二朱銀(南鐐二朱銀)の特徴
二朱銀は、江戸時代に流通した金が少量入った銀貨です。
その名のとおりに二朱金と同じ価値を持ち、額面「1/8両」として流通しました。
二朱銀は大きく分けて「安永・文政の南鐐二朱銀」「安政二朱銀」の二つが存在しました。
こちらではまず南鐐二朱銀についてご紹介します。
南鐐とは、上質の銀=純銀であることをあらわした言葉です。
その名のとおりに現在純銀と同義語のスターリングシルバー(92.5%)もさらに高い97%以上の純度を誇りました。
発行時期により
- 「古南鐐二朱銀」と呼ばれる「新南鐐二朱銀」「古南鐐二朱銀」
- 「新南鐐二朱銀」と呼ばれる「文政南鐐二朱判」
があります。
流通時期
1837年(天保8年)~
発行枚数
- 明和南鐐二朱判 30,655,040枚
- 寛政南鐐二朱判 16,809,296枚
- 文政南鐐二朱判 60,696,284枚
形状
長方形
おもて面
刻印 以南鐐八片換小判一兩(8枚=1両 の意味)
うら面
極印 「銀座常是」 上部に「子持ち分銅印」の刻印あり
南鐐二朱銀のサイズと重さ
サイズ
- 明和南鐐二朱判 縦 27.0ミリ前後 横 15.4ミリ前後
- 寛政南鐐二朱判 縦 27.0ミリ前後 横 15.4ミリ前後
- 文政南鐐二朱判 縦 23.0ミリ前後 横 14.5ミリ前後
重さ
- 明和南鐐二朱判 10.1グラム前後
- 寛政南鐐二朱判 10.1グラム前後
- 文政南鐐二朱判 7.5グラム前後
南鐐二朱銀の銀の含有量
- 金の含有率は0.1~0.2%前後
- 銀の含有率は97~98%前後
南鐐二朱銀の歴史的背景
南鐐二朱銀は、決められた額面で流通する銀貨としてはじめてつくられました。
当時国内での高額決済手段で使われる貨幣は、関西は銀、関東は金と別れていました。
したがって、東西の商取引の決済の折りには金と銀を交換することが必要となります。
その交換レートは日々変わる変動相場制となり不安定なものでした。
南鐐二朱銀は8枚で一両(=二朱)と最初から決めておくことで、貨幣価値を安定させることに成功しました。
江戸幕府は立ち上げ当時から通貨統一を目指しており、その基礎となるのは1両小判でした。銀貨はあくまでも補助貨幣であり、1両との交換比率を統一することを目指していたのです。
南鐐二朱銀を皮切りとして、定位銀貨が広く流通するようになり経済の活性化に寄与しました。
南鐐二朱銀の買取相場の目安
過去10年間の南鐐二朱銀の取引実績を検証してみました!
大手古銭買取店5社の平均取引価格は「10~50万」となっています。
記念すべき定量銀貨となった南鐐二朱銀は歴史的価値の高い古銭です。
歴史好きの方なら見逃せない近世銀貨のひとつです。
大判小判マニアなら知っておこう!「21 教養としての小判知識:落語「愛宕山」」
聞きどころ満載!のどかな春の風景を描く古典落語
「かわら投げ」という厄よけ祈願をご存知でしょうか?
願いを込めて、「かわら(かわらけ。素焼きの小皿)」を投げる願掛けのひとつです。
日本全国の寺社で体験できますが、京都の神護寺が発祥といわれています。
その神護寺のすぐ近くには古くから信仰を集めてきた霊山「愛宕山」があり、今回ご紹介する上方バージョン「愛宕山」の舞台となっています。
つとめていたお茶屋を追い出された幇間(昔の道化役。太鼓持ちともいう)ふたりが、現在の主人やそのなじみの芸者と連れだって春のピクニックを楽しむという筋立てです。
菜の花咲き乱れる道を行きつつ向かったのは愛宕山。
愛宕山で投げられたのはかわらではありませんでした。
それはなんと…
かわらの代わりはなんと!愛宕山の境内から投げられたのは?
落語の愛宕山では投げられるのはなんと小判。
主人が「拾ってきたらお前にやる」といわれて谷底まで拾いに行くものの、元の場所によじ登って戻るのが大変!
結局小判を谷底に忘れてきてしまう、というのがオチとなっています。
愛宕山の魅力は、幇間たちのおかしみある口ぶりや動作が醸し出す、はれやかでほのぼのした雰囲気にあります。。
また上方では祇園から芸者が、江戸では吉原から遊女たちが道連れとなります。
華やかな春の道行きを想像するのも楽しいですね。
東西ふたとおりある愛宕山
元は上方落語だった愛宕山は、江戸バージョンそして上方バージョンがあります。
そして登場する愛宕山も東西それぞれ違う山なのが面白いところです。
まず上方の愛宕山は、先にご紹介した京都北部に位置する愛宕山。
そして江戸の愛宕山は現在の港区愛宕一丁目にある愛宕神社です。
こちらの愛宕山も今日と同様に信仰を集めました。
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疑問・相談はリアルタイムチャットにて!
お問い合わせ実例紹介:「文政小判金と元文小判金を買い取りしていただきたいのですが、お取り扱いしておりますか?」
南鐐二朱銀の特徴
二朱銀は、江戸時代に流通した金が少量入った銀貨です。
その名のとおりに二朱金と同じ価値を持ち、額面「1/8両」として流通しました。
二朱銀は大きく分けて「安永・文政の南鐐二朱銀」「安政二朱銀」の二つが存在しました。
こちらではまず南鐐二朱銀についてご紹介します。
南鐐とは、上質の銀=純銀であることをあらわした言葉です。
その名のとおりに現在純銀と同義語のスターリングシルバー(92.5%)もさらに高い97%以上の純度を誇りました。
発行時期により「古南鐐二朱銀」と呼ばれる「新南鐐二朱銀」「古南鐐二朱銀」、「新南鐐二朱銀」と呼ばれる「文政南鐐二朱判」があります。
流通時期
1837年(天保8年)~
発行枚数
明和南鐐二朱判 30,655,040枚
寛政南鐐二朱判 16,809,296枚
文政南鐐二朱判 60,696,284枚
おもて面
形状 長方形
刻印 以南鐐八片換小判一兩(8枚=1両 の意味)
うら面
極印 「銀座常是」
南鐐二朱銀のサイズと重さ
サイズ
明和南鐐二朱判
寛政南鐐二朱判
縦 27.0ミリ前後 横 15.4ミリ前後
文政南鐐二朱判
縦 23.0ミリ前後 横 14.5ミリ前後
重さ
明和南鐐二朱判 寛政南鐐二朱判 10.1グラム前後
文政南鐐二朱判 7.5グラム前後
南鐐二朱銀の銀の含有量
金の含有率は0.1~0.2%前後
銀の含有率は97~98%前後
南鐐二朱銀の歴史的背景
南鐐二朱銀は、決められた額面で流通する銀貨としてはじめてつくられました。
当時国内での高額決済手段は、関西は銀、関東は金と別れていました。
したがって、東西の商取引の決済の折りには金と銀を交換することが必要となります。
その交換レートは日々変わる変動相場制となり不安定なものでした。
南鐐二朱銀は8枚で一両(=二朱)と最初から決めておくことで、貨幣価値を安定させることに成功しました。
江戸幕府は立ち上げ当時から通貨統一を目指しており、その基礎となるのは1両小判でした。銀貨はあくまでも補助貨幣であり、1両との交換比率を統一することを目指していたのです。
南鐐二朱銀を皮切りとして、定位銀貨が広く流通するようになり経済の活性化に寄与しました。
南鐐二朱銀の買取相場の目安
過去10年間の南鐐二朱銀の取引実績を検証してみました!
大手古銭買取店5社の平均取引価格は「20~50万」となっています。
しかし2020年前半の金価格は上昇基調にあります。
記念すべき定量銀貨となった南鐐二朱銀は歴史的価値の高い古銭です。
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