最低賃金の意味
いきなり過激なタイトルですが、世の中には最低賃金制度というものが存在していると認識をしている人は多いでしょう。
しかし、この制度は自由で豊かな生活を謳歌するためには不要な制度です。
その詳細を解説していきましょう。
東京であれば現在、最低時給は1000円くらいになります。
労働者は雇用される立場であり、企業はより儲けたいというどん欲な姿勢があるので、より安い賃金で働かせようとする欲求が存在することは事実として存在します。
そこでアメリカの左派、いわゆるリベラルが労働者の立場を守るため、企業の思い通りに賃金を決定させるのではなく、最低の賃金を保証しようという動きに発祥し、日本にも導入されました。
ほとんどの方は、労働者の賃金は保証されるべきだと考えていますが、それは結局、自分のクビを自分で締めているということに気づかなければいけません。
あなたが経営者だったら
仮にあなたが経営者の立場になったとしましょう。
この考え方は生産性の問題になります。
生産性とは、最近では中国の新型コロナウイルスの被害によって工場や中国国内の生産性が下がるという話をしましたが、それと同様です。
皆さんは経営者であり、従業員の賃金は売上以上であってはならないわけです。
理由は明快で、売上以上の賃金を支払えば、その企業は遅かれ早かれ倒産することになります。
ですから、経営者は利益を上回るような賃金は絶対に払いません。
仕事はボランティアではない
時間当たり300円の利益しか上げられない従業員に、時給を1000円払わなければいけない制度があったとします。
あなたが経営者の場合、その人を雇うのかの問題です。
当然そんな人を雇いませんし、最悪の場合は解雇するのが当然です。
この考え方はかなり語弊がありますが、経営者は自分自身が儲けるために会社を経営しています。
万年赤字なら、経営ではなくボランティアです。
会社が永続する目的とは儲けるためで、時間当たり300円しか稼げない人間に1000円を払うのはボランティアになります。
そこに左派が、そういった生産性の低い人たちがかわいそうだとやりました。
一見、まともな理屈に見えるのですが大きな間違いです。
本当にかわいそうなのは誰?
会社の利益は一定なので、そもそも一番かわいそうな人は生産性の高い人たちです。
生産性が高いとは、時間当たりのお給料が1000円なのに、3000円も稼いでしまう人を指します。
この人たちは、会社の利益は誰が雇用されようと一定であり、彼らがいることによって会社の利益が増大することはありません。
理由は生産性の低い人間がいるからです。
つまり、時間当たり3000円稼ぐ人間は、生産性の低い300円しか稼げない人間に対して700円の補填しているのです。
これだと会社内でボランティアを行っているのと同じことです。
生産性の低い人間に対してかわいそうだということは、一見正しい主張に見えますが、大きな間違いだというのはわかりますよね。
同じ作業や仕事を行い、その結果に大きな差が出るのに、なぜ賃金は同じなのか?
本来かわいそうだと言われるべきは、生産性の高い人間であり、生産性の低い人間ではありません。
ところが日本の労働者は、一切そのことに気づいていません。
その理由は、小学校の道徳の授業で弱い立場のものをイジメるな、そして能力の高い者は弱者を守る立場にあるという影響からだと思われます。
しかし、この価値観は世界共通なものであり、決して日本特有なものではありません。
最低賃金制度の弊害
生産性の低い労働者に対して、能力以上のお給料を払うことが社会、世の中のためだという意見がそもそもの間違いです。
生産性の高い労働者にとって、低い生産性の労働者の立場はおもしろくありません。
たいていの場合、生産性の高い労働者は口には出しませんが、その事実を知っていれば労働意欲を失います。
これは本人が意識していないところが罪深いところです。
そうなると全体の生産性が低くなることは明らかでしょう。
生産性の低い人間は相変わらず低い生産性のまま、そして高い人間はやってもやらなくても同じ結果であれば、真面目にやる気が起きない、これがそもそもの問題なのです。
結果として全体の生産性が落ちるのは自明です。
このロジックが日本の生産性の低い最たる原因です。
かつてはがんばればみんな画一的に賃金が上昇しましたので、労働量が多かろうが少なかろうが皆が上昇したのですが、今のご時世ではがんばってもお給料は上がらない…。
理由は会社の売り上げが上がらないからです。
売上が上がらないのに、お給料を上げるバカな経営者は存在しません。
ゆえに、一生懸命生産性を上げようとする労働者が損をしているのです。
ですから、日本は先進国の中でも一番生産性の悪い労働者になっているのです。
単刀直入な解決策
ならば生産性が時間当たり300円の労働者のお給料を150円に下げればいいのです。
なぜなら、会社に利益を出させるよりも損失を出させているわけで、非難を浴びようと仕方がありません。
でも、その労働者も一般的には1000円のお給料をもらえるのに、自分は150円になったことを真剣に考えるはずです。
つまり、自分のお給料が増えるためにはどうしたらいいのか、「そうか!生産性を上げればいいのか」と感じるでしょう。
それが通常の思考だと思います。
ダメな人間の集まりである労働組合
ダメな人間は「自分には能力があるはずだ」と会社や周囲に文句をつける、これが労働組合になります。
今、春闘なんてやっていますが、会社の経営者は自分が儲けるために従業員を雇っているのですから、まともな経営者は還元を行いたいと思っているのが普通なのです。
この経営者たちを悪人と決めつけ、利益を独り占めしているというのが左派の考え方になります。
情報が氾濫し、上場企業であれば決算内容も公開される時代で、悪辣なことをしていればすぐにその内容は伝わってしまうので、そんなことをすることはほぼ不可能になっているのです。
ところが労働組合は、自分たちの待遇をよくするために、会社の利益をよこせと要求します。
上記で説明したように、日本では会社の利益は横ばいなのですから、どこかの経費を削らなければ賃上げ資金は出てきません。
労働組合がストや全員退社なんて事態になれば、それこそ大損害ですから、なんとか企業としてはその資金を拠出します。
その犠牲を強いたのが元日産のカルロス・ゴーンです。
結局大企業がより儲けているだけ
日産ではなくゴーン自身がカネを欲しいから、弱い人間にそういう理不尽な要求をしました。
ゴーンは不利益を系列や子会社に強要しただけの悪徳経営者と言えます。
そのゴーンがつい一昨年までカリスマ経営者で、尊敬を集める人物の手法を真似することが一般的だった日本社会がどうなっているかということです。
その結果が2000年以降続く中小企業の弱体化です。
裏を返せば大企業がより儲けているだけなのです。
でも、本当の被害者は、声を上げない生産性の高い社員です。
中小企業のオーナーは、親会社に文句を言えません。
「だったら、御社に納入を止める」と言えば、親会社も困るのでそこそこの価格では引き取ってもらえます。
しかし、ずっと親会社の言いなりの会社がバタバタと倒産するのは当然です。
要するに、生産性の低い会社は倒産するのです。
そこには自由競争の原理が働いています。
最低賃金制度こそ日本経済停滞の一因
ところが生産性の低い社員は、最低賃金という法律によって保護されています。
会社の利益は変わりません。
では、どこから徴収するのかといえば、生産性の高い社員です。
生産性の高い社員はオーナーに対して、自分の賃金の低さに対して文句を言うのかという問題があります。
通常は言わないでしょう。
それによってオーナーに嫌われるか、もしくは従業員仲間に嫌われるリスクを冒すよりも、雇用され快適な環境で働きたいという意思が働くからです。
ゆえに生産性の低い社員と同じ能力で働こうとする、これが日本経済に活力をもたらさないゆえんだと考えられます。
なぜなら、一生懸命やってもお給料が上がらないのですから、やっても一緒と思われることが経営者にとって一番困ることなのです。
ですから、最近は能力給が流行ってきました。
しかし、それは違います。
能力給を導入しても働かない人は働きませんし、最低限の生活は保障され、そういう人は自分に能力がないことを知っていますのでその職場にしがみつくのです。
無能者が生き残るためには?
無能な人間はオーナーに好かれるのではなく、管理者に好かれようとします。
オーナーは、数字を持ってこない人間は基本的に嫌いです。
しかし、管理者は数の圧力をもって出世をしたいのですから、人間的に尊敬されなくても数のパワーを保持したいのです。
ですから、どんなに無能な人間でも自分の支配下に置きたがる、これが日本の会社の実態になります。
結果として、無能な人間が居座り、余計に生産性が下がるのです。
できる人間は外に出ても稼げることを知っているので転職します。
無能な人間は、管理者に愚にもつかない美辞麗句を並び立て、居残ろうとするのです。
これで生産性の極端の低い会社のできあがりです。
皆さんの周囲のほとんどは、こんな会社ばかりではないですか?
では、どうすればいいのか?
最低賃金保証という制度は明らかに間違っています。
では、どうすればいいのか?
最低賃金制度を止めればいいのです。
本来、人間の能力なんてほとんど変わりがありません。
ですから、どんな人間でも、一生懸命やればその標準を突破することができます。
その標準の生産性を最低賃金制度などがあるから、なまけて自己研鑽を行おうとしないのが上司に対してお世辞ばかり言っている連中なのです。
この人たちのお給料を生産性に見合うように下げてあげればいいのです。
そうすると、生活が成り立たないと考えて転職するか、真面目にやるかを考えるでしょう。
しかし、転職をしても生産性が低いのは変わらないのですから、まともな人間ほど今の職場に残って生産性を上げることを考えるでしょう。
大概のそういう生産性の低い人間は、この会社は自分に合っていない、自分に向いている会社を探すという都合のよい言いわけを探し出し、プライドを保とうとするだけです。
転職市場の9割はそういう人材であり、中高年には特にその傾向が強くあります。
だから、歳を取るごとに転職市場は不利になるのです。
若い人は自分の可能性を試そうとするのですが、中高年は生活をするためですから、その動機は明らかに違います。
本当に援助が必要な人
でも、中には一生懸命やっても生産性が上がらない人間がいます。
通常の健康体の人はたいていの場合、必死にやれば人並みの生産性を出すことができますが、問題は障がい者やハンディを背負った人たちです。
この人たちには、健常者と比べて生産性が落ちるケースがほとんどですので、それを国家が補填してやればいいのです。
障がい者や、ハンディを背負っている人でも人並み以上に稼いでいる人がおり、例えば乙武さんは稼いでいるのにあんなのに補助金を渡す必要があるのかと思いませんか?
要するに社会保険というものがあり、大金持ちの老人に健康保険を庶民と一緒のように1割負担なんてことは許されないのと同じことです。
障がい者やハンディを背負っている人たちも稼ぐ人は稼いでいるわけで、稼ぎすぎて不倫までやっている人に補助金を渡していることを不思議に思わない人はいないと思います。
そうです、障がい者だから、老人だから、ハンディがあるからといって一律にお金を渡す制度がおかしいのです。
機会は平等ではあるが結果は平等ではない
本来人間は平等ですが、それは機会が平等であり、結果というものは本人の努力によって得られるものであり平等ではありません。
生産性の高い社員の犠牲のもとに今の会社は成り立っており、その生産性の低い、なんのハンディもない社員の意識を変えるのには最低賃金保証なんてなくてもいいのです。
そんなことをすれば余計にのさばるだけです。
ただし、がんばっても人並みの結果が出ない人たち、そこには補助金を出すべきだと考えます。
生活保護にも言えること
これは生活保障にも言えることで、人間には最低限度の生活をする権利があることは憲法にも謳われています。
しかし、実際には自分が働きたくないからという理由でその補助を受ける人が多数いることによって、細則が決まってしまいました。
それによって本来援助を受けなければいけない人に援助がいかず、援助が必要ではない人に援助がいくようになってしまっています。
誰でも生活保護を受けるような人生リスクを内包しているわけで、受けたいときに受けられない制度など本末転倒です。
例えば仕事上車が必要なのに、車を所有していると生活保護は受けられません。
本人は自分で食べていきたいという気持ちがあるのに、住居もなく車で生活しているから補助金を得られず路上生活者になるって、おかしな話です。
だから一律に補助なんて与えるのではなく、生産性が足りない分を国が補助すればいいのです。
そうすると財政的にも軽減されますし、生産性の高い社員とも区別されます。
生産性の高い社員からすれば、区別されることによって自分のプライドが保て、区別される側にとっては、自分はそこから脱したいという気持ちが生まれます。
最低賃金などは人を甘やかすだけの制度であり、合理的ではありません。
金と自由
今回は金の話がありませんでしたが、金というものは、自由に売買できるから値段が上昇するのであり、仮に規制されていれば、価格はこれほどまでには上昇しなかったでしょう。
金本位制度の下では、政府が売買を許可したり許可しなかったりすることがあったから35ドル程度だったのです。
これはある意味援助と同じで、金市場を保護するために補助金を出していたから35ドルだったのです。
かわいそうだからなんて理由で援助をすると、余計に悲惨な結末になるのは当然です。
そして、保護をすると必ずその犠牲者が出ます。
ですから、規制や保護などを皆さん好みますが、それが私たちを息苦しくするだけなのです。
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