大判小判&古銭の総合カタログ!第8回「宝永小判」

宝永小判の特徴

参照元:東京大学学術資産等アーカイブズポータル

宝永小判は、より流通に向いた小判を製造すべく小型化・軽量化された小判です。

「寳永小判」と書かれることもあります。

また「乾」の字の極印から「乾字金」「乾字小判」とも呼ばれています。

荒井白石のもと、慶長小判に純度を近づけたこともあって当時から信用と人気を兼ね備えた小判でした。

特に、佐渡金山にあった金座でつくられた「佐渡小判」は希少価値が高くマニア垂涎のレアアイテムとなっています。

流通時期

1710年(宝永7年)

※改鋳のたびごとに通用停止とする触書を出すも、幕末に至るまで通用された

発行枚数

11,515,500両

※一分判(1/4両)との合計

おもて面

形状 一般的に「小判形」と広く使われるだ円形

表面 墨書を極印に改める。全体的に打目(ござ目 のし目)が彫られる。

※金の純度を示すために金をたたいて伸ばした。また装飾、偽造防止の意味も含む。

 

極印上下 扇枠に囲まれた五三桐(ごさんのきり)

極印中央 上下に方形枠に囲まれた「光次(花押 明朝体)」の極印 中央に「壹両(=「壱両」)」の極印

極印下部 左下に金座・小判師の験極印(直径11~13mmの花押) 左右に吹所棟梁の小験極印1~2個 両替屋の刻印が複数ある場合も

うら面

極印中央 直径11~13mmの「光次(花押 草書体) 」の極印 花押の右上に「乾」の字が打印

極印下部 左下に金座・小判師の験極印 吹所棟梁の小験極印(大吉など縁起の良い組み合わせの小判は七福小判と呼ばれ人気があった)

※佐渡小判の場合は、小判師の験極印は「又」、「宝」 吹所棟梁の小験極印「神」、「当」

宝永小判のサイズと重さ

サイズ

縦 60ミリ前後 横 30ミリ前後

※小判は、サイズに多少の差が生じます。

 

鋳型に流し込んで作るのではなく「金塊をたたいて薄く延ばす → 金の板を一両分の重さに専用のはさみで切る → 小判の形に打ち延ばす」という製法で作られています。

重さ

9~10グラム 前後

宝永小判の金の含有量

金の含有率は84%前後

※慶長小判と同等

宝永小判の歴史的背景

参照元:https://twitter.com/yukin_done/status/917525174647263233

宝永小判は、元禄の改鋳で品位を落とした小判の地位を回復すべく、純度を慶長小判に限りなく近づけました。

純度を高くすることで金が持つ年生により、折れるなどの破損を防ぐことにもつながり好評でした。

 

また純度を高くしたとはいえ、重量を約半分に減らしたことにより小判一枚の金の含有量は減ることになります。

 

その結果、宝永改鋳は元禄改鋳よりもさらに多くの利ザヤを幕府にもたらしました。

記録によると金貨銀貨あわせて591万両(金貨235万両、銀貨356万両)もの利益を得たといわれています。

 

そして大幅な米価の高騰(80%以上の値上がりといわれる)を招き、人々の暮らしを混乱させました。

宝永小判の買取相場の目安

 

過去10年間の宝永小判の取引実績を検証してみました!

大手古銭買取店5社の平均取引価格は「100~170万」となっています。

小型で純度が高い宝永小判は、コレクションアイテムとして人気の小判です。

 

特に「佐」の極印を持つ佐渡小判は希少価値から大人気!

運よく見つけられたら手に入れておきたいアイテムです。

大判小判マニアなら知っておこう!「8一両でどれだけ買える?ショッピングリスト公開」

参照元:https://commons.wikimedia.org/w/index.php?sort=relevance&search=%E6%B5%AE%E4%B8%96%E7%B5%B5&title=Special:Search&profile=advanced&fulltext=1&advancedSearch-current=%7B%7D&ns0=1&ns6=1&ns12=1&ns14=1&ns100=1&ns106=1&uselang=ja&searchToken=5xk6sf1lskdum98106i7qepjn#%2Fmedia%2FFile%3ABeauties_of_the_Floating_World_Compared_to_Flowers_Young_Woman-by_Suzuki_Harunobu-Tokyo_National_Museum.jpg

一両=サラリーマンの年収の半分だった!

一両の小判を手にすることができたら、江戸時代の人たちは何をどれだけ買えたのでしょうか?

 

しかし260年間続いた江戸時代において初期と後期では物価にも大きな隔たりがあります。

そして明治・大正・昭和・平成・令和をすべてあわせてもまだ江戸時代の260年に及ばないのです。

 

そのため当時と現在の貨幣価値を照らし合わせて、物価を換算することがとても難しいのです。

しかしここで一つの例としてご紹介してみましょう。

たとえば経済的に余裕のある屋敷への女中奉公、または見習いとして入った商家への丁稚奉公の場合、1年あたりの給金が2両前後だったといわれています。

 

今でいう新卒サラリーマンの年収の約半年分、と考えるとイメージしやすいのではないでしょうか。

当時一両で買えたものは?江戸時代のショッピングリスト

先にご説明したように、江戸時代と現代ではモノの値段が異なることなどから、そのため貨幣価値を単純に比較することはできません。

 

しかしながら当時の人々が一両小判を手にしたら、どんな贅沢ができたのか?知りたくなるもの。

1695年に行われた江戸時代最初の改鋳「元禄の改鋳」の時のレート「金一両=銀60匁(もんめ)=銭(銅)4000文」を例にとってみましょう。

一両出せば以下のような買い物ができました。

お米なら150キロ

現在であれば10キロ8千円のブランド米を買ったとしたら12万円前後という計算になります。

10キロの米袋が15個並んだ様を想像すると、現代人の感覚だとそれほど使いでがないようにも思えます。

しかし現在の何十倍も貴重だったお米。

もし10倍の価値があったとしたら120万円以上ということに。

おそばなら400杯(1杯=16文)

 

現在であればそば1杯1000円の店で注文したとしたら40万円前後という計算になります。

この頃のそばは米作りの裏作としての作物。

現在よりも割安で口にできたかもしれません。

ちなみに髪結い一回あたりの金額も大体そばと同じ金額でした。

卵なら930個(1個=7文)

現在であれば卵10個1パックを200円で買ったとしたら2万円弱という計算になります。

しかしこのころの卵は、高額な薬としても使用される超高級品。

庶民の口に滅多に入るものではありませんでした。

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