一朱判の特徴
一朱判は、文政年間のみ流通した江戸時代の金貨です。
額面「1/16両」として流通していました。
正方形の形状から「角一朱金」、文政年間のみ流通したことから「文政一朱判」とも呼ばれています。
コレクターには、「逆打」と呼ばれる表面と裏面の刻印が逆になっているエラーコインが特に人気です。
流通時期
1824年(文政7年)~
発行枚数
46,723,072枚
おもて面
- 形状 正方形
- 上部 扇枠に囲まれた五三桐(ごさんのきり)
- 下部 五三桐
- 中央 「朱」と「一」の刻印
うら面
- 上部 「光次」の刻印
- 下部 「光次」の花押
一朱判のサイズと重さ
サイズ
縦 10ミリ前後 横 10ミリ前後
重さ
1.4グラム前後
一朱判の金の含有量
金の含有率は12%前後
一朱判の歴史的背景
一朱判は、小判と同様に表面の金純度を高くする「色揚げ」が行われました。
しかし金純度が低いために、流通し始めた早い段階から下の銀の地色が見えるため金貨に見えないと不評でした。
そのうえ金のような粘性は銀にはありませんから割れやすいこともあって、あまり評判の良い貨幣ではありませんでした。
一朱判が発行された文政の改鋳は、1736年の元文の貨幣改鋳以来、80年ぶりに行われた改鋳でした。
40人の側室を持った将軍家斉の贅沢な生活などにより、苦しい幕府財を救うべく貨幣の金純度を低くし大規模な貨幣改鋳を実施ました。
一朱判の買取相場の目安
過去10年間の一朱判の取引実績を検証してみました!
大手古銭買取店5社の平均取引価格は「1~10万」となっています。
約1センチ前後の正方形という、珍しくもかわいらしいフォルムで人気の金貨です。
コンディションがよいものや、逆打のものは高値で取引されています。
大判小判マニアなら知っておこう!「19 本当にあった大判小判ザクザク!実在した「埋蔵金」地方編
明治政府が必死に探した徳川埋蔵金
埋蔵金ハンターによる発見報告が皆無に等しい埋蔵金伝説。
詳しくは最後に述べていますが、日本では他人の土地で埋蔵金を発見すると土地の持ち主と折半しなければいけません。
もしかしたら人知れず発見された埋蔵金が存在する可能性は高いのです。
ここでは地方で見つかった埋蔵金発見事例をいくつかご紹介します。
2大発見!東京で見つかった埋蔵金
1963年 豪商の埋蔵金発見
日清製油本社ビルの建設現場から天保小判1,900枚、天保二朱金約78,000枚が発見されました。
もし現在売却したとするならば、合計額は10億を下らないでしょう。
のちに豪商「9代目鹿島清兵衛」の埋蔵金と判明し、子孫に返還されました。
1956年 持ち主不明の小判発見
「ギンザコマツ」敷地内から運んだ土砂から慶長、正徳、・享保の小判と一分金が発見されました。
小判が208枚、一分金60枚の持ち主は判明せず、東京国立博物館の収蔵物となりました。
埋蔵金を発見したあなたがすべきこと
結論から言えば埋蔵金発見後は速やかに警察に届け出ましょう!
埋蔵金は「遺失物法」の適用を受けます。
勝手に自分のものにしてしまうことは絶対にご法度です。
発見後は警察に届け出ておけば、3ヶ月以内(法改正前の平成19年12月10日以前は6ヶ月だった)に埋蔵金の正当な所有権を持つ人があらわれたとしても価格価値の5%~20%分を遺失物法の報労金として請求する権利を得ることができます。
もし見つけた場所が他人の土地なら土地の所有者都市と折半、自分の土地で見つけることができたなら100%自分のものにできます。
報労金を受け取る権利を得るために、埋蔵金を見つけたらかならず8日以内に届け出ましょう。
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お問い合わせ実例紹介:「文政小判金と元文小判金を買い取りしていただきたいのですが、お取り扱いしておりますか?」
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