田中治彦/HaruhikoTanaka「大英博物館が認めた日本ジュエリー」

ブランド紹介 HaruhikoTanaka(田中治彦)

田中治彦/HaruhikoTanaka

人気高原リゾート清里を訪れたことがある方なら「田中治彦モダンアート美術館」を記憶している方は多いのではないでしょうか?

今回ご紹介するアーティスト「田中治彦」が自作品展示のために設営した私設美術館です。

「別冊アサ(秘)ジャーナル TBSテレビ」「笑神様は突然に… 日本テレビ」などのTV番組に登場したこともある人気ミュージアムで、清里の森の南東部に位置することから「清里の森美術館」とも呼ばれてきました。

惜しくも2017年11月26日をもって閉館されましたが、ジュエリーデザイナー田中治彦は健在で、現在は拠点を東京に移して創作活動を継続しています。

獣医学部出身という異色の経歴、1980年代半ばまでのTV活動、大英博物館の作品買い上げなど、話題に事欠かないプロフィールの持ち主ですが、ほとんど市場に作品が流通しない超がつく寡作作家としても知られています。

この記事を最後まで読んで頂くと

  1. 田中治彦のプロフィール
  2. かつての田中治彦モダンアート美術館
  3. ジュエリーの特色

などについて知っていただけます。

ジュエリーにこだわりのある方にお役に立つ情報です、ぜひご一読ください。

※記事内の写真画像はイメージです。ご了承ください

田中治彦/HaruhikoTanakaのブランドヒストリー

デザイナー「田中治彦」のプロフィール

美術専門教育を受けず独自の表現を追求

かの大英博物館がその作品価値を認めた彫刻家「田中治彦」ほど、独自の道をつらぬいたアーティストはそういないでしょう。

はじめから芸術の道を志したわけではなく、また美術に関する専門教育も受けたことはないのです。

ある時は自動車工場で、ある時は歯科医で造形加工の生きた現場をつぶさに観察することで独自の表現を切り開きました。

獣医を目指した青年期

1946年東京で財産家の家系に生まれ、20代初めまでは獣医師を目指し日本大学農獣医学部を卒業しています。

しかし在学中に訪れたパリで「ギメ東洋美術館 MMM」見学をきっかけに、アートの道を選ぶことを決意しました。

1975年12月には東京六本木にアトリエを開き、フランス語でお気に入りをあらわす「CHOUCHOU シュシュ」と呼んでいました。

スタート時から海外進出!アーティスト活動初期

往々にしてアーティスト人生の初期から海外進出を目標に定めた作家ほど、早い成功を収めてますが田中治彦もその一人です。

当時の日本の美術界には活躍できる居場所がないと判断し、ニューヨーク、ロンドンでの個展を敢行します。

(ニューヨークの個展場所は目抜き通りフィフスアベニューにあったMIKIMOTOショップ)

そしてロンドンで作品を購入したコレクターから大英博物館が作品を購入したことは日本でも大きく報道されました。

それをきっかけに「銀座和光ホール」「東京アメリカンクラブ」などの当時の東京きってのラグジュアリースペースでの個展を続けざまに開催。

テレビメディアからも通目されるようになり「11PM」「徹子の部屋」「おしゃれ」で活躍するようになり、一躍時代の寵児となりました。

田中治彦モダンアート美術館

メディアへの露出が増えることで、作品への称賛の声は高くなりましたが政策に没頭できる時間は少なくなるばかりでした。

そこで製作に没頭できる環境への移住を決意。

1987年チカ子夫人が館長、娘のともえさんが副館長を務める個人作品を塑像したっ施設美術館を清里にオープン。

1万平米の土地、総工費3.5億円をかけた本格的なミュージアムでした。

当初は「the A MUSEUM of ART」という名称でしたが、2007年にリニューアルオープンされてからは「田中治彦モダンアート美術館」と名称が変更。

ピーク時には年間10万人前後の来訪者がある人気スポットでした。

作品同様すべて作家の手で制作された彫刻作品や、リングなどのジュエリーが販売されていたのも人気の理由でした。

田中治彦ジュエリーの特徴と魅力

田中治彦/HaruhikoTanaka

「人間の精神」の表現を追求

宝石や貴金属を多用した20代の作品から、現在に至るまで表現の対象としてきたのは人間の内面、ひとのこころそのものでした。

小宇宙ともいうべき50m角のショーケースにおさまる作品のなかには、人の心に分け入る旅路の記憶がとどめられています。

「エロチック」とおよそジュエリーとはそぐわない形容詞も、デビュー作「叢(むらがる)」を目にすると納得せざるを得ません。

そして単に見る人にショックを与える目的だけで衝撃的なモチーフをぶつけたのではない、作者の意図が見るほどに伝わってくるのです。

独自に編み出した表現方法

作品のすべてがだれに教わったでもない独自の表現方法で制作されています。

一人で地道に研究を重ねて編み出した独自の技術は師を持たなかったからこそわがものにできたもの。

従来のジュエリー素材の概念にとらわれず金属やガラスなどの素材を巧みに使い、唯一無二の作品世界を作り上げました。

すべての工程を作家が担当

毎年11月から2月までのあいだ、田中治彦モダンアート美術館は完全クローズするのがお決まりでした。

そしてそのあいだアトリエに誰も入れず、一人きりで作品制作に没頭するのが作家の常でした。

デザインのみをおこなうジュエリーデザイナーも多い中、デザイン起こしから実際の制作まで、すべての工程を自身で完結。

そのため極端な寡作作家としてもよく知られています。

田中治彦ジュエリーは、ほとんど市場で見ることができないまさにレアアイテムなのです。

田中治彦のジュエリー作品コレクション

大英博物館所蔵コレクション

1981年「トカゲ(切る前)」「クモ」1984年「海島」の合計3作品が大英博物館に所蔵されています。

生態系のバランスや生命の豊穣を表現している、としてキュレーターや美術評論家たちに高く評価されました。

2010年には特別図録「Haiku Animals」にも正岡子規らの俳句とともに紹介されました。

根付コレクション

海外で人気が高い日本の工芸美術に「根付」があります。

男性が財布などにつけた動物などをかたどった小さなアクセサリーですが、国内外を問わず熱狂的なコレクターが多数います。

田中治彦の根付には定評があり、高円宮コレクションから東京国立博物館に寄贈されたものも。

またアメリカ西海岸最大のミュージアム「ロサンゼルスカウンティー美術館 LACMA」でゴールドやルビーを使った豪華な根付が展示されました。

貴金属ジュエリーコレクション

田中治彦モダンアート美術館では、年代別に作品が展示されており製作クロニクルを追いながら鑑賞することができました。

ダイヤモンドなどの宝石や貴金属を多用した作品が多くみられるのが20歳代の作品群です。

虫と植物を組み合わせて、間接的に人間心理の綾を表現していました。

日本回帰あるいは素材に問わられない作品群

30代からなどの日本古来の表現方法を取り入れたもの、仏教思想の影響を受けたものが多くなります。

外向きだった作家の目が、自身が持つルーツ部分に向くようになっていた時期なのでしょう。

またセメントやガラス、そしてデュシャンのレディメイドを思わせるジュース缶など、自由自在に素材を楽しんでいることが伝わる作品が作られるようなります。

田中治彦/HaruhikoTanakaを手に入れられる場所

HALYUKIICHIKAWAジュエリーは田中治彦モダンアート美術館の公式サイトなどでチェックすることが可能です。

公式サイトはコチラ

そしてHALYUKIICHIKAWAジュエリーを手に入れてみたくなったら

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デザイナー「田中治彦」関連最新情報

六本木に最初のアトリエを開いたアーティスト時代の初期に戻るかのように、東京に拠点を移されています。

30年間にわたる美術館運営のご苦労や、70代半ばに入られた年齢(2017年の閉館時で奥様ともに70歳を迎えられた)を考えるとのんびりしていただきたいという思いはあります。

ですが、アート界ジュエリー界に衝撃を与えた「叢(むらがる)」「その後」などのような力強い新作が見られることを期待してしまいますね。