カール・ラガーフェルドの名言と経歴~7つの魔法の物語~
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カール・ラガーフェルドの名言は、パワフルな推進力にあふれています。
「絶えず変化し続けて、時代に順応しなければ」
そのカールにも、可愛らしい子供のころがありました。
マンガ家になりたかった子供時代から、フランスという魔法に魅了され、ファッションデザイナーに成長するまで。
カールの知られざる素顔と、多趣味なカールのMy favorite(お気に入り)をお伝えします。
目次
第一の魔法 – カールの仕事・ファッションデザイナーとは?
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カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)は、世界で最も高名なファッションデザイナーの一人。
シャネル(CHANEL)、フェンディ(FENDI)、クロエ(Chloé)など、複数のハイブランドのデザイナーを兼任し、ファッション業界はもとより、あらゆる分野で偉才を発揮するトレンドリーダーです。
カールは何かをデザインするたびに、誰も想像したことのない、魔法のような世界を展開します。
彼の手腕にかかると、コレクションは壮麗な異次元空間に、ホテルは知的でシックな別世界へ。
コレクションに一度きり登場したファッションが、業界を揺るがすほどのインパクトを与えることもあります。
ところがカールの仕事は、ファッションやホテルをデザインして終わりではありません。
インパクトあるファッションや、格調高いムーディなホテルは、彼の魔法の序章にすぎないのです。
ファッションデザイナーの仕事とは?
カールの仕事はむしろ、デザインを商品化したあとに始まります。
ファッションをデザインすると、商品を作る人、売る人、それを買う人たちにも、無数のドラマが訪れます。
商品が売れたり、売れなかったり。予想外の大ヒットで、マスコミの対応に追われることもあります。
自分のデザインからスタートした数多くのドラマが、すべてハッピーエンドにつながり、祝福と喝采に包まれる。
そういうドラマをめざすのがファッションデザイナーであり、カールの仕事の本質です。
自他ともに認める年齢不詳。カールの誕生年は?
カールが誕生した年は、資料によって違う年が書かれていることがあります。
彼の年齢がはっきりしないのは、第二次世界大戦(1939~1945)の影響です。
ハンブルク近郊の爆撃によって出生証明書が失われたため、誕生日を証明できない時期があったと伝えられています。
第二の魔法 – フランス大好き!子供の時に出会った魔法
カール・ラガーフェルドは、ドイツのハンブルク・ブランケンゼーゼ地区で生まれました。
ブランケンゼーゼ地区は、絵本のような可愛いヴィラが並ぶ高級住宅街。
彼の両親は、長期保存できる乳製品のビジネスを試みて、大成功をおさめた実業家です。
カールは絵を描くのが好きな子供で、美術館の絵を見るのも大好き。
あるとき美術館で、フランス絵画という魔法に出会います。
フランス絵画と言えば、マネ・モネ・ルノアール・ゴーギャン・・・輝くような傑作ぞろいです。
もはや魔法レベル?!フランスの魅力
カールはフランス絵画をきっかけに、フランスの魅力という魔法にかかってしまいました。
学校の勉強とは別に、屋根裏部屋にこもってフランス語を勉強するなど、フランスのことで頭がいっぱい。
カールは2014年のドキュメンタリーで、次のように語っています。
「私はフランスのすべてを愛していました。フランスに行きたくてたまりませんでした。私が子供の時にフランス語を学んだのは、それが理由です」
あこがれの国・フランスへ!
1950年、カールはハンブルクで行われたディオールのショーを見て、フランス行きを実現したくなりました。
本当はマンガ家になりたかったけど、ファッションデザイナーの方が生計を立てやすいと考えたそうです。
デザイナーで生計を立てるというカールの考えを、家族が応援してくれました。
1950年代の初め、カールの母親は、カールと共にフランスに移住します。
パリのファッションデザイナー養成学校「パリ・クチュール組合学校」に、カールを入学させるためです。
カールは後年、自分がファッションデザイナーになれたのは、母親の貢献が大きいと感謝を述べています。
カールの母親は、カールの仕事に口を出さない方針でしたが、「自分をしあわせにしないと、他人をしあわせにできませんよ」と、教えたことがあるそうです。
第三の魔法 – パリ・クチュール組合学校 ~1950年代
パリ・クチュール組合学校(École de la chambre syndicale de la couture parisienne)は、1927年創設。
パリ・クチュール組合が創設した、オートクチュールのプロを養成する専門学校です。
オートクチュールとは、パリ・オートクチュール組合が認可した店だけで作れる、高級仕立て服のこと。
ミシンをいっさい使わない、完全な手作業で作るなど、厳しい条件をクリアした店だけが認可されます。
あこがれのフランスでファッションを学んだカールは、16歳で早くも頭角を現しました。
IWS(国際羊毛事務局)が開催したデザインコンクールで、コート部門の優勝者になったのです。
同コンテストのドレス部門では、同級生のイヴ・サン・ローラン(Yves Saint-Laurent)が優勝しました。
たいせつな同級生・イヴ・サン・ローラン
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イヴ・サン・ローランは、フランス領アルジェリアの出身。
子供のころにパリに転居し、17歳でパリ・クチュール組合学校に入学していました。
カールと同じくめざましい成長をとげて、在学中からクリスチャン・ディオール(Christian Dior)に認められます。
カールとイヴは同級生で、大人になってからもずっと、喜怒哀楽を共有する友達になりました。
カールはハーパーズ・バザーのインタビューで、「サン・ローランは20年以上の親友」と答えています。
第四の魔法 – 新鋭の魔法使いあらわる ~1960年代
オートクチュールの技術を身につけたカールは、新鋭のデザイナーとして精力的に働き始めます。
幼いカールを魅了したフランスという魔法を、カール自身が使えるようになったのです。
17歳で、オートクチュールの現場へ
カールは17歳でピエール・バルマン(Pierre Balmain)のアシスタントとなり、20歳からはジャン・パトゥ(Jean Patou)で働きました。
クリツィア(KRIZIA)、シャルル・ジョルダン(CHARLES JOURDAN)、ヴァレンティノ(Valentino)でも仕事をした後、イタリアのフィレンツェで美術を学びます。
フィレンツェは絵画や彫刻、建築などに優れ、「町全体が美術館」と言われるほどの芸術の都。
ファッション業界をいったん離れて、イタリアの芸術という魔法を学んだ数年間は、カールの見聞を広げるのに大いに役立ちました。
フリーランサーのデザイナーに
イタリアからパリに戻ったカールは、フリーのデザイナーとして働き始めました。
当時のファッション業界では、一つの企業に所属せず、フリーランスで働くデザイナーは珍しかったそうです。
パリのクロエ(Chloé)とは、1963年から1992年と、1992年から1997年まで契約。
あらゆるプリントや素材を駆使して、知名度の低かったクロエを、世界レベルのブランドに発展させました。
1965年にローマのフェンディ(FENDI)のトップデザイナーに就任し、現在まで50年以上、デザイナーを務めています。
カールのスタイルが確立したのは、1970年代。
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カールがポニーテールにサングラスという独自のスタイルを確立したのは、1970年代。
スタイリング剤は好まないし、髪に癖があるため、まとめたほうが楽だそうです。
第五の魔法 – カール最大の魔法?!シャネル復活 ~1980年代
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1983年、シャネル(CHANEL)からカールに、クリエイティブディレクターに就任するよう依頼がありました。
シャネルは創業者のココ・シャネルを失って以来、ブランドイメージが低迷。
シャネルの社員の一人が、「カールの手腕なら、シャネルを復活できる」と指名したのです。
シャネルからの指名は、フランスとシャネルを尊敬するカールにとって、最高のリクエストでした。
カールが次のようにコメントしたことがあります。
「ゲーテの言葉のように、シャネルのスタイルを進化させたかったのです。過去を知り、その積み重ねの上に、より良い未来を作ろうと」
カールはシャネルに新しい色や素材、カール自身のアイデアを持ちこんでデザインしました。
ココ・シャネルのスピリット「エレガントで活動的な女性のためのバッグ」に敬意を払った、丁寧なデザインです。
タイムレスクラシック 2.55
シャネルのバッグのルーツでもあり、1955年2月発売されたことでそのネーミングがついたチェーンバッグ、「2.55」を再解釈。
ココ・シャネルに敬意を払いつつ、カールの考えもとりいれたショルダーバッグです。
定番ではあるが、古いと思われていたシャネルの魅力を一新して、現代女性が使いやすいバックに改めました。
エグゼクティブトート
ココ・シャネルのスピリット「エレガントで活動的な女性のためのバッグ」を、カールが表現しました。
エレガントなダブルハンドルのバッグに、ショルダーベルトやポーチが付属しています。
エッセンシャルトート
シャネルの商品を買って帰るためのペーパーバッグを、カーフスキンで作りました。
カールはフランスの絵も言葉も名物も・・・フランスに関するものなら、なんでも大好き。
カールのフランス愛があふれるアイテムです。
継承とは、スピリットを受け継ぐこと
カールはシャネルのスピリットを継承し、新たな形で再生しました。
似たようなケースが、日本・岩手県の南部鉄器のメーカー「岩鋳」でも見られます。
岩鋳は、フランスの紅茶専門店の注文に応えてカラフルなティーポットを作り、「南部鉄器は黒があたりまえ」と考えていた業界を驚かせました。
しかし岩鋳のティーポットは、現代のライフスタイルに合わせて、色や形、表面の仕上げを変えただけ。
お湯がまろやかになる、割れないので耐久性があるなど、南部鉄器の良さをすべて受け継いでいます。
デザインを一新しても、ブランドは継承できる
カールがシャネルを復活させたことは、他のブランドにも影響を与えました。
形や素材・デザインを新しくしても、ブランドの品格やスピリットは継承できると判ったからです。
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イタリアのグッチ(Gucci)は、アメリカのデザイナー・トム・フォード(Tom Ford)を迎えて、イメージを一新。
クリスチャン・ディオールは、建築を学んだ経験を持つデザイナー・ジャンフランコ・フェレ(Gianfranco Ferré)を招いて、経営を立て直した時期があります。
第六の魔法- カールの魔法で、カール自身を表現!
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1984年、カール自身のブランド「カール・ラガーフェルド(KARLLAGERFELD)」がスタートします。
大人のファッションだけでなく、子供服やアクセサリーも手がけるブランドです。
それまでのカールは、いつも誰かのブランドのスピリットを表現するために、自分の魔法を使っていました。
自分だけのブランドを作ることで、カールの魔法で、カール自身のスピリットを表現する場ができたのです。
カール自身が好きなブランドは、ディオール?
「カールが好きなブランドはディオール」という説がありますが、必須ではないようです。
イタリア製のスーツ、日本のデザイナーズブランド、ヒッピールックなど、試したファッションは数知れず。
16歳からシャツをオーダーしているメーカーがあり、累計300着以上を注文したそうです。
「クロムハーツは全部持ってる」
カールは貴金属については、ゴールドやプラチナよりも、シルバーが好みだそうです。
クロムハーツが大好きで、「男性が身につけて良いジュエリーはクロムハーツくらい」と、絶賛愛用中。
「クロムハーツは全部持ってる」という豪語が有名です。
東京でもカール自身を表現?!
カールはめったに来日しませんが、「KARL IN TOKYO」というコレクションがあります。
カールの東京愛でいっぱいの、明るく楽しいファッショングッズです。
■KARL IN TOKYO>>公式ページ
第七の魔法 – カールの7つのMy favorite(お気に入り)!
カールは多趣味で、フランスの他にもお気に入りがいっぱい。
多くの分野に関心を持ち、つねに勉強して進化することが、カールのデザインの魔力を高めています。
1 – 写真が好き。プロの写真家です。
1987年から写真家として活動し、1996年ドイツ写真協会文化功労賞など、何度も写真賞を受賞しています。
2017年には銀座のシャネルで、写真展「太陽の宮殿 ヴェルサイユの光と影」を開催しました。
2 – 語学が好き。というより「言葉」が好き。
子供の頃に、英語とドイツ語とフランス語を同時に習っていて、ラテン語も得意だそうです。
イタリア語もスペイン語も勉強していて・・・というより、「言葉」が好きだとコメントしています。
3 – 本が好き。というより「紙」が好き。
カールは熱心な読書家で、良質の書籍を集めるコレクター。出版社や書店を設立したこともあります。
銀座のシャネルの写真展では、「紙」が好きだとコメントしていました。
4 – 日本が好き。東京と建築家も。
カールにとって、日本は大好きな国の一つだそうです。
東京にカールオリジナルのブランド「KARL IN TOKYO」があったり、安藤忠雄などの日本建築が好み。
2012年に来日した時、日本の建築家に図書館を作って欲しかったけれど、実現に至らなかったと話しています。
5 – お腹になにか乗せるのが好き。
カールは海外出張が多いため、プライベートジェットをよく使います。
座席に座っている時、お腹になにか乗ってないと落ち着かないそうで、愛猫シュペットがちょうど良いようです。
6 – カール最大のお気に入り!プリンセス・シュペット
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カールは愛猫シュペットが大好きで、彼女の魅力に勝てません。
2人のメイドをつけたり、思いきり遊べる庭を作ったり。
彼女が喜ぶことは、なんでもしてあげたくなってしまいます。
カールはシュペットに出会うまで、犬好きだったとコメントしています。
ところがシュペットは、アクアマリンブルーの瞳に、白い羽毛のような柔らかな毛並みの美猫。
プリンセスのように優しい性格で、欲しいものをねだる時は、品物のそばにそっと座るだけだそうです。
仕事で忙しいカールにとって、シュペットのような優しい女の子は、絶好のストライク。
「シュペットが人間だったら結婚したい!」と言っていた時期があるそうです。
7 – 誰かをハッピーにするのが好き。
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カールは明るくて楽しいことが好き。誰かをハッピーにするのも好きです。
「表面的なイメージを与えるのは楽しい。シリアスになりたくないんだ。暗いメッセージほどつまらないものはないからね」
誰かをハッピーにするには、自分をハッピーにすることから。
カール・ラガーフェルドと愛猫シュペットは、今も誰かをハッピーにするために、世界中を飛び回っています。