昭和から平成に変わったとき
初めての世代にとっては、「元号が変わってもあまり変わらないね」とお考えになる方も多いと思います。
というよりも、変わらないということを実感されている方の方が多いのではないでしょうか。
しかし、そんなことはありません。
おそらく、今後、令和の時代は平成のように激変、激動の時代になっていくことでしょう。
昭和から平成に変わった時は、昭和天皇の葬送行進が行われておりました。
参列には当時の横綱である千代の富士やら大関の朝潮、琴風、北天祐などが寒い中、まわしに裸という格好で立って、陛下をお見送りしていた記憶があります。
昭和から平成への流れ
このときに、もう時代は芽生えていたのですが、小学生のときに日本ではじめてパーソナルコンピューターが登場し、小学生の間でも、将来、これが時代の主流になるだろうと興奮して友だちと語っていたことを今でも覚えています。
そして実際に、平成12年ごろにはITバブルが誕生し、崩壊していきました。
つまり、昭和の末期にはパソコンなどの普及はすでに始まっており、その集大成というよりも一回目の崩壊が平成の半ばに起こったのです。
この間に携帯電話や銀行の護送船団も崩壊し、国家主導の経済の限界というものが見えてきていました。
もちろん、昭和の末期にはバブルも崩壊しています。
今のように銀行や証券会社が自由に金融商品を発売し、そして、企業が自由に行動することが考えられなかったのが昭和から平成への流れです。
金の取引自由化のころ
皆さんに関係がある金の取引自由化などは、昭和62年くらいで、それまでは金の売買などは自由にできなかったと記憶しています。
その前に昭和52年くらいのグラム6500円程度の値段をどう説明するのか、と言われれば、返答に困ってしまいますが、ともかく金の売買が大衆化をしたのは昭和60年代だったと記憶をしています。
ほとんどの会社や企業、特に金融機関は、政府のコントロール下にあったのです。
今では想像もできないでしょうが、金融機関の護送船団方式のように、どこの金融機関に行ってもサービスは一律で、銀行独自のサービスなど存在しなかったのです。
社会の様相が全く違った
産業界も傾斜生産方式の鉄鋼、日米貿易摩擦による自動車問題など、当時の通産省主導に物事が動いていたのです。
現在の通産省の地位低下は眼を覆うばかりです。
現在とは全く社会の様相が違いました。
そこに個人の意見を言う機会など、現在のネット社会では考えられないような時代で、自分の私見を言うのには新聞の投書くらいしか方法がなく、自分の意見などは社会に押しつぶされるようなものでした。
このようなことは数値化ができませんので、昭和から平成というと何が変わったのかを説明できる人がいないのはこのようなためなのです。
これはものすごい変化だな、と改めて思います。
ここで重要なこと
まず、人間の寿命は、現在では男女ともに80歳を超え、そして、将来は人生100年時代という言葉に代表されるように100歳まで生きるのが普通になります。
参考までに、昭和の時代だったかは記憶がありませんが、名古屋の金さん、銀さんなどは、100歳以上生きた姉妹だったから話題になったのです。
今では、100歳越えの人など8万人もいらっしゃり、健康増進も本当に進行をしていると思います。
これは寿命の話なのですが、企業や人生設計においての寿命は35年と言われています。
これは医療でいうQOL(クオリティー・オブ・ライフ)、人間が人間らしい生き方ができる期間のことなのですが、これは一般的には人生設計においては35年と考えられています。
人生のQOL
昭和の時代は就職は早い人で15歳、遅い人でも22歳です。
反対に定年は60歳と決まっていました。
就職平均を20歳とすると実質の働く期間は40年です。
そのうち就職してからの5年は、あくまでも私見ですが使いものにならず、5年間で社会の仕組みを学習する期間になっていると思います。
そうやって考えると35年という人生におけるQOLというものもうなずけます。
現在では定年が65歳で、将来は75歳に延長されようとしています。
ただし、大学への進学率が上昇していますので、実際のQOLはもっと数字以下になっていると思います。
昭和〜平成〜令和、変化の大きな波
こうやって考えていくと、大きな波の変化に昭和から平成、そして令和と30〜40年から時代サイクルがなっていると思います。
経済学ではコンドラチェフの波という有名な波動論がありますが、これが30年とされているということに意味があります。
ただ、コンドラチェフの波が発見されたのが20世紀初頭、そして、企業寿命が35年と言われたのが平成の半ばと考えると、今後、時代の変化は40年に向かっていくのだろうな、と単純に思います。
こうやって考えていくと、日本の過去30〜40年で重要なことは、ITの出現、そして企業活動規制の撤廃、個人の自由が活性化されたものになるとは思います。
こういう観点から令和を考えていきます。
そして、平成が31年という節目で終わったという意味は、単なる上皇さまの体力の問題でもなく、時代が確実に変わるとうことを認識しなければいけないことなのだな、とは思います。
令和は個人の時代
改めて、考えると平成の時代に日本は本当に規制緩和を行ったと思います。
かつて、ソ連の書記長ゴルバチョフが日本は最も社会主義で成功したと言っていたのを聞いたときは、本当に疑問に思ったものですが、こうやって外観を捉えると、昭和の時代が社会主義と言われて何の違和感も覚えません。
本当に、特に、企業が計画生産のような社会主義だったのが、今は、本当に自由にやっています。
具体的に昭和の末期から民営化された国鉄や電電公社、専売公社などありますが、これらが解体されたことによって本当に自由な企業活動になっているなと思います。
ところが、その一方で、個人の規制緩和は進んでいないと思います。
個人の規制緩和
むしろ、国家がコントロールできていないのが実際のところだとは思いますが、規制だらけで生きにくいとは感じます。
具体的に、と言われると返答に窮してしまうのですが、個人の自由な意見発信というのは昭和の時代から憲法で保証されていますが、昭和の時代には具体的なツールがなかった、と思います。
SNS全盛のこの時代だから、個人的な意見が自由に言える雰囲気になっていますが、この自由に発言をしている人はまだまだほんの一部の人たちだけのように思います。
世論を握るのは第二次ベビーブーマー
日本のメインの年齢層は、昭和46〜50年生まれの第二次ベビーブーム世代で、これが日本の世論を握っていると言っても過言ではありません。
この世代の特徴とは、生まれたときから何不自由なく生きていける世代であり、結果として、自分の個性を主張できる世代であったので、自己主張が非常に強い世代になると思います。
ただし、昭和や平成の初期には、そのツールがありませんでした。
40代という中年の後半に進み、それまでの生き方を否定せずに、SNSへの積極的参加を見送る人も多数かと思われます。
また、いまだにパソコンなどが使えないという人もこの世代には多くいます。
つまり、積極的なSNSなどを使った社会参加を見送る世代だとも言えます。
もちろん、積極的な人は相当に積極的ですが、それがまだ半数程度と思われます。
第二次ベビーブーマーの老化とともに日本が変わる
この世代が60代に入ってくるときに日本が劇的に変わります、おそらく。
なぜならこの40代というのはある程度の体力があり、知力は最大限になっているから、世論の中心になり、また社会的な地位もほかの年代と比較しても高いと思われるからです。
この人たちが社会的に力を失っていく、つまりQOLが低下してくる年代になってくると、おそらく相当に日本は変わります。
ただし、政治体制は民主主義ですから、この人たちの考え方が主流になるでしょう。
つまり、この人たちの考え方が政治を動かすのです。
これは老齢期になっても現行の体制は、老齢でも幼少でも同じ一票は一票ですから、多数決を取れば人数的な差でこの年代の意見が勝つでしょう。
この人たちの力の衰退次第で、おそらく、日本は変わるのではないでしょうか。
短絡的で感情的な意見ばかり
個人の自由、規制の緩和とは、現在は個人の主張を自分の好き勝手に叫んでいるように見えます。
そして、そのほとんどが短期的な利益を含んだものです。
少なくとも、責任を追及するときに、相手が成長できるような意見を言うべきです。
SNSは低レベルな自己満足
発言もできない人たち、要するにSNSに発信ができないような立場の人たち、例えば「公務員が悪い」と叫んでいる人たちは、想像力の欠如としか考えられないような発言が目立ちます。
公務員がSNSを使い、彼らに反論できるのかを考えていません。
言った本人は満足でしょうが、言われた人は一生覚えているという世の中の仕組みをわかっていません。
少なくとも反論できない人の悪口を言うべきではありませんし、公開の討論上で、相手の意見も聞ける状態で意見すべきです。
そういうことを繰り返すと、自分がいかに無知で、考えが浅いかということを思い知らされると思います。
政治家や公務員と言われている人たちが、マスの意見を参考に専門知識を駆使してどれだけ考え抜いて、さまざまなことを行っているかを考えれば、安易な批判などできません。
個人の規制緩和は今後飛躍的に上昇する?
こういう意味で大衆、公共の場で意見をするのにも、必ずルールがあり、こういった意味では現在のSNSなどは無法地帯に近いと言えます。
こういった意味で、企業は昭和時代の規制から解放されたと思いますが、個人は自由というものをはき違えているというのが素直な感想です。
ただ、この自分の意見を自由に言えるツールが開発されたことによって得られた権利、文化というものは今後、飛躍的に上昇するでしょう。
かつての昭和時代の企業のように、規制だらけになってしまうようなことは皆さん次第です。
FBやインスタグラムなどは個人の発信を容易にするツールですが、アメリカでは個人情報の流出が問題となりました。
ここにも規制がかかります。
しかし、この弊害と比べて、個人間のつながり、コネクトを拡大させるほうが有意義なことが多いという確率論で大規模な制裁、規制にならなかったのです。
あまりにもヒドい意見が多数になると、間違いなく、やっても無意味なコミュニケーションツールに成り下がる可能性もあるのです。
今は個人の尊厳を主張する時代
今は個人の尊厳を主張する時代になり、他人の「いいね」をシェアして、その楽しみを共有する時代です。
これが令和のメインストリームでしょう。
今、ネットを見ると、30〜40代の人が必死にどうやって稼ぐのかをエラそうに言っていますが、これからの時代はそうではないと思います。
おそらく、令和も後半のほうになってくると、どこかのカード会社の宣伝文句ではないのですが、プライスレスの価値が主流になってくるでしょう。
つまり、お金が主流の時代ではなく、個人の生き方になってきます。
昭和の終戦後は食うや食わずの人がほとんどの時代でしたが、今、日本で貧困で餓死する人を探すのが難しいくらい豊かになっています。
欲しいと思うもののほとんどを手に入れ、実際に豊かに暮らしています。
もう物はいらない!?
そもそも、うまいものは食べたいけど、家電や家具など持ちたくないというのが本音です。
なぜなら、そんな変ないっぱいにモノを所有しても手間とお金がかかるだけで、ちっとも楽しくないというのが偽りのない本音です。
若い人のグルメブームなどがこれを証明しているでしょう。
スマホはマストだけど車なんていらない、というのが若い人の価値観ですよね。
ただし、退行現象も起きていてスマホを持って、腕時計を捨てたのに、再び資産家を中心に腕時計ブームなど起きているわけです。
要するに、みんなが持っていないような高級時計ならほしいということなのでしょう。
安い時計であれば、みんなが持っているからスマホでこと足りるということなのでしょう。
昭和を支えた価値観が絶対的に変化する
昭和時代を支えた、お金を稼いでいっぱいモノを持って人より豊かな暮らしをするという価値観が絶対的に変化しています。
安価なものであればいらない、人より贅沢にラグジュアリーなものであればほしいという価値観になっているのです。
これは今後も続くでしょう。
終戦後に食うや食わずの日本人はモノがいっぱいほしいと思ったのが時代が逆になり、モノが不必要な社会になってくるのです。。
日本人はモノを持つことによって感じていた幸福感が、これからは、人と幸せを「いいね」という数字によって価値観を得ていく社会になっていくのだろうなと思います。
製造業は相当厳しい時代になる
こうなると日本の製造業の根幹である自動車、家電、鉄鋼などは今後は相当厳しい時代になるでしょうし、そもそもモノを作る産業がこれから成立するのは相当に厳しくなるのではないのでしょうか?
その第一波、平成12年に起こったようなITバブルの形成と崩壊のようなことが今後、起こることは確実だと思います。
このITバブルの前に日本の金融機関の大破綻が平成6年くらいに起こっています。
現在、日産自動車がテンヤワンヤの騒ぎになっていますが、これ、その予兆だと考えることはできませんでしょうか?
昭和40年代の高度成長をさせた銀行が、昭和60年代、平成初期になると一気に問題が発生して、大再編につながったのです。
若者は「いいね」世代
こういうのが見えてくると、これから投資する先は、世界最大のユーザーを抱えたFBが、リブラという仮想通貨の手を打ったということ、これ、すごいことですよね。
要はFB経済圏を作ろうとしているのです。
日本の楽天の比ではないパワーになるでしょう。
アマゾンは世界にいくらのユーザーがいるかを考えてください。
何度も言いますが、これからの経済は稼ぐなんて、中高年には当たり前の価値の崩落です。
これだけスーパー金持ちが増え、人と稼ぐ金額を競っても仕方のない社会になっています。
それよりも人と競って、「いいね」を獲得することが人生の目的になっているのが若い世代なのです。
価値観が崩れるとき
どちらが長く生きるかは言うまでもなく、そして、こういった価値観が崩れるのは、第二次ベビーブーマー世代が老齢期にさしかかり、社会的な地位を失っていくときに大変化が起こります。
その前に自動車、鉄鋼、家電などの日本の主要産業が斜陽産業になってくるのではないのでしょうか?
そもそも自動車も家電もシェアすればよいと思っている世代と、この主要産業の経営者が若い世代の考えを理解できるとは思えません。
その中でもうまくやっているなと感じるのは、トヨタでしょう。
レクサスというハイブランドを確立させ、きちんと現代のニーズにマッチするように努力しています。
ほかでそんなことをやっている日本車メーカーありませんよね。
ほどほどの車はいらないけど、超高級車はインスタ映えするからいるのです。
腕時計も安物はインスタ映えしないからいらないのです。
もはやレクサスでさえない!
一つ付け加えるとレクサスも単に過去のクラウンのイメージにすでに成り下がってしまっています。
今、人気があるのはプジョーでしょう。
フォルクスワーゲンやアウディはみんな乗っているけどプジョーならインスタ映えするという考えはおかしいでしょうか?
どれを見ても同じようなデザインの日本の自動車の末路は、致命的と思っています。
例えばボルボのV40という高級車、ハッチバックがありますが、これの日本のフィットとどうデザインが違うんだ、高級車に乗っているという感覚をボカします。
こんなのが支持を受けるわけありません。
欲しいのは超高級腕時計、なしは他人が持っていない個性溢れるおしゃれなデザインの腕時計なのです。
これが令和を表す端的な言葉になるでしょう。
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