WHO(世界保健機関)がパンデミック宣言をした意味には別の角度からの考えが有ると思っていますので、今回はその意味を解説します。
WHOはパンデミックを宣言したくなかった?
WHOの事務局長がパンデミックを宣言するときに口ハバッたい言い方をしたのは、本当は宣言をしたくなかったからだと思います。
各種方面からの圧力を受けて、渋々宣言を発表したのでしょう。
まず、アメリカのトランプ大統領は、しばしばこの新型コロナウイルスを完全に封じ込めていると言っていました。
本来、封じ込めているのであれば、経済的な処置も援助も必要ありません。
それなのに、感染が拡大したからと言って、援助や経済を立て直す政策に国民の血税を使うなんてことは法的に根拠がなくなります。
そうなるとWHOに圧力をかけたのは、アメリカの政府や製薬会社だと思われます。
新型コロナウイルスはインフルエンザの致死率よりは高いですが、高齢者や乳幼児、妊婦、既往症を持つ方が十分に気をつければ大丈夫だとアメリカ大統領が思っているのに、そういった圧力があったからとすると、パンデミックを宣言したくなかったWHOの気持ちはよくわかります。
アメリカがWHOに圧力をかけた?
アメリカの製薬会社は、宣言をしてもらうと合法的にアメリカ政府から援助を受けることができるので、「早くしろ」とWHOに掛け合ったのでしょう。
アメリカ政府は、トランプ大統領が間違ったことばかり言っているので、それに整合性を持たせるためにパンデミック宣言をさせたと言えないでしょうか。
パンデミック宣言を受けたトランプ大統領、その2時間後に自分の間違いを認めることなく経済対策を打ち出したのですが、金融市場は大暴落。
面目をつぶされ、FRBのパウエル議長を面罵(めんば)したようです。
要するに、アメリカ政府が自身の間違いを認めるのが嫌だから、WHOに宣言をさせて経済対策を打ったというのが真相のように思われます。
そして、3月14日早朝にはアメリカがコロナによる緊急事態宣言です。
予定通り、自分の間違いを認めることなく、法的根拠ができたことを背景に大満足のトランプ大統領です。
パンデミック宣言がないと…
上記のように、WHOのパンデミック宣言によって、各国の政府は大規模な経済対策を打つことができるようになります。
理由は経済対策に予算を使っても、定義づけがない以上、何をもってパンデミックかいうことができません。
ある人はパンデミックと言い、ある人はパンデミックと言わない場合においては、裁判になる可能性があります。
そこで裁判所がパンデミックの要件に当たらないという判決を出せば、その政府の要人は有罪となるのです。
ところが、WHOという国連の機関がパンデミックと言えば、国際的にパンデミックになります。
これが国際的な決定となり、それが法律として拘束することができるのです。
ですから、それを根拠に経済対策や感染対策を打てば、訴訟の対象になるリスクはかなり低くなります。
つまり、今回のWHOのパンデミック宣言とは、トランプ大統領が「コロナは蔓延しない」なんて言った舌禍(ぜっか)だったのです。
日本の場合
日本の場合も似たようなもの。
そもそもWHOが早々にパンデミック宣言をしないのですから、自国で緊急事態法を行いたくても根拠が薄弱になります。
なぜなら「単なる風邪じゃん」と思っている人も多数いるわけで、それを対象に行政訴訟を行われたら、敗訴する可能性もあるという背景もあったでしょう。
また、日本の旧来の緊急事態法には『緊急事態が起こった場合、国が国民の所得を保証する』と書かれています。
これではまずいということで、安倍首相を筆頭とする自民党が新法を提出したのです。
本当に困っている人のみに援助や支援を行うべきであり、一律に補償なんてやれば日本自体がおかしくなると内閣は判断したのでしょう。
日本を取り巻くモラルハザード
そもそも、安倍首相自身が引き起こした桜を見る会での公私混同がおかしくなった原因は記憶に新しいです。
自分のお金でやるべきことに税金を使えば、問題になって当然、法律的にはセーフだけど道義的にはアウト。
日本では今、極端なモラルハザードが起きる理由わかりますよね。
マスクやトイレットペーパーのない人を逆手にとって転売なんて、本来ヒトがすることではなく鬼畜以下。
単なる弱いものいじめ、もっと言えば詐欺と同じです。
政治家の不道徳も目立ちますが、マスクの転売は法律で認められた自由な売買なんてことを認める風潮にも問題があります。
悪いのは政治家だけではなく、国民も悪いのです。
改めてパンデミック宣言、日本の今の在り方を考えたいものです。
この様な世界・日本の風潮であれば経済は悪化し金価格は上がる一方です。
最後にお伝えしたいのは『金の価格が上がる』事は、これらの背景を通じて起こる事象であり、リユースをしている僕らも含め両手で喜べることではないということです。
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