IT革命で変わった世の中
最近、こういった場面によく遭遇します。
「この請求書はいつくるの?」、「この支払期限は?」と尋ねると、曖昧な回答が来るのです。
こちらとしては、施行してもらったのだから料金を支払う意思は当然あるのに、その辺を曖昧に答えようとする営業マンが非常に多い。
質問したことに「まとも」に答えることができない人が多く、これは今後の日本の将来を危うくする問題でもあります。
インターネットが普及した2000年以降、日本でもアメリカでも一般的にはドットコムバブル、ないしはITバブルが発生しました。
その辺から、ホームページやブログが個人でも開設できるようになり、自己主張を世間に広めることができるようになりました。
その後、2004年くらいからスマートフォンが開発され、その普及はリーマンショック前後には爆発的なものになっています。
さまざまなアプリが開発され、典型的なのはツイッターになるのでしょう。
150文字前後で自身の意見表明を行う時代です。
そのほか、フェイスブックや映像で自己主張するインスタグラムなども開発され、時代は自己主張全盛の時代です。
自己主張の時代
しかし、考えてもみてください。
以前の日本人や世界の人は、意見表明をすることさえもままならなかったのです。
公共の場にて、自己主張を公開できるツールがなかったのですから、わきまえというのでしょうか、ルールなどが不明瞭なまま今の時代に突入しました。
結果的に、日本語が理解できない人たちが大幅に増殖したと、感じられるのではないでしょうか。
若者の日本語能力の低下
会社で「Aという資料を作っておいてください」と部下に命じると、なんだか自分の意図とは全く違うものが提出されたなんて経験、管理職や経営者の方には多いのではないでしょうか。
人格者の経営者、管理者の場合、「自分の指示がまずかったのかな」と思い直し、今度は具体的な指示を出して部下に要求します。
しかし、それでもヘンテコリンなものが提出された経験、ありませんか?
これは説明の仕方に問題があるのではなく、若い子の日本語の解釈能力に著しく問題があるのではないでしょうか。
つまり、言っていることが理解できない日本人が、若者だけではなく本当に多くなっているのだという問題意識を常に持っています。
この原因
一概に原因はわからないのですが、やはりインターネットの普及が一番になるでしょう。
インターネットが普及する以前は、自分が欲しいものがある場合には町に出かけ、商品を探し回らなくてはいけませんでした。
ところが現在は、欲しい商品があると、どんなに田舎に住んでいてもスマホを片手に検索しまくれば大概ゲットできる時代です。
この効用は、効率的な時間短縮としてITの技術を称賛することになります。
しかし、実際に欲しいものを自分の頭の中でイメージして、それを他人に探してもらう、ないしは心当たりを言ってもらうことには言語能力が必要です。
自分の探している商品を説明するのにも言語能力が必要になります。
自分のイメージを言葉に変える能力、これが現代人には低下しているのが現実でしょう。
もちろん、中にはそういうことができる人もいるでしょう。
いわゆるインターネット世代では、自分が説明できない商品を画像にして送付すれば説明できますし、そもそも人に頼らなくても5〜6分の検索によって自分が欲しい商品を見つけることができるので、言葉で説明する訓練が足りていません。
自分が説明できなくても画像や写真によって説明できる、それって素晴らしいことですが、副産物として自分が表現したいことを自分の言葉で発することができない能力の欠如につながっていると推測します。
さらによくない副産物
さらにその副産物として、手に入れたいものがインターネット普及以前よりも10倍以上のスピ―ドで手に入れることができる、すなわち時代はスピード、欲しいと思ったものはすぐに手に入る時代要請になっています。
人から説明されたことを理解できなくても、スピ―ド勝負になっているとインターネット世代は考え、できるだけ早くやることが任務だと勘違いしているのではないのでしょうか?
その結果が、請求書を欲しても、存在しない場合は取り繕うためにわけのわからない受け答えをし、そして上司から求められた提出物の内容が間違っていても、できるだけ早く仕上げることばかりに注意が行ってしまうのでしょう。
あなたがネットでの買い物で、間違いの注文をしたとしましょう。
その場合、それは自分の間違いなのだから仕方がないと思うでしょう。
それは自分の不利益だから仕方がないと割り切るでしょう。
それが他人や上司に間違いの提出物を恥じることなく提出してしまうということに飛躍しているのではないかと類推しています。
本質的な問題
自分がやりたいことを他人に上手に説明できない、これは由々しき問題です。
もちろん、自分はそんなことはないと思っている方が過半でしょう。
しかし、実際に他人の指示によって行動するときに、指示した通りに動くことができたかは、常に反省することが多いです。
命令を下した人は自分の言い方が正しかっただろうか、間違いはなかっただろうか、そして最大の関心事は、意図したような結果ができるだろうかということです。
この結果が大きく違うと、指示した人は自分の言い方が悪かったのだと反省することになるのですが、それが問題の露見を遅くしている原因と言えます。
でも、本当の問題はそこにあるのではないのです。
世界はつながっている
直近でノーベル平和賞を受賞した先生が、「ともかく他人に無関心であることは罪なことだ、なぜなら世界はつながっているからだ」と言っていました。
つまり、人は他人とのつながりを持って生きているものであり、自分の希望や夢、欲しいものを手に入れるためには、他人の協力が必要です。
実際にネットでは素早く、お気軽に手に入れることはできますが、システムを構築したのは人間です。
人間が関わって、あなたが欲しいものを手に入れているのです。
もっと大事なあなたの夢や希望は、システムなどでは手に入らない方がほとんどでしょう。
人に協力してもらって初めて達成できるということは、ほとんどの人の場合、明らかでしょう。
でも、夢や希望を自分の言葉で語れない人、もっと具体的に言えば、どこかで誰かが言ったような言葉で、周囲はあなたの希望や夢を叶えるために行動してくれるかということになります。
人を動かすということ
人は、あなたという人格や希望、夢などに突き動かされて動くものです。
その夢や希望を自分にまとも語れない、言えたとしても誰かが言ったような夢や希望・・・、誰があなたの情熱に動かされるのでしょうか?
具体的に言えば、男性だったら「俺はIT長者になって、世界を席巻してみせてやる!」なんて勇ましいことを言う人は多いでしょう。
女性だったら「きれいな家具やお家に囲まれて、優しい旦那さんと結婚して」なんて言葉を誰からも聞きます。
そのような夢や希望を聞いて、誰が実現のために動いてくれるでしょうか?
他人を巻き込むから大きなことができる
他人を巻き込むから大きなことができるのであって、他人に無関心で自分が大金持ちになったり、幸せな家庭を持つのは個人の最大の夢でしょうが、そこに他人が含まれていなければ、誰もあなたのために動いてくれません。
ノーベル平和賞の医師が「他人に無関心でいてはいけない」と言った理由はそこにあります。
でも、その言葉は正しいと思いますが、あなた自身が他人を引きつける言葉や情熱を持っていないことが一番の問題です。
なぜなら、欲しい商品をネットでポチッとすれば自宅に届くのだもの、他人に関心を持ち、そんなもの説明するのが面倒であれば画像を送れば済むと考えている人に、自分の夢や希望を情熱をもって語るのは無理な話でしょう。
そもそも自分のやりたいことが説明できないのですから。
もっと深刻な問題
もっと深刻な問題です。
私たちはむずかしい問題に直面した場合、頭で考えます。
芸術感覚の優れている人は、画像やイメージで問題を解決することがでますが、大抵の人は言葉、つまり日本語でどうしたらよいかを考えます。
難問に直面した場合、その問題の原因を究明することが一番大事です。
原因が究明できずに治療することを医学では対処療法といいますが、取り敢えずの痛みを抑えるような場合に使う治療法です。
根治治療とは、原因がはっきりわかって、それを根治させる治療法になります。
原因がはっきりしていれば、出る結果は原因に対して矛盾はないはずです。
それを考えるのは言語です。
もし、あなたが現在、起こっている現象を言葉で説明できないのであれば、言葉で考えることができません。
原因を究明することができなくなるのです。
現状を言葉で説明することは、本当に大事なことなのです。
まとめ
現在の日本人と言うよりも世界の人は、今欲しいもの、やりたいことをほとんどの人が言葉で説明できません。
なぜなら、欲しい商品を相手に説明するのに、言葉で説明するのは大変な手間がかかるからです。
でも、画像で説明すれば相手は一発でわかります。
生活の場において、自分の欲しいものを説明する場面が本当に減っています。
ひいては、自分のやりたいこと、夢や希望なども説明することが下手くそな人間が増えているのです。
自分の夢や希望を叶えるためには、他人を巻き込むのが絶対的に必要なことなのに、それを説明することができない人間が圧倒的多数なのです。
夢や希望に自分の欲望しかつまっていなければ、誰も関心を持ちません。
誰かのために私はこういうことをしたい、ああいうことをしたいと情熱をもって語るのであれば、それに突き動かされる人間が多数いるでしょう。
お金持ちになりたいとか、他人がうらやむような生活をしたいなんて言って、誰があなたのために動きますか。
現状を自分の言葉で説明することは、あなたの人生を左右することであり、あなた自身の重要な能力の一つになるのです。
説明ができなければ相手の説明もわからない
政治家は言葉で世界を操るといいますが、政治家で自分の生活をよくしたいと語ったのは、小泉チルドレンの杉村某だけでしょう。
ほとんどの政治家は、世界のために、皆さんのためにを強調して当選した人たちです。
彼らは、言葉の重要性がよくわかっています。
ところが、現代の人たちは、欲しいものが手元にすぐ届くということが欲求を大いに満たしているがために、他人も自分が欲しいものがすぐに手に入ることを欲していると考えがちです。
たとえ注文間違いで、見当違いの商品であったとしても、自分の責任で他人にもそれを求めます。
上司や経営者はそういうものができたとしても、それは「自分の指示が悪かったのかな」、「言い方が悪かったのかな」と考えるのが普通ですから、問題の露見が遅れているのです。
言語能力のない人ほど自分はできると思ってる
一生懸命聞いても、一流大学を卒業していても、理解できない人が多数います。
真面目だし懸命にやっている、でも、日本語の理解能力は入試にはないし、誰もそんなことを今まで指摘してきませんでした。
だから本人も無自覚に「俺は、一流大学を卒業しているのだから、日本語は完璧」なんて思っているのです。
多分、あなたには日本語の能力に疑問があると指摘した人ほど、個人的には、そんなことはないと即座に否定します。
心の中で「私にはあるよ」、「そんなことない」と即座に思った人ほど、言語能力が欠如しているのです。
もちろん、私にも言語能力は劣っている部分はたくさんありますが、少なくとも現状の説明を誰にでもリアルなイメージを想像させる能力はあると思います。
でも、言語能力を磨かなければ、自分の考える能力が劣化していくことは自明だと考えていますので、その能力の強化には余念がありません。
笑い話ではないシリアスな問題
笑い話などではなく、日本語を理解できない人が本当に増えているのです。
若者に限った話ではなく、中高年もいます。
一流の国公立や私学を卒業した人の7割がきちんとした話ができません。
これは、事実でしょう。
Aということを要求したらBが出てきた。
こんな経験のある人、いっぱいいると思います。
しかも言った本人は何の悪びれもなく、間違いを指摘しても「わからない」という人、本当に多いです。
これは危機的な状況だと考えています。
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