージュすることで新しい美と意味を表現できることを証明することができた稀有なアーティストの一人なのです。
リチャード・ハミルトンのプロフィール
「イギリス労働者階級の家庭で育った」幼少期
1922年 ロンドンのピムリコ地区で生まれる。
自動車会社のショールーム専属ドライバーの父ピーターと専業主婦の母コンスタンスは一人息子を愛情深く育てた。
12歳から夜間絵画スクールに通いロイヤルアカデミースクールへの進学をすすめられるほどの才能を認められた。
「早くからアートの才能を認められた」青年期・学生時代
1936年 ウェストミンスタースクールオブアートおよびセントマーティンズスクールオブアートで美術のクラスに参加する
1938年 ロイヤルアカデミースクール入学。
1940年 ロイヤルアカデミースクール閉鎖。年齢制限により徴兵を逃れ製図技師として働いた。
「ブリティッシュポップアートの旗手として登場」創作初期
1946年 ロイヤルアカデミースクールに復学するが学校側の体制に不満を持ち退学。
このころからフォトモンタージュ作品を手掛けるようになる。
1948年 スレード美術学校(Slade School of Fine Art。ロンドン大学の付属校であり世界屈指の超難関校)に入学を許可される。
同時に現代芸術研究所(ICA) に参加するようになり、閉鎖的な当時のアート界を批判しより大衆的なアートを目指した(=ポップ・アート)。
またジェイムズ・ジョイスの小説「ユリシーズ」のためのイラストを作成するプロジェクトに参加。
(2002年大英博物館はハミルトンのジェームズジョイスのユリシーズ作品展「イメージングユリシーズ」を開催)
「ビートルズのアルバムも手掛けた人気アーティスト時代」創作中期
1956年 「いったい何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか」発表
現在ではこの作品がポップ・アートの第一号作品として認知されている。
1965年 「マイ・マリリン」発表。デュシャンの「大ガラス 彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)」レプリカ「アゲイン」発表(デュシャン指導によって製作)。
1968年 ビートルズの「ホワイト・アルバム」のカバーデザインを担当。
当時流行したポップミュージックに関心が高かったハミルトンは、ビートルズのポールマッカートニーと親交があった。
「国際的な評価を固めた晩年期」創作後期・現在
1983年 テートギャラリーを皮切りに「リチャード・ハミルトン:イメージとプロセス」展覧会を欧米で開催。
1984年 工業デザインを再スタート。スウェーデンのコンピュータ会社の製品外装を担当。
1992年 生前最後となるテートギャラリーでの単独個展開催。
1993年 ヴェネチア・ビエンナーレ「栄誉金獅子賞」受賞
2008年 高松宮殿下記念世界文化賞 「プレミウム・インペリアーレ」受賞。
2011年 89歳で死亡。しかし死因は明らかにされていない。
リチャード・ハミルトンの代表作
「いったい何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか」
現在ではポップアート作品がはじめて登場したと認識されている1956年の展覧会「This is Tomorrow(ロンドンのホワイトチャペルギャラリー)」にて発表。
コラージュの素材は人気があったインテリア雑誌などで、タイトルも雑誌の特集記事タイトルがそのまま流用された。
アメリカの黄金期とも呼ばれる1950年代に発表されたことに注目しながら鑑賞したい作品。
当時世界の人々が最も憧れたアメリカのホームドラマに登場するようなリビングルームに、筋骨隆々の男性とグラマーな女性が登場。
背面の壁のアメリカンコミックは「ロイ・リキテンスタイン」、缶詰のハムは「アンディ・ウォーホル」、ラケットサイズの特大ロリポップは「クレス・オルデンバーグ」の彫刻を連想させる。
大衆文化を暗示する巨大なロリポップ、電化製品、宇宙を写した天井などを巧みに配置したコラージュ作品。
「マイ・マリリン」
マリリン・モンローの写真コラージュ作品。
使用した写真はモンロー自身がチェックし、気に入らない場合は×マークで示した。
ハミルトンも同様に写真に×マークを残しているが、マリリン・モンローからのキス、そして彼女の死を暗示しているという解釈がある。
なおマリリン・モンローがこの世を去った1962年、ハミルトンは最愛の妻テリーを自動車事故で亡くした。
「Painting with Light」
BBC放送の依頼で「Painting With Light」テレビシリーズに参加。
新しいテクノロジーでの作業を探求下ハミルトン晩年の軌跡と呼べる記録作品となった。
その後当時最先端の画像処理プログラム「Quantel Paintbox(Adobe社と技術所有権をめぐり訴訟に発展したことも)」を使用した作品を残した。
リチャード・ハミルトンの市場価格・オークション落札情報
「FASHION-PLATE (COSMETIC STUDY X)」 500,800ポンド
フォトコラージュ 100×70cm
2006年2月9日 サザビーズ/ロンドン
「EPIPHANY」 557,000ポンド
フォトコラージュ 111.8×111.8×5.7cm
2015年2月10日 サザビーズ/ロンドン
「I’m Dreaming of a White Christmas」 15,000米ドル
フォトコラージュ 518×765 mm
2014年7月15日~16日 クリスティーズ/ニューヨーク
「Study for $he」 440,750ポンド
フォトコラージュ 25×17.5 cm
2017年11月22日 クリスティーズ/ロンドン
リチャード・ハミルトンの作品と出会える場所
国立西洋美術館(東京)
「批評家は笑う」ほかコラージュ付きシルクスクリーン所蔵
国立国際美術館(大阪)
「Soft Blue Landscape」「釈放」ほかコラージュ付きシルクスクリーン所蔵
リチャード・ハミルトンの最新トピックなど
ポップアート・キングは21世紀の今なおパワーを持ち続けていた!
「いったい何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか」を送り出した伝説の展覧会「Is This Tomorrow?」が、同じスタイル同じ場所(ホワイトチャペルアートギャラリー)で2019年開催されました。
アンドレス・ジャック、ジェイコルビ・サッターホワイトほか、当時同様にアート界をけん引するアーティスト作品が終結とあって多くのアートファンが詰めかけました。
2020年に入ってからもコロナショックにもびくともせず沸騰を続ける現代アート市場は健在です。
しかし意外な事実ですが、リチャード・ハミルトンは「お買い得」作家といえる存在です。
ポップアートの先駆者とみなされるアーティストなのに、現在までオークションにおけるハミルトン作品の最高額は50万ポンド。
日本円にして7000万円足らずです。
9107万5000ドル(約100億円)で史上最高落札額を更新したジェフ・クーンズまでは及ばずとも、
同じポップアート作家のアンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインの作品は何十億円という金額で取引されています。
作品の取引金額で質の高さが決まるわけではありませんが、それでも他のポップアートの巨匠たちと比べればハミルトン作品はきわめてリーズナブルといえるでしょう。
加えてリチャード・ハミルトン作品に共通する他のポップアートと一線を画する洗練さ上品さは、繊細さを好む日本人の嗜好にもマッチしています。
国内でもリチャード・ハミルトンの作品を取り扱う画廊は複数あるようです。
ぜひチェックしてみてください。
もしかしたら手の届く範囲の作品との出会いがあるかもしれません。
コメントを残す