旧民主党系と無責任社会|桜を見る会問題

今回は、桜の会に関して補足を申し上げた上で、旧民主党勢力を中心とする今の野党と彼らに起因する日本の無責任社会について解説いたします。

改めて桜を見る会問題について

渦中の安倍首相の写真の横に「責任を果たす。」と書かれた自民党のポスター

この問題で、安倍首相が5000円払ったから云々かんぬんという問題に野党が飛びつくのを見て、あきれ返った話を以前しました。

いくらでも言い逃れができる5000円を問題にしても、逃げられるのは明白です。

それよりも、公的行事に後援会のメンバーを招待したことに焦点を絞ったほうがよい上記の記事で書きました。

今の議論、5000円の問題に入れ替わっていますよね。

その間違いをただすため、旧民主党系を中心とする野党は「安倍政権は説明責任を果たせ」だの「解散せよ」と主張しています。

無責任な旧民主党など誰が支持するのか!?

かつのての民主党政権から原発事故の全責任を押しつけられたかたちになった東京電力

福島の問題にも以前触れましたが、事故直後、当時の政府である民主党は東京電力がすべて悪いことにしました。

その後、政権交代があったため、政府はその責任を認めていません。結果として、被災者が東電の責任を求めて裁判を行いました。

道徳的には完全にアウトであっても、判決は法的に無罪です。

結果として被災者に対して誰も責任を取ってもいません。こう考えると誰が旧民主党の連中を支持するのでしょうか。

国も東電も誰も責任を取らないで、被災者が納得するわけがありません。

旧民主党の連中は、政権交代を求める以前に彼らは自分たちのやるべきことを認識していません。

安倍首相が選挙のたびに、第一声を福島から選挙戦スタートさせるのにはそういう意味があるのです。

少なくとも被災者にとっては安倍首相のほうが頼りになると感じるのではないでしょうか。

やっていることも、言っていることも無責任な旧民主党が堂々と「政権をよこせ!」と言っていることに違和感を覚える国民は少なくないでしょう。

日本語さえ理解できない旧民主党の面々

都内にある桜の名所の一つで、桜を見る会の会場でもある新宿御苑

桜を見る会に話を戻すと、ここでも旧民主党はトンチンカンなことしかやっていません。

自民党の稲田副幹事長の言っていることをよく見てみるべきです。

要旨は「いけないことやっていました、今後、善処しますので、ご納得ください」と言っているのです。

公に謝罪をすることはできませんが、「間違っていました」「見直しを行って行きます」と言っているのに、野党は説明責任を果たせとやっています。

法律の世界、通常の裁判であれば、一回間違いを認めたら和解し、損害賠償の請求になるのが当然です。

自民党は間接的に間違いを認めているのですから、今後のアメリカとの貿易交渉内容の批准などを審議しましょうと言うのが当然であり、その審議の中で野党の言い分も取り入れるのが通常の国会運営だと思います。

弁護士が多数いる旧民主党の連中は、そういうことも理解できないということです。

空虚な野党のパフォーマンスに堕しただけ

立憲民主党は国会でのさらなる桜を見る会問題の追求、国民民主党は内閣不信任案の提出を目指している

メディアでは、自民党が「国会を継続して実のある議論をしましょう」と言うと、なんだか悪意のあるような言い方のようにされてしまいます。

自民党からすれば、間違っていることを認めているのだから「もうその話はいいでしょ」という意味なのでしょう。

それを「いいや、ダメだ」と言い続けているのはどうなのでしょう?

なぜ「実のある議論をしましょう」と言う要望を拒んでるのかさっぱり理解できません。

要するに、あちこちで安倍首相が「これは間違っていました、ごめんなさい」と言っていたら、こういう状況になってしまいました。

森友とか加計などは、法律的に証拠を示すことが非常に難しかったのですが、今回の問題はそこら中に証拠がばらまかれているから、野党が上手にやれば追い込めるのに、単に自分たちの存在感を示すだけの場になってしまいました。

ご都合主義で意見を変える旧民主党系の没落は必然

希望の党の成れの果てである国民民主党

「安倍さんの人柄が信用できない」と言う人をたくさん見かけますが、そもそも首相に強力な権力を持たせるシステムを施行したのは旧民主党であり、強力な権力を持たせれば、独裁のようなことが起こってもちっとも不思議ではありません。

しかし、それ施行していたのに誕生すると独裁を批判する…。

やっていることの何もかもがおかしいのです。

自民党と合流しようとして戦犯扱いされた小沢一郎、衆議院を解散してののしられた当時の野田佳彦、希望の党と合流しようとした前原誠司、今になって考えれば、結果的にすべての選択は正しかった言わざるを得ません。

無責任体質の極致としてのバイトテロ

バイトテロに見舞われた飲食チェーン店の一つである大戸屋

この無責任体質の極致にあるのがバイトテロ事件です。

これ、バイトには一切責任がありません。

要するに、若い何もわかっていない連中に罪をなすりつけただけの話です。

こういうような事件は昔からありました。

SNSに投稿するから被害が多くなるので神経質になるのはわかりますが、こんなものは年長者が責任をかぶるべき問題です。

若い人は経験が足りず、そういうことをやってしまう危険性があって当然です。

それを承知しないで、すべて自己責任にしてしまったことが問題なのです。

そもそも、破棄しなければいけない食品などを使うということをその職場でやっているから、あのような事件が起こったと言えます。

若い連中は、中高年の仕事に取り組む姿勢を見ているのであって、管理者らにそういう可能性があったから、若い子が同じことをやってSNSに投稿しただけです。

つまり、管理者や本来責任を負うべき立場の人たちが、若い子に責任をなすりつけただけの事件なのです。

自分たちが責任を取りたくないからという子どもじみた考えのもとに…。

無責任社会の一端は旧民主党が作り出した

東日本大震災時の総理大臣で立憲民主党所属の衆議院議員である菅直人

要するに、今の社会は無責任社会です。

自己責任という便利な言葉によって、皆が責任を放棄しているのが現代社会です。

そして、その責任を弱い者に転嫁することがこのバイトテロ事件によって正当化される、気持ちの悪い社会になっています。

バイトに損害賠償を請求したアホな会社の行く末をよく見ていてください。

近い将来、不祥事によって倒産に近いような憂き目にあうでしょう。

責任を取らない会社が、社会に貢献ができるわけがありません。

若い子を守ることは社会正義であり、責任は立場が上の者が取るという当たり前のことができない社会を作り出したのは、旧民主党に責任の一端があると考えています。 

安倍首相が旧民主党に対して嫌悪に近い憎悪を口にするのは、すべて福島の無責任問題に端を発すると思います。

政治が許認可しているのだから、そのトップが責任を取るのが当たり前なのに、当時の首相はのうのうとしている、誰が考えてもおかしいことです。


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